・特命 専務班


 『エッセンシャル六花』は大きなマンションの一階、テナントになっている小さな店舗にある。

 隣には理髪店やクリーニング店が並んでいる。郊外でよく見かける店並び。その中に美容室のような綺麗なボードを出している小さなお店だった。

 駅前から少し歩いたところにある。セラピストの彼女に聞けば、この界隈の奥様方やOLさんがちょこちょこ入ってくれると聞かされていた。

 お店雰囲気は、プロヴァンスなヨーロピアンカントリー。入口も、ウッド調のドア。そこを開けると、いい匂い。いつも眞子が来店してほっとする匂いだった。


「いらっしゃいませ。本田さん、お久しぶりですね。またお忙しいのかなと思っておりました」

「お久しぶりです、小川さん」

 顔なじみの彼女と眞子。でもセラピストの彼女は、眞子の後ろにいる長身の専務を見て黙ってしまう。

「お邪魔いたします。本田についてきました」

 よく言う。逆でしょ。眞子に不意打ちをするようにして連れてきたくせに――と思ってしまう。

 専務を見てしばらく惚けていたような彼女もやっとにっこり微笑む。

「お電話をくださった上司さんですね」

「はい。日頃、疲れ切っている本田にくつろいでもらおうと勝手に予約しました」

「優しい上司さんですね」

 もう、調子がいいなと。眞子はちゃっかりおぼっちゃん専務の笑顔を睨んでしまう。

「だけどー。今日は僕もしてもらおうかなー。興味はあったんですよねー」

 店内を見渡しながら、専務は興味津々。そして六花の小川さんも優しく微笑む。

「是非、そうしていただきたいです」

「もう、専務ったら。自分がやりたかったのだと正直に言えばいいじゃないですか」

「ばれた? だってさあ。俺だって疲れてるもんー」

 いつもの調子で喋ったがゆえに、六花の店長を驚かせてしまう。

「え、専務……さん、なのですか」

 専務の若さで、その役職は珍しいと眞子は思う。ただこちらは一族経営だからこその、跡取り息子にある役職。

「上司がなんだかマッサージに興味を持ったのでちらっとこちらのお店を教えましたら、男性なので気後れしたのか私の名で勝手に予約を。しかもお供で連れ出されました」

 連れてこられた経緯はまだ告げず、でも勝手に眞子の名で予約をしたり勝手に連れてこられた仕返しをしてみた。

 でも専務はなんのその。

「恥ずかしかったんですよー。男がアロマのハンドマッサージだなんて。ただ、ほんとに一度やってみたくて」

「男性だって、大歓迎ですよ。では、専務さんからされますか」

「はい!」

 無邪気に張りきった専務。それだけで、初対面の場も和んでしまう。特にお洒落なモデル並の男が凛々しくやってきたかと思えば、なんだか憎めない愛嬌連発。専務はこういう空気の作り方も女性の和ませ方もうまい。



 さっそく。専務がセラピストの小川さんと向きあう。

 お湯を張った透明でお洒落な大きな器に、シャツの袖をまくり上げた専務の手を入れて、ゆっくり温めもみほぐしていく。それからオイルを選んで、オイルマッサージに移る。

「お好きな香りを選んで頂きます」

 アロマのボトルの蓋を開け、専務に匂いをかがせる。

「これかな……」

「では。こちらでさせていただきます」

 眞子がいつもやってもらうように、専務の大きな手がマッサージされていく。

「う、いてっ」

「その痛いのがいいんですよ、我慢ですよ、専務」

「目がお疲れのようですね」

「うー、当たっている。でも、気持ちいいー。うー、いてて」

 優雅な香り、温めのお湯、そして刺激的なマッサージ。専務も堪能している。

 専務のマッサージが終わる。

「うわ、手がすべすべだ。ここのところ乾燥気味だったのに」

 オイルでしっとりした手を眞子に触らせてくれる。

「ほんとですね。うわー、専務。爪までつやつやですね」

「眞子さんもやってもらいな」

「いいんですか」

「眞子さんの紹介で来たんだから」

 仕事中と思って遠慮していたが、眞子もほんとうはやってほしい! そのままいつもやってもらっているように、眞子も袖をまくって小川さんの前に座る。

 今度は専務が見学。眞子がマッサージをしてもらうのを、ふざけた茶々もいれないで真顔で見ている。お洒落な黒縁眼鏡の瞳が、仕事のときの目になっている?

「うーん、確かにこれはいい。これはよろこばれるだろう」

 小川さんが首を傾げている。

「小川さん。もし、なんですけれど。今日、こんなサンプル欲しいですとお願いしたら。どのようなものを頂けますか」

 こちらからサンプルくれ――とねだっているような言い方に、さすがに小川店長が困った顔をした。

「いえ。またこちらのお店に来たくなるようなご紹介の品……みたいなものです。やはりアロマオイルですか?」

「アロマオイルは厳しく精査された輸入ものを使っておりまして。お客様にサンプルで差し上げるとなるとコストもかかりますので、それはしておりません。アロマオイルもピンからキリまでありますが、ここで使っているオイルより劣るものをお客様にお持ち帰りしていただくぐらいなら、お客様がアロマオイルを望まれてもお土産としては渡さないと決めています。ただ……」

「ただ?」

 専務の眼光が鋭くなってきた。

「少量ですが、マッサージも出来るオレンジの香りがするハンドクリームをいまはお渡ししています。よろしかったらそちらをお持ち帰りください」

「へえ、眞子さんが来た時もそれをもらって帰ったということ?」

「私のときは、ハーブのキャンディーでしたね。おいしかったです。カンナ副社長にもお裾分けしましたが、香りがいいととても気に入ってくれましたよ」

「本田さんのときは北見のハーブで作られたキャンディーを渡していたんです」

「それも気になるなあ! カンナが気に入っていたならなおさらだ。小川さん、クリームをあとで見せて頂けますか」

 小川店長はますます訝しい顔になった。

 眞子のハンドマッサージが終わると、専務のお願いどおりに、小川さんが小さな白い入れ物にはいったクリームを持ってきてくれる。

 ほんとうに一、二回使って終わり。小さな小さなクリームケース。でも白地にグレー文字という清潔感で、ハーブを思わせるイラストもちょこんとワンポイント。お洒落だった。それに開けてみるとオレンジのいい香り。これで指先をマッサージしただけでも癒されると眞子もうっとり。

 専務は真剣な真顔。ますます怖い目線になっている。そのせいか小川店長も堅い表情になってしまっていた。

「このノベルティを数百単位で取り寄せるとなると、どうなりますか」

「早ければ早いほどいいと思います。あの……」

 ついに専務が意を決したのか、脱いでいたジャケットの胸ポケットから名刺入れを出した。

「申し遅れました。わたくし、こういう者です」

 専務が名刺をだしたので、眞子も遅れて同じように差し出した。

 小川店長が名刺を見て、はっと驚いて専務を見上げた。

「だから、専務さん……でしたか。私、数年前、ここで独立する前は大通りの大手のショップでエステシャンをしていたんです。マグノリアさんのお店は何度も行きました。大人の女になったらあそこでいいお洋服を買い物。あそこの服を着ていたら大人の女。同僚の間でもそういうお店でした。ああ、だから……。そのお歳で……」

「お恥ずかしながら。父が社長で叔母が副社長をしているおかげで、若輩であるはずの自分ですが、この役職に就いております。本田はつい最近まで叔母のアシスタントをしておりましたが、いまは私の仕事を手伝ってくれています」

「本田さんも、お洋服を売る仕事をしているとおっしゃっていたけれど……。販売員さんではなくて、マグノリアのバイヤーさんだったのですね」

「今日は申し訳ありません。上司の専務が、おすすめのハンドマッサージを試したいと言い出しまして――」

 そうして誤魔化そうとしたが、専務はもうそのつもりはないよう。

「率直に申し上げます」

 本気の顔。父親の篠宮社長顔負けの男の顔になっている。

「マグノリア館で二月末にイベントをいたします。その時にお買いあげくださったお客様の特典として、店内でハンドマッサージをしてくださるセラピストの方を探しております。もし依頼をしたとして、エッセンシャル六花様はいかがでしょうか」

 六花の小川さんもびっくりした顔をしている。

「え、あの。私のような、個人経営の小さな店ですよ」

「充分でございます。私が本日していただいて、これはお客様にも体感して頂きたいと感銘いたしました。そちらのハンドクリームもお客様のお土産に発注をお願いできたらどうなるかも教えて頂きたいです」

「いえ、その。初めてのことで……突然で……」

「もちろんでございます。それに、私も上司である副社長に許可をとらなくてはいけませんので、またご連絡いたします」

 小川さんはただただ茫然として、なにも言わなくなってしまった。

 今日のところは保留ということになり、眞子と専務は六花のお店をあとにした。




「専務、あのお店で決められるのですか」

「うん。直感だけれどね。人柄も良さそうだし、マッサージも優しさをかんじた。優雅な気持ちにさせてくれたよ。安物のお土産を持たすくらいなら望まれているアロマオイルは選ばないという心意気と、あのハンドクリームも魅力的だったな」

 小雪が舞う帰り道。専務が出てきたばかりの六花のお店へと振り返る。素晴らしい手応えだったよう。

「他にも眞子さんが選んでくれたお店があるけれど……。小川さんのお店がいちばんおすすめだったのはそういうことだったんだろ」

「そうですね。三回続けて通っちゃったほどです。それに小川さんは大手のお店で経験も積んでいますし、個人経営だからこそこだわりを持っています。ゆったりと対面してくださるのも、ご自分で納得のいく品選びができるのも個人経営だから。ですけれど、お店の宣伝も必要と考えていらっしゃると思います。スケジュールも調整しやすいと思います」

「明日と明後日も、他の店に行ってみて。それでも六花がいいと思ったらあそこに決めて、カンナに勧める」

 でももうこれは六花に決まりそうだと、眞子は専務の目を見て思った。

 それに眞子もあのお店はいちばんのおすすめ。小川さんがマグノリア館で優雅にお客様にマッサージをしてくれたらきっと喜んでくれると確信できるほどの。


 その数日後、専務と他のアロマショップにハンドケアへと一緒に出かけたが、専務が最後に決めたのはやはり『六花(りっか)』になった。

 カンナ副社長に報告後、『眞子の勧めるショップであって、慎之介が気に入ったならそれで交渉して欲しい』と許可を得る。

 六花の小川店長も検討してくれていたようで、専務が連絡すると『是非、お願いいたします』と快い返答をもらうことができた。


 ただ、表向き『カンナ副社長が決めた』ということになっている。


 それに対しても眞子は異論はなかった。きっと、これも『黙ってみていろ』なんだろうと思っているから。

カンナ副社長と、甥っ子の慎之介専務。なんと話し合わなくても、どこか通じているようで、息が合っているようで。二人がなにかを見据えて、その行動を取っているのだと眞子にもわかってきたから――。



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