【9】 ハートの牡丹雪

・専務、敗北す


 大通りのホワイトイルミネーションがきらめく北国の十二月。

 商品が大きく動くこの時期、眞子は事務所の仕事に限らず、店頭のサポートにも追われてた。


 現在、店頭にある商品の売れ行きと在庫を専務と確認し、どれを補充して、どれをどのようにして売りさばくかを検討する。

 こうして専務と仕事をしていると、いかに叔母の副社長のバックアップを影でしてくれていたかが良くわかるようになった。

 カンナ副社長はとにかく『売れそうなものを選ぶ、仕入れる』で先陣を切り、商品販売中の戦闘中は専務がその商品の動きを見守り受注品はなるべく横浜のメーカーへ返品にならないように管理する。この二つの立場の仕事は、どちらが欠けても成り立たない。それがわかったからこそ、眞子は専務のアシスタントにやり甲斐を感じていた。


 また専務がきっちりメンズなスーツ姿に整えている。


 でも今日はネクタイを結ぶその手がとても億劫そうで、彼は溜め息をついて緊張した面持ち。青いシャツに白地に黒小紋のネクタイを結んでいるところ。今日は黒いスーツですこし厳かに決めている。

「今日はもう帰ってこないと思うから、眞子さんは適当に切り上げて帰宅していいよ」

 青いシャツの背を眞子に向けている専務が、首元で白地のネクタイをキュッと仕上げたところ。

 今日は眼鏡ではなくてコンタクト。うつむいている横顔のちらりと見えるまつげが下を向いている。そしてまた溜め息。

「専務……。おでかけまえに、お茶はいかがですか」

「うん、いや……。やめておく。ありがとう」

 肩越しに振り返り、にこっと笑ってくれた専務は、眞子がよく知っているラブリーお兄さんの微笑みだった。

でもそれが今日は痛々しいくらいに緊張している。

「いい場所だといいですね」

「どうかな――」

 今日は丸島屋デパートの婦人服プレタポルテフロアの改装に伴う、各ブランドの売り場場所決めが決定、通知される日。

 専務はその会議にでかけるところだった。


 いままではカンナ副社長がやってきたことだろうけれど、今回は跡取り息子の専務が一切を任された。これも経験として、父親の篠宮社長も任せたのだろう。

「これで場所がいいところではないかったとなると……。いままでいろいろとこちらの経営に任せてくれていた横浜シルビアさんに百貨店での販売権は返さなくてはならなくなるかもな」

 本来ならば、そのメーカーが雇用している社員を販売員として、全国各ショップに配置する。

 だが篠宮のマグノリアは、横浜シルビアがミセスブランドを創設しまだ知名度がない時に仕入れを始め、地元のミセスマダムにブランドを広げてくれたという特別な関係がある。


 売り上げも全国の仕入れ先の中ではトップクラスとのことで、販売員にしても市内での販売のやり方についても、卸し先の篠宮に一任してくれてきたという歴史がある。

 専務で三代目。時代も変わってきた。全国アパレルショップの経営形態も変わってきた。卸し先との関係を重視するやり方ではなくなってきた。

 それが自分のやったことの結果で変わってしまうのではないか――という不安を専務が抱いている。

 ここでもし……。デパートの華やかなプレタポルテフロアの不利な場所に決まってしまうと、専務の実力も疑われるし、篠宮と横浜シルビアの関係も変わってしまうと考えられている。

「では、行ってきます」

 会議は15時から。黒いジャケットをさっと羽織り、その上に黒いビジネスコートを着て専務がでかけていく。

 眞子も『いってらっしゃいませ』と見送った。


 ひとりになって応接室で、専務の代わりに商品の決定したプライスをエクセルにまとめていく。

 今日は中休みのお茶もひとり、その時間に通路に出ても、もう麗奈も忙しそうにしていて眞子にちょっかいは出してこなくなった。

 彼女がカンナ副社長に怒鳴られている姿も見ることもない。ハンドケアのセラピストも決まって、いま彼女も準備に忙殺されているようだった。




 夜になり、牡丹雪がふわふわと静かに舞い降りてきた。

 アパレル業界は朝の始業が遅いので、終業も各店舗が閉店して業務報告が届いてからになる。だからいつも夜は遅め。

 ひと晩このままだと、明日はどっさり積もりそう。そんな窓辺を見つめながらも、眞子は暗くなってもひとりで雑務をこなす。

 時計を見た。もうとっくに場所決めの結果が出ているだろう。篠宮社長にもカンナ副社長にも結果が伝えられているはず。


なのに。専務が帰ってこない。


 適当に帰っても良いと言いつけられていた眞子だったが、専務が残した雑務を消化しながら……。『あと一時間待って帰ってこなかったら、私も帰ろう』と決めた。もしかして。いい結果が出て、また百貨店の幹部さんとススキノで打ち上げとなって大騒ぎしているのかもしれない。

 それとも――。眞子の胸騒ぎ。誰もなにも伝えに来ない。事務室のスタッフもひとりふたりと帰っていく。


「眞子、まだいるのかい」

 カンナ副社長が珍しく、在庫管理室と化している応接室を訪ねてきた。

「はい……。あと少しです」

「私が最後で、事務室は閉めたからね。眞子も帰るならきちんと戸締まりしていってくれよ」

「副社長。専務からなにか連絡はありましたか」

 眞子がそう聞くと、カンナ副社長は黙ってしまう。しばらく眞子をじっと見つめていた。

「さあ、ないね。兄さんは聞いているだろうね。帰宅してから、社長に聞いてみるよ」

 兄の社長と妹の副社長は近所で住んでいると聞く。だからカンナ副社長も帰ってみないとわからないということらしい。

「明日にはわかるだろう。眞子も早く帰りな」

「はい。そういたします……」

 もう誰もいなくなるなら、眞子だけ無駄な残業をしても申し訳ないだけ。副社長を見送ったあと、眞子も片づけをして退社タイムの打刻をしておく。


 非常灯だけになった暗い通路から、エレベーターに乗ろうとしたけれど……。とてつもない胸騒ぎがした。

カンナ副社長のあの眼差し。黙ってしまった間……。彼女のアシスタントを数年してきたからこそわかるもの。

眞子はもう一度、応接室に戻った。灯りをつけ、もう一度暖房を入れる。パソコンを立ち上げ、残業ではないけれど雑務の続きを始める。


 そして携帯電話を取りだし、専務へと連絡をしてみる。……でなかった。


「お願い。騒いでいて。いつもみたいに……、男同士のバカ騒ぎをしていて。起きたらベッドの上で、スーツもシャツもくしゃくしゃだったと……ボサボサの専務を見せて……」

 夜の二十一時。そこを回ったら眞子も帰ろうと決する。

「お腹すいたな。コンビニでなにか買ってこようかな」

 立ち上がったときだった。古い磨りガラスを填め込んでいる木のドアがガシャンと大きな音を立てて開いた。


「うそだー。なーんで灯りがついているのかなー」


 黒いコートの肩にふわふわの雪を乗せたままの専務が、よろりと入ってきた。

足下がふらついているせいで、またガラスのところに頭が当たり、身体はよろめきガシャンと響く。

「う~、」

 見るからに『酔っている』。すでに沢山のアルコールを飲んできたということ。

「せ、専務! 大丈夫ですか!」

 眞子はすぐに駆け寄り、よろめく専務の肩を持った。

「ソファーまで行きましょう。冷たいお水、買ってきますから。横になって……」

「ここなら……ひとりになれると……思っていたのに……」

 よろめく専務を支えようとしているのに、彼の大きな手が眞子をトンと突き放した。

 そのままふらつきながら、専務は奥にある昔のソファーへと向かっていく。


 もう。それを見ただけで……。眞子は青ざめ茫然とした。

 いい結果が出なかった。いい場所を得られなかった――のだと。


「ふう、チクショウ。やられた……」

 いつもおおらかで、愛嬌あるおぼっちゃまな専務ではない。尖った男の鋭い目をしていた。

唸りながらもソファーに横になり力尽きた様子の専務を見て、眞子はそっとコンビニへ向かった。



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