午後17時55分 通信施設三階にある送信所

 二階の通路を突破して、遂に三階へと辿り着いたヴェラは送信所の置かれた部屋の前に辿り着いた。しかし、すぐには入らずに部屋の扉に背を預け、周囲を見回しながら中に居るであろうロレンスに声を掛けた。

「ロレンス大尉! 聞こえる!? ロレンス大尉!」

 けれども、やはり反応は無い。ヴェラはトシヤと顔を見合わせて頷き合うと、三つの指を立てた。一つずつ指を折っていき、最後の一本が折り畳まれた瞬間に扉を開け、斧を構えたトシヤが突入した。

 だが、想像していたような戦闘は起こらなかった。既にロレンス大尉の部下達は息絶えていた。彼等を襲ったゾンビ――数が二体だった事と装備からして、行方不明だった第一部隊の二人であろう――も事切れて倒れていた。

 そしてロレンス大尉は胸元……心臓辺りに変異体のネズミを喰い込ませながら、辛うじて生き永らえていた。とは言え、瀕死の重傷である事に変わりはない。

 ヴェラが彼の傍に駆け寄り、上体を持ち上げた。ネズミに食い破られた胸の傷だけでなく、全身の至る所にはゾンビに撃たれた銃傷もあり、医療方面に疎い素人でさえも助からないと確信する程の重傷だ。

「ロレンス大尉!」

「よぅ……。ははっ、ザマァないぜ……。けど、寄生されて……操られるなんて、真っ平御免だからな……。俺の命と引き換えに……ネズミを仕留めてやったぜ……」

 息も絶え絶えに語るロレンスの手には小口径の拳銃が握り締められており、彼の胸に埋まったネズミの胴体には、その拳銃で作られた銃創があった。まもりびとや化物の思い通りになりたくないと言う、彼の意地とプライドが成した決死の抵抗であったのはの想像するに難しくない。

「折角来てくれたが……俺はもうダメだ……。幸い、通信装置に傷は付いちゃいない……。あとは救援を呼ぶだけだ……」

 ロレンスの手が宙を彷徨うように伸ばされ、それをヴェラは握り締めた。その手に伝わった感触にホッと安堵の笑みを浮かべると、ロレンスは焦点の定まらない視線を宙に彷徨わせながら譫言のように言葉を綴った。

「アンタ達には……酷い扱いをした……。それが八つ当たりだと俺自身も分かっていた……。けど、俺は怒りを隠し切れなかった……。あの災厄で被災した俺の家族は……何時か救援が来ると信じていた……。だが、その期待も虚しく死んでいった……。もし救援が来ていれば、もし各国が俺達に手を差し伸ばしてくれれば……。そんな考えばかりが俺の頭に根付いていた……」

「ロレンス大尉……」

「………だが、もうそれも終わりだ。あとは……救援を呼んで、日本から、この地獄から出ていくだけだ……。そうすれば……全て……終わ………る………」

 ロレンスの手が力無くヴェラの手から抜け落ち、自身の胸元に落ちた。ヴェラは彼の死を確認すると、腕を交差させて微かに開いた眼を自分の手で閉ざした。そしてロレンスの願いを叶えるべく、ヴェラは通信装置の前に腰を下ろした。

「SOS、SOS、誰かこの通信を拾っていませんか? SOS、誰かこの通信を拾っていませんか? 此方NGA(ナチュラルグリーンアメリカ支部)所属、ヴェラ・バーネット。聞こえますか?」

 SOSを乗せた電波が発信され、辺り一帯に広がっていく。もしも電波が届けば助かるが、届かなければ……。そんな悪い予感を振り払うように、ヴェラは必死に呼び続けた。そして通信が一分程続いた時、受信機から頻りに空電が鳴り響き、やがて落ち着いてくると明白な声が彼女の鼓膜に届いた。

『此方、アメリカ海軍の原子力空母マッカーサーだ。聞こえるか?』

 その声を聴いた途端、ヴェラはの精神は歓喜に包まれた。まるで彼女自身が日本に閉じ込められた難民の一人であったかのように、通信から届いた声に驚愕に似た喜びを覚えていた。しかし、彼女は直ぐに本来の役目を思い出して通信機に向かって呼び掛けた。

「はい、聞こえます! 此方ヴェラ・バーネット! 今回の調査任務に同行したNGA職員の一人です!」

『ああ、聞こえているぞ。私はゲイリー大佐だ』

 ゲイリー大佐―――その名を聞いてヴェラの脳裏に浮かんだのは、原子力空母マッカーサーの艦長であり、自分達を日本に連れてきた空母打撃群の総司令官である男の姿だった。

 叩き上げの軍人らしい威厳に満ちた男性であり、鷲のような鋭い目付きの中にある瞳は常に獲物を求めているかのような物騒な眼光を放っていた。

『其方の状況はどうなっている? 部隊の連絡が途絶えて以降、何の音沙汰無しだ。何が起こっているのか少しでも情報が欲しい』

「はい、此方は作業部隊及び上陸した海軍部隊が全滅しました。この森には得体の知れない化物が数多く生息しており、殆どの人間が奴等に殺されました』

『化物だと?』通信機の向こうで嘲笑うような声が聞こえた。『ヴェラと言ったかな、気は確かかね? このユグドラシルしかない日本に、化物が住んでいる等という荒唐無稽の話を我々が信じるとでも思っているのかね? もし君が軍人であれば、上官を欺いた罪で軍法会議は確実だぞ』

「いいえ、事実です! それに日本には未だに生存者が……救助を求める日本国民が数多く居ます!!」

『何、日本国民だと? 彼等はまだ生きているのか?』

 そこで初めてゲイリーの声色に驚きの感情が混じったのを覚え、ヴェラはその機を逃さずに要求を突き付けた。

「はい、彼等は救援を求めています! 今の日本は満足な食事も出来ず、治安は無きに等しい状態です! 更に今言った化物のせいで日を追う毎に犠牲者は増える一方です! 一刻も早く、この事実をアメリカ合衆国に報告し、国連に動いて貰うべきです!! そうしないと日本は化物に埋め尽くされてしまいます! そして日本国民も滅んでしまいます!!」

 ヴェラは今までになく感情を吐露し、実情を訴えた。また訴えの中には、この地獄から一刻も早く解放されたいという個人的な思いも含まれていた。尤も、彼女の想いは他の人々も同じだろうが。

 だが、通信機を通してゲイリーから返って来た言葉は、彼女ですら言葉を失うものであった。

『生憎だが、それは出来ん』

「な……何故です!? 日本に残っている人々を見殺しにする気ですか!?」

『そもそも我々の任務はGエナジーの回収及びユグドラシルの製造方法の入手だ。難民を保護するというのは任務の対象外だ』

「ですから! 国連に訴えて下さいと言っているでしょう!! 国連ならばアメリカだけでなく、各国が力を貸して――」

『まだ分からんのかね? 我々……いや、世界にとって日本人が生き残っているという事実は非常に不都合なのだよ』

「……どういう意味です?」

 怒りでどうにかなりそうな自分を理性から来る冷静さで抑え付けて問い返すと、向こうから呆れたような溜息が返って来た。

『既に各国ではユグドラシル獲得の為に様々な手段を用いて動き出している。しかし、今更になって日本国民が生きてたと知ったらどうなる? 日本人達はユグドラシルで得た富を復興の財源に当てるだろう。それはまだ良い。だが、自分達の物だと主張して従来のような資源産出国として厚顔な態度を取り、ユグドラシルやGエナジーの規制を続けたら? そうなったら我々の苦労は水の泡だ』

「今はそんな国際情勢や政治論にかまけている場合ですか!? 人命が懸かっているんですよ!?」

『生憎だが、国家は人命よりも未来を選択せねばならない時があるのだ。それに我々は沖縄を保護する事で、他国に比べてGエナジーの確保を有利に展開している。とは言え、これ以上日本人が生きていたら他の国々に利用される恐れがある。そうなるぐらいなら、厄介な根は摘むべきだろう』

「見殺しにしろという事ですか!?」

『早い話が、そういう事だ』

 話にならない、ヴェラは怒りに任せて自分の座っていた椅子を思い切り蹴飛ばした。パイプ椅子はコングのパワーの前に拉げ、椅子としての役割を果たせなくなってしまった。

「なら、私もこれ以上は任務を続行しません!! 人命を見捨てる程の価値があるユグドラシルの情報を貴方達に渡すぐらいなら、共に死んだ方がマシです!!」

『……キミは勘違いをしているようだ。ヴェラ“少尉”』

 名前の後ろに少尉と付けられた途端、ヴェラに困惑が襲い掛かった。その呼び名は嘗て彼女が陸軍に所属していた時の最終階級であり、陸軍を辞めた現在は過去と言う名の歴史の物置に仕舞い込まれた肩書きである。それを再び使われる日が来るなんて、本人でさえも思っていなかった。

「? 何を―――」

『今回の作戦で何らかの非常事態が起こった場合、NG社の社員も我々の指揮下に入る事は決定済みだ。即ち、キミ達は既に一般人ではなく軍属だという事だ』

「そんな話聞いていません!!」

『当然だ。非常事態が起こった時に打ち明かす予定だったのだからな。しかし、打ち明かす前にキミの言う化物達のせいで予定が狂ってしまったようだ。

 それと先程は、もし君が軍人ならば――と仮定の話をしたが、アレに関しては水に流してやろう。化物が居たという話が事実か否か判断する術は我々には無いのだからな。だが、今私が話している命令を拒絶した場合、どうなるかは分かっているだろう?』

 要するに『軍人なのだから上の命令には従え、さもなくば国の命令に逆らった反逆者として軍法会議に掛けるぞ』と遠回しに脅しているのだ。彼女一人だけならば兎も角、ゲイリーの話が事実であれば他の仲間達も今は軍属の身だ。彼女と同じような態度を取れば、全員が永遠に刑務所暮らしという可能性も有り得る。

「くたばれ!! くそ野郎!!」

 悪足掻きと分かっていながらも怒りをブチ撒けたい思いに駆られ、ヴェラは通信越しに罵倒の言葉を並べて通信を切った。

 辛抱強く救援もしくは増援を寄越す様に訴え続けるべきだっただろうか? いや、彼等の事だ。ヴェラの話を聞いて、無駄に戦力を消耗させたくないと理由を付けて戦力を放出しないだろう。ならば、これ以上何の成果も実りもない不毛な会話はしないべきだ。

「ヴェラさん、どうします……?」

「……さぁね、どうしようか」

 今の話を聞いていたトシヤも不安を隠せず、言葉の端々に動揺の気配が見えていた。しかし、それ以上に憔悴しきったヴェラを見てショックを受けたのか微かに息を飲む音がマイクに伝わって来た。

 丁度その時、彼等のヘルメットに備わった通信機にノイズが走った。嵐のようなノイズの向こうから聞こえてきたのは、激しい騒音に飲まれそうになりながらも必死に抗うリュウヤの声であった。腕にミドリを抱いているのか、彼女の泣き声も聞こえる。

『ヴェラ! おい、ヴェラ!! 聞こえているか!?』

「リュウ? どうかしたの? 何か、そっちの騒音が凄く五月蠅く聞こえるけど……?」

『当たり前だ!! こっちはヤバい事になってる! 大魔縁の連中が大攻勢を仕掛けてきやがったんだ!!』

「何ですって!? オリヴァーやスーンはどうしてるの!? 大丈夫なの!?」

『ああ! オリヴァーは自衛隊から武器を借りて応戦の手助けをしている! スーンは持ち帰ったパーツを使ってオリヴァーのコングを修理中だ! 俺も途中まで修理に手を貸していたが、ある程度目途が立ったから先にアンタを呼んでくれってスーンに頼まれたんだ!』

 二人の無事が分かりホッと胸を撫で下ろしたが、直ぐに気持ちを引き締めてT-12に状況に付いて確認を求めた。

T-12そっちの被害はどうなっているの?」

『自衛隊も必死に抵抗しているが、相手は狂信者だ! 神風よろしく特攻して来るもんだから、自他共に被害は増える一方だ! 兎に角! 早く戻って来てくれ! それとアマダがヴェラと話がしたいと言っているんだ!』

「私と? 一体何を?」

『何でも、脱出方法を―――』言葉の途中でノイズが勢いを増し、リュウヤの声に覆い被さった。『ああっ! またか――クソ―――』

 ノイズの嵐の合間から途切れ途切れに声が聞こえたものの、程無くして通信は切れてしまった。救援が来ないという事実をどう打ち明けようかという悩みが少し前のヴェラの頭に重く圧し掛かっていたが、今の話を聞いた途端に綺麗に吹き飛んでしまった。

「トシ! 直ぐにあっちに戻るよ! 皆が危険だ!」

「分かりました!」

 二人は素早く踵を返すと、今までの苦労や疲労なんて無かったかのような驚くほどの速さで通信施設を後にした。無事に居てくれと願う一方で、やはり頭の片隅では救援が来ないという事実が重く圧し掛かっていた。

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