こんなにも (里美)
一ヶ月ぶりに翔吾と連絡を取り、会うことになった。クルクル回るオブジェの下で待ち合わせ。五時半には着くと言っていたのにもう五分過ぎている。
久しぶりに会うというのに遅刻するなんて、淡い色のスカートとパンプスを履いている自分が情けなくなる。彼から誕生日にプレゼントされたチョコレート色の腕時計を弄りながらため息をついたり、おろしたてのパンプスのヒールでコンクリートを叩きながら時間を潰す。
十分を過ぎた頃から時計ではなくスマホを確認した。翔吾から遅れている理由が来ると思っていたから。
彼はそういう人だった。待ち合わせをする時は必ず自分がつく前に連絡をくれていた。
だから連絡が無い事が心配になる。こんなことで不安になるなんて馬鹿みたいだ、自分らしくない。
そう思いスマホをしまった。
翔吾が待ち合わせ場所に着いたのは、約束の時間を三十分過ぎた頃だった。
焦った様子もなく、悠々と音楽を聞きながらこちらに向かってきた。
「最悪、授業長引いた。まじ疲れたわ」
翔吾はゆっくりと耳からイヤホンを抜き、里美の前に立った。
「そう、お疲れ様」
言葉が浮かばない。翔吾ってこんな人だったっけ。人を待たせてもへらへら笑って、謝罪も出来ないような人だったっけ。
あぁ、駄目だ、血が登る。考えることが馬鹿らしく思え、思考を放棄する。
「腹減った、なんか食いに行こうぜ」
里美の意見も聞かず、先に行ってしまった。呆気にとられ後を追う。
酷く違和感を感じた。翔吾の後ろを一メートル程間を開けて歩く。久しぶりに見る翔吾の背中は大きく、ストリート系の服で揃えられていた。髪色も黒から茶色のアッシュに変わっていた。
「焼肉でいい?」
疑問形で聞いてきたくせに、二人は既に焼肉屋の前にいた。もう断ることも出来ず、いいよと頷いた。
中に入ると、油と肉の焦げる匂いが身体中にまとわりついてきて気分が悪くなった。正直、焼肉の気分ではない。でも、ここで嫌だと言って空気を悪くするのは流石に気が引ける。
四人がけの席に案内され、正面に向かい合うように座った。隣のテーブルには高校生の女の子二人が肉を頬張っている。
とても不味そうだった。
これから自分たちもあんなものを食べるのかと思うと吐き気がする。翔吾の店選びのセンスは酷い。付き合う前から知ってはいたけれど、一年付き合っていると慣れというか抗体のようなものが出来ていた。でも一ヶ月、間を開けただけでその抗体は死滅してしまったみたいだ。
「久しぶりだな」
肉を注文し終え、翔吾が水を飲みながら今日初めて里美を見た。
「久しぶりだね。元気にしてた?」
「してた。一昨日、里美から久々に連絡来て驚いた」
今度は里美が水を飲んだ。とても喉が渇いていた。
「ごめん、文化祭とか忙しくて連絡出来なかった」
「出来なかったんじゃなくて、しなかったんじゃないの?」
「え?なんで」
「いや、なんでもない。ごめん」
威勢よく責め立てる言葉を吐かれると思っていたのに、彼は肩を落として下を向いてしまった。
店員が肉を持ってきた。食べ放題にしたためどんどんと大量の肉がテーブルを覆い尽くす。翔吾はさっきの会話を忘れたかのように夢中で網に肉を乗せていく。
タン、カルビ、ホルモン、カルビ、カルビ。
どうにも胃がもたれそうだ。どちらかと言うと塩キャベツとかキュウリが食べたい。そんな里美の気をよそに翔吾はカルビを焼き続けている。
「ほら、タン焼けた」
里美の皿に豚のタンがどっさりと置かれる。
「里美、タン好きだろ」
にこにこと褒められることを待つ子供のように里美を見た。正直、豚のタンは好きではない。里美は牛のタンが好きなのだ。
それでも、
「ありがとう翔吾」
精一杯の優しさで感謝の言葉を絞り出した。
一時間半肉を食べ続けお腹は破裂しそうなほど膨れ上がった。食べすぎた。
翔吾も苦しそうにもう肉は見たくないと言っている。
外に出ると十二月らしく空気が乾燥し冷えていた。月は出ていない、どこまでも暗い空がどんよりとそこにある。
翔吾が会計を終え寒いと言いながら里美の隣に並んだ。
「ご馳走様、美味しかったね」
「そうだな、もう遠分焼肉はいいや」
翔吾が右手をポケットに入れた。
そして余った左手を里美の右手に絡ませた。
久しぶりに感じる人の温もりに鳥肌が立ちそうになる。
ぞわぞわした。男の人の少し硬い指、大きい手。なんだかとても異質なモノに思える。
それでもこの温もりが恋しかった。
一人は寂しい。一番の人を真摯に思い続けていたい気持ちもあるが、心と体が直ぐに限界を迎える。
つまり、私はとても弱いのだ。
一人の人間をとても愛しているのに、その人に愛してもらえない。だから代わりになるはずの無い代わりを愛す。
とにかく今は誰かの肌の温もりが欲しかった。
翔吾とは別れようと思っていた。でも、沙生と秋の事があり里美の心は乱れ、乾き、水を欲する砂漠のようになった。
藁にもすがる思いで翔吾に連絡をしたのだ。
翔吾なら私を受け入れてくれる、そう思った。
そして今、欲しかった温もりが里美を包み込んでいた。
予想していた通り赤いランプが点滅する、いかにもラブホテルというような外観のホテルに手を引かれた。
そのまま部屋に入る。
ベッドに体を押し倒され、唇を押し付けられた。スカートの中に手が入る。翔吾がズボンを下ろす。
「ちょっと、まって、もっとゆっくり」
そんな、いきなりはないでしょ。もっとゆっくり優しくしてよ。
そう思っても翔吾の手は止まらない。動き喘ぐ里美により興奮したのか更に激しくなる。
これが欲しかったんじゃない。
愛が伝わるような、ドロドロしたモノが欲しいのに。
これじゃない。
「翔吾、まって」
何も聞いてくれなかった。里美が泣いても翔吾は気付かない。いや、気付かない振りをしていた。とても悲しくなった。自分がとてつもなく小さくなったような感覚に陥る。
行為が終わり、翔吾は風呂に行った。
放心状態のように天井を見つめる。シャワーの音が部屋に響く。
気持ち悪い、とても気持ちが悪い。
温かさを求めた行為のはずなのに、身体が冷えている。翔吾に会う前より虚しさと虚無感が増えていた。それと同時に悔しさと苛立ちが込み上げてきた。新品のパンプスを持ち上げ投げようと振りかぶる。そしてそのままゆっくりとパンプスを手放した。
私は、ただの新品のパンプスを投げることすら出来ないのだ。
手放してしまえば良いのに、馬鹿みたい。
シャワーの音と共に翔吾の携帯が鳴った。画面には女の名前が表示されている。
見覚えのない名前だ。どうしてか気になった。
一ヶ月前の自分だったら絶対にしないであろう行動を里美はしていた。
ロックされた画面にパスワードを打ち込む。これは今日、翔吾が打っていたのをみて記憶していたものだ。里美は意識しなくてもつい人の携帯のパスワードを見て覚えてしまう癖がある。
解除された携帯の中身を舐めるように探索した。案の定、予測していたことがその中で起こっていた。
なるほどね、だから今日はあんなんだったのね。
ひどく納得した。
あの余裕そうな態度。大柄な態度。自分勝手な態度。
へぇ。そういうこと。
体と心が温度をなくす。
脱ぎ散らかした服を着て、翔吾の携帯をトイレに落とした。
全然気は済まなかったが、もう二度と彼に会うことはないと思い部屋を後にした。
パンプスが一人寂しくコツコツと音を立てて廊下に響いている。下を向いて歩くのも躊躇われてまっすぐ前を向く。真っ直ぐに歩いていたはずなのに世界が歪んだ。
脚をくじいたのだ。今日はこれで三回目だった。理由は高すぎるヒールのせい、分かっている。
やはり自分らしくないことをするべきでは無いのだ。
冷たくて大人っぽい、さばさばしてて男みたい。
本城里美はそういう女であるべきだ。
周りの人たちから見るとそう見えるらしいから。
でも残念、全然違うよ。本当の私はどこまでも女だ。
女で女で女だ。
自分でも気持ち悪いと思うくらい、女なのだ。
誰かに愛されたいし、キスだってしたい、肌だって合わせたい。
とても自分が気持ち悪い。
罰が当たったのだ、誰かを誰かの代わりにしようとしたから。
自分らしくない自分を出しすぎたから。
本当に馬鹿みたい。
シワのついたスカートを手で伸ばす。
外に出ると、夜の街は夜と思えないほど明るく、どこまでも首についた赤い印をスポットライトが照らしていた。
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