第12話 「図書館に行こう」(3)
「つきました、周様」
言ったのは月子だ。
最初のうちは周が前を歩き、後ろに月子が従っていた。だが、暑さにやられた周が、死にかけの砂漠の旅人のようになって、傍目に見ても脳がまともに機能していないであろうことは明白だったので、途中から月子が先導していたのだ。
「あー?」
周は億劫そうに、汗の滴り落ちる顔を上げた。きっとここまで朦朧とした頭で、誘導されるがままについてきたに違いない。
「って、ここどこ!?」
そこは周の知らない場所だった。
背の高い門柱がそびえる入り口。その向こうには石畳の前庭が広がり、さらに奥にいくつかの建築物が見えた。
「私の通う大学です」
と、月子。
「大学!? 図書館に行くんじゃなかったのかっ」
「ですから、構内にある図書館へ向かいます」
「あ、俺、てっきり市の図書館に行くんだと思ってた……」
気がつけば別の場所にきていたのだ。驚きもする。
「大学の図書館のほうが専門的な資料が多いですから」
「そりゃあ、まぁ……」
そうだろうな、と納得する。市の図書館と大学の図書館では蔵書の種類が違うであろうことは、周にも容易に想像がつく。
「では、行きましょう」
「あ、でも――」
足を踏み出した月子を、周が呼び止める。
「俺が入っていいのか? 大学とはまったく無関係なやつだぞ、俺」
「大丈夫でしょう。大学なんて大らかというかアバウトな空間ですから」
月子はさらりと言って、歩き出した。周もその後に続く。
敷地に入ると、まずは石畳が敷き詰められた前庭。ところどころにベンチがあり、場所によっては古代劇場の観客席のように段差がついている。夏休みでなければ学生たちが腰を下ろして、それぞれに楽しんでいる場面が見られたことだろう。
「近所の人が犬を連れて散歩にくることもあれば、どこかの工事の人が食堂にお昼を食べにくることもあります」
学生食堂は安いですから、と月子はつけ加えた。
「ふうん。俺みたいな高校生は?」
「います。図書館で勉強している姿を時々見かけます」
「なら大丈夫か。よほど不審な行動をしない限り。いちおうは月子さんの関係者ということになるしな」
「よほどの不審な行動をした場合、私は即座に他人の振りをしますので、そのつもりでお願いします」
「安心してくれ。とりあえずその予定はない」
ふたりは、洒落たレストランのような学生食堂を右手に見ながら、前庭を縦断していく。
「おーい、藤堂さーん」
すると、そこに食堂方面からの声。
月子の知り合いだろうか。周はそちらに顔を向け――ぎょっとした。駆け寄ってくる人影はチアリーディングの姿だった。スコートから覗くスラリとした脚が眩しい。そして、近くまできてわかったことだが、意外に背が高い。顔はなかなかの美人だ。チアのような人前に出ることをやっているだけあって、堂々とした自信が顔に窺える。
周は顔4、衣装6くらいで彼女に見惚れた。
「クラブサークル無所属の藤堂さんが、なしてこんなところに?
「図書館に少し用がありまして」
月子はなぜかむっとしながら返事をした。
「そういうスズメさんはクラブですか?」
「見てのとーり。……んで」
と、彼女はちらりと周を見た。
「誰さん?」
「えっと、ですね……」
月子が言い淀む。
「もしかして――」
「「 違いますッ 」」
周と月子の声がハモった。
翔子のときに続いて、本日二度目。
「いや、まだ何も言ってないんだけど……」
「何となく予想がつきましたので。……こっちはわたしの弟です」
「です。どうも」
周は軽く頭を下げる。
鮮やかに嘘で誤魔化す月子と、それに合わせる周。この手の嘘ももう慣れたものである。
「なーる」
スズメは納得したようだ。
それから、値踏みするように周を改めて見た。
「ふうん。悪くないんじゃない? 将来有望ってやつ?」
「そ、そう、ですかね……」
「いーえっ、そんなことはありません」
突然、月子がふたりの間に割って入った。
「仮にそう見えても、今がピーク。後は放物線の如く下降する一方です」
「ひでぇ言われようだな、おい……」
「だいたいそんな格好でシュウに近づかないでください、スズメさん」
「ん? チアのユニフォームだけど……何か変?」
スズメは自分の姿を見下ろしながら、スコートの裾を指で摘んで横に引っ張った。スコートが弧を描いて扇状に広がる。
変かと問われたら変ではないのだろうが、本来あるべき場所以外で見ると少々場違いな感じは否めない。
「ていうか、藤堂さんも一緒にどう?」
「遠慮しておきます」
「それは残念」
そう言うとスズメは、今度はすすっと周に近づき、囁いた。
「弟君よ。君のお姉さんのこういう姿は見たくないかね?」
「つ、月姉の……おごっ!」
炸裂する
周が頭の中で描きかけた像は、一瞬で飛び散った。
「想像したら殺します」
「ら、らじゃ……」
周は喉を押さえながら了解した。
「それではスズメさん、わたしたちはこれで失礼します。練習がんばってください」
「うん。そっちもね」
挨拶を交わしてスズメと別れた。周と月子は改めて図書館を目指す。
「すみません。まさか顔見知りがいると思いませんでした」
「ま、そういうこともあるだろうな」
周は痛む喉をさすりながら返した。
「ここにいる間は、俺は月子さんの弟ってことにしといたほうがいいかもな」
「そうですね」
図書館はすぐそばにあった。少々複雑な、近代的なデザインをした建物がそうらしい。
そこで月子が再び口を開いた。
「シュウ?」
「ん? なんだ、月姉?」
「いえ、何でもありません」
「……」
なんだ、そりゃ――そう思ったが、文句はひとまず置いておくことにした。図書館の入り口がもう目の前だった。
ふたりはそろって中へと入った。
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