第百四十三話 招かれざる客



 太陽が昇るほんの少し前――妙に騒々しいと思いながらマキトが目を覚ますと、明らかに様子が変だった。

 魔物たちが既に目覚めており、皆の雰囲気がピリピリしているのだ。

 そしてそれは、ラティたちも同じであり、視線の先は森の外。つまり吊り橋のほうに向けられていた。


「あ、マスターっ!」


 マキトが起きたことに気づいたラティが、慌てて飛んでくる。


「外から誰かが近づいて来てるのです。嫌な感じがするのです!」

「うむ。どうやら曲者が数名、泉に乗り込んで来ようとしているようだな」


 長老スライムが近づきながら、ラティの言葉に続く。


「招かれざる客であることは間違いないだろう。済まんが協力してくれ。ワシらだけでは心もとないでな」

「あぁ、分かった」


 やや戸惑いながらもマキトは頷き、急いで頭にバンダナを巻く。その間に、長老とラーム以外のスライムたちが、全員茂みの中に避難した。


『よぉし、頑張るぞぉっ!』


 フォレオが凄まじい意気込みを見せている。こんなに気合いの入っている姿を見るのは初めてかもしれないと、マキトは若干引いていた。

 よく見れば、ロップルもリムも、そしてラティも、フォレオほどではないが、気合いの入れようは凄かった。

 もしかしたら昨日、魔力が増えたことが影響しているのではないか。

 マキトがそんなことを考えていたときだった。


「来たぞ!」


 長老スライムが重々しい声で呟くと同時に、泉の入り口から三人の男がニヤニヤした笑みを浮かべながら姿を見せる。

 恰好からして、それぞれ剣士と魔導師のように見えた。しかしここでラティが、中央に立つ剣士の青年を見て目を見開いた。


「あの真ん中の人から魔力の気配がするのです」

「ってことは魔法剣士か?」


 マキトの問いかけに、ラティが重々しく頷いた。


「恐らく……かなり強い感じもしますし、気をつけたほうが良さそうなのです」


 その推測は正しいだろうとマキトは思った。相手の笑みの奥に、冷たく鋭い何かを感じてならなかった。

 少しの油断も許されない。相手は間違いなく悪い敵だ。

 マキトが直感でそう思っていたところに、長老スライムが一歩前に飛び出した。


「お前さんたち、この泉に何用だ? あまり入ってこられても困るのだがな」


 睨みつける長老スライムに、三人は目を見開いた。


「スライムが喋っただと?」


 真ん中に立つ剣士の青年が呟くように言った。それに続いて剣士の男が、大声で愉快そうに笑い出した。


「こりゃすげぇな。あれも特殊なスライムなんじゃねぇのか? 従えればさらに名を売ることが出来そうだぜ?」

「どうなんでしょうね。ここには溢れんばかりの魔力がありますし、そのおかげで特別に聞こえているだけに過ぎない、という可能性もあるとは思いますが」

「んだよ、じゃあ外に出りゃあ、ただのスライムってことか? つまんねぇな」


 魔導師の青年の言葉に、剣士の男は肩を落として深いため息をつく。

 長老スライムも特に訂正も補足も必要ないと判断し、なによりムダに相手をするつもりもなかったため、特に何も言わなかった。


「まぁいいさ。会話ができるとなれば、こちらとしてもありがたいことだ。おかげで話が進みやすくなるからな」


 剣士の青年が腰の剣に手を添える。


「率直に言わせてもらう。俺たちは魔力を求めてやってきた。ここには魔力を増加できる手段があることは分かっている。それを今すぐ渡してもらおうか」

「ふんっ、貴様らに渡すモノなど、最初からないわい!」


 間髪入れずに答える長老スライムに対し、剣士の男はこめかみに青筋を立てる。


「このスライムじじいが……」

「まぁ待て。別にこれぐらいのことは予想済みだ」


 一歩前に出ながら剣を抜こうとした剣士の男を、剣士の青年が制する。


「ならば……話を聞いてもらえるようにすればいいだけのことさ」


 剣士の青年が言った瞬間、マキトたちの真上から人影が飛び降りてきた。そしてそれは後ろから、マキトの首筋にナイフをチラつかせる。


「もう一人いたのか」


 マキトの呟きに、飛び降りてきた人物――シーフの恰好をした女が、ニヤリと笑みを浮かべる。


「魔物使いが戦う力を持たない。つまり魔物が凄いだけで、ボウヤ自体は大したことがないことは、なんとなく分かっていたけど……こうもアッサリとはねぇ。残念過ぎるにも程があるわ」


 つまらなさそうにため息をつくシーフの女に、マキトはわずかに目を細める。


「そりゃスイマセンでしたね」

「ふふっ、別に気にすることもないわ。おかげで事も楽に運べるし♪」


 シーフの女は、実に楽しそうに笑い出す。三人の男たちも既に勝ち誇った笑みを浮かべていた。もう自分たちに手出しできるハズがないだろうと。

 完全に慢心から来る油断だった。スライムと見た目が可愛らしい魔物ばかりで、自分たちの脅威ではないと勝手に決めつけていた。

 実を言うと彼らは、マキトが従えている五匹の魔物たちの能力を、殆ど把握していないのだ。

 この山に入ってからというもの、マキトたちはずっとフォレオに乗って最速で飛ばしてきていたため、ラティたちが魔物と戦う機会がなかった。たとえ遭遇したとしても、獣姿のフォレオが雄たけびを上げるだけで野生の魔物は逃げ出した。

 大きな暴れん坊のサルの魔物でさえも、一瞬で怯えてしまうほどに。

 おまけにフォレオが今、獣姿ではないこともそれに拍車をかけていた。彼らは獣姿のフォレオしか知らなかった。シーフの女は、確かにマキトたちを念のため見張ってはいたのだが、フォレオが変身を解除する場面を見逃していた。

 したがって、勝ち誇った笑みを浮かべるのも無理はないと言えばないのだが、それでも大きな油断であることは確かであった。

 現にロップルがこっそりと、マキトに防御強化を施しているところを、思いっきり見逃していたのだから。


「さて、無事に人質を得ることもできたし、そろそろ交渉といこうか」


 剣士の青年は、とても気持ち良さそうに話を切り出した。


「大人しく魔力増加の手段を渡してもらおうか。さもなくば、その少年を……」

「それはどうかな」


 マキトがそう言った瞬間、何かが壊れる音が響いた。そしてシーフの女の表情は驚愕に染まった。脅しに使っていたナイフの刃が、打ち砕かれていたからだ。

 しかも、何の力を持たないハズの少年が、無造作に繰り出したパンチによって。

 この隙を突いて、マキトは拘束を逃れ、シーフの女から距離を取る。だがシーフの女も黙ってはいなかった。


「このぉっ!!」


 予備のナイフを手に取り、即座にマキトに切りかかる。しかし――


「ピィッ!」


 ラームの体当たりが、シーフの女の鳩尾を直撃し、そのまま泉へ吹き飛ばされ、盛大な水しぶきを巻き上げる。

 驚愕に包まれる三人の男たちも、すぐさま表情を切り替えた。


「くっ、あのスライムもただ者じゃないな。こうなったら力ずくで行くぞ!」

「その言葉を待ってたぜ!」

「こうなったら、僕の魔法をガツンと見せてやりますよ!」


 剣士の青年が剣を抜いて構えると、剣士の男と魔導師の青年もそれぞれ武器を手に構え出す。

 しかし――


「だったらわたしも全力で相手になるのです!!」


 ラティが叫ぶと同時に眩く体を光らせる。そして色っぽい大人の女性へと姿形を変えたことで、更に三人の男たちの表情は驚愕に包まれる。


『よぉし、ぼくだって!』


 そしてフォレオも変身を始めた。凄まじい魔力を噴き出しながら、猛々しい獣へと姿を変える。

 それを見た剣士の男は、フォレオを指さしながら叫び出した。


「ちょ、ちょっと待ちやがれ! テメェらが連れてた獣はソイツだったのか?」

「そーだよ。それが何か?」


 投げやり気味に答えるマキトに、剣士の男は苛立ちを募らせる。


「くそぉ、てっきり連れてきてねぇのかと思ってたが……とんだ誤算だぜ」

「……そういえば前に、妖精を連れた魔物使いの少年がいて、その妖精は姿を変えて戦うってウワサを聞いたことがあったが……ヤツらのことだったか」


 サントノ王国やスフォリア王国で活躍したというウワサも聞いていた。駆け出しながら、着々と強さを身につけている冒険者たちであると。

 剣士の青年は、その話が気に入らなかった。

 所詮は物珍しさを利用しているだけの弱者に違いない。もし出会ったら洗礼を与えてやらねばなるまい。そう思っていた。

 それが冒険者の先輩として、後輩を教育するためと言えば聞こえは良いが、実際のところは、単なる嫉妬でしかない。自分たちを差し置いて話題をかっさらう後輩が面白くないだけだ。

 当の本人がそのことに全く気づいていないのは、お約束と言うべきか。


「ならば尚更、遠慮はいるまい」


 そう呟くと同時に、剣士の青年の剣から魔法のオーラが噴き出した。それを見たマキトは、軽く目を見開いた。


「魔法剣士だったのか」

「道理で魔力を欲しがるワケだな」


 忌々しそうに長老スライムが呟くと、魔法剣士の青年は更に魔力を増大させる。


「まずは全力で、邪魔なヤツらを叩き潰す……行くぞっ!」

「おぉっ!」


 魔法剣士の青年の掛け声に、剣士の男が意気揚々と返事をしつつ走り出す。

 狙いはマキトだった。鍛え上げられた筋肉が膨れ上がるとともに、使い込まれた大剣が思いっきりマキト目掛けて振り下ろされる。

 しかしその大剣は打ち砕かれた。ロップルの防御強化の効果が続いていたのだ。

 ところが剣士の男は怯む様子を見せない。そればかりか、まんまと引っ掛かったなと言わんばかりに、余裕そうな笑みを浮かべていた。

 その瞬間、濡れ鼠状態となったシーフの女が、後ろからマキトに迫る。泉から這い上がるとともに、虎視眈々と反撃する機会を伺っていたのだ。

 これで魔物使いの小僧は終わりだと、剣士の男はそう確信していた。

 しかし――


「ピィッ!!」


 鳴き声とともに鈍い音が響き渡る。ラームが渾身の体当たりを繰り出したのだ。

 再び鳩尾に攻撃を喰らい、シーフの女はまたしても吹き飛ばされる。泉に落ちることだけは何とか避けられたが、物理的にも精神的にも衝撃が大きすぎて、もはや立ち上がる気力もない。


「く……スライム如きに……」


 表情を歪ませるシーフの女を見た剣士の男が、同じく怒りを燃やし、大きな拳で

マキトに殴り掛かろうとしたその瞬間――

 ――ぼおおぉぉんっ!!

 後ろから爆発音が響き渡った。

 嫌な予感がした剣士の男は、マキトから距離を取りつつ後ろを振り返る。そこには魔導師の青年が、黒コゲ状態となって倒れていた。

 そして対峙していたフォレオが、剣士の男に視線を向ける。

 剣士の男は拳を震わせ、冷や汗とともに戸惑いの表情を浮かべた。


「お前……一体何が……」

「その魔導師が放った炎の魔法をフォレオが食べて、そのまま火の玉として、ソイツにやり返したんだよ」


 淡々と説明するマキトに、剣士の男は更に表情を歪める。


「そ、そんなバカなことがあってたまるか!」

「って言われても、今の見る限り、そうとしか言いようがないし……」


 マキトが頬を掻きながら悩ましげに言う。


『なんかすっごい力がみなぎってるよ。この調子でソイツも倒してやる!』


 弾むような声で言うフォレオに、マキトが苦笑する。


「油断するなよ。このオッサンもかなりの力自慢っぽいからな」

「誰がオッサンだっ!?」


 反射的に剣士の男がツッコミを入れるが、追い詰められている事実は認めざるを得ないとも思えていた。


「くそっ、このままじゃ……おい! お前もなんとか……」


 剣士の男は魔法剣士の青年に視線を向けると、また更に驚愕する。その瞬間、膝をつく音が聞こえてきた。


「はぁ、はぁ……」

「もうオシマイなのですか? わたしはまだまだイケるのですけど?」


 両手に魔力を浮かばせるラティは、言葉のとおり余裕を残している様子だった。それに対して魔法剣士の青年は、既に立っているのがやっとな状態であり、まともに戦えるとは言い難い。


「バカな……あ、あり得るのかよ、こんなことが……」


 剣士の男は、ショックで思わずよろめいてしまう。そこに長老スライムが、ふむと頷きながら言ってきた。


「どうやらあの魔法剣士より、妖精のお嬢さんのほうが、力も早さも、そして魔法の制度も、明らかに上回っておるようだな。状態がそれを大いに示しておる」


 淡々と語る長老スライムの言葉に、検事の男は歯をギリッと噛み締める。忌々しいことこの上ないが、言い返したくても言い返せない。実際その通りだからだ。何を言ったところで負け惜しみでしかない。

 そして認めざるを得なかった。これ以上続けても状況は悪くなる一方だと。

 そう思った剣士の男は、魔法剣士の青年に代わって決断した。


「……ちぃっ、今日のところは引き下がるぜ! お前ら、さっさと立ちやがれ!」


 剣士の男の叫びに、シーフの女と魔導師の青年が、よろめきながらもなんとか立ち上がる。二人は剣士の男の言葉に従う意思を見せていたが、魔法剣士の青年はそれに待ったをかけようとする。


「待て……バ、バカなことを言うな。俺はまだ、戦え……ごぼぉっ!」


 魔法剣士の青年の顔面に、剣士の男が無言のまま拳を振るった。


「少し眠ってろ。このバカヤロウが」


 そして剣士の男は、気絶した魔法剣士の青年を抱え、マキトたちを一瞥してそのまま泉を去る。

 特に何かを言い残すこともせず、四人は逃げ出していくのだった。


「あのまま逃がしちゃっていいのでしょうか? どうせなら徹底的に叩き潰してやりたかったのですけど!」

『ぼくもなんか物足りなーい!』


 四人が逃げていった方向を見ながら、ラティとフォレオが不満そうに言う。あからさまな好戦的な様子に、マキトは若干引いていた。

 もしかしたら、これも魔力が増えた影響なのかもしれない。時間が経てば落ち着くことを、今は祈るばかりだ。

 マキトがそう思っているところに、長老スライムが小さな笑みを浮かべる。


「まぁ、落ち着け。ワシらとて、ヤツらをそのままにしておくつもりはないぞ」

「え?」


 マキトたちが一斉に長老スライムのほうを見るが、長老スライムは何も答えず、ただ笑みを浮かべるばかりであった。

 一方、逃げ出した四人は吊り橋を渡っていた。

 流石に戦闘でのダメージが大きいため、ゆっくりと渡っている状態だが、相変わらず吊り橋は丈夫であり、そう簡単におちそうはなかった。


「これで終わるつもりはねぇぞ。必ずもう一度攻め込んでやる!」


 剣士の男が苛立った声で語尾を強めながらそう言った瞬間、後方斜め上から、何かが飛んできた。

 それは吊り橋のロープを一発で貫き、ブチッという音を鳴らした。

 足元がグラつき、まともに立っていられなかった。一体何が起こったのか分からなかった。そして気がついたら――落ちていた。


「う……うわああぁぁーーーっ!?」


 剣士の男が叫ぶが、もはや成す術もない。叫び声はあっという間に遠ざかり、やがてドポンと水に落ちる音が聞こえ、そして何も聞こえなくなった。

 泉にいるマキトたちにも、叫び声は聞こえていた。何が起こったのかはなんとなく想像できたが、それでも戸惑わずにはいられなかった。


「ピーッ♪」

「おぉ、上手くやってくれたようだな」


 マキトたちの案内役を務めてくれたスライムが、木の上から飛び降りてきた。


「種明かしをするとだな。吊り橋近くの木の上に隠れていたアイツが、口から強力な酸を吐き出し、縄を切って吊り橋を落っことしたのだよ。おかげで四人は真っ逆さまに落ちていったとのことだ。これでようやく静かになったわい」


 晴れやかな笑顔の長老スライムに、マキトは引いた表情で呟くように言う。


「……随分と派手なことするもんだな」

「なぁに、ワシらの住処を荒らそうとした報いだ。運が良ければ助かるだろう」


 長老スライムはしれっと言った。そしてそれを聞いたマキトは思った。あの激流で助かる可能性は、果たしてどれだけあるのだろうかと。

 二年前に、三人の盗賊が似たような目にあって助かった記憶は確かにあるが、そうそう同じ結果が訪れるモノなのだろうかと。

 しかしマキト自身も、あの四人がどうなろうが知ったことではない。それもまた確かなことだった。

 それよりも今、とても強く思っていることが彼の中にはあった。


「やっぱりスライムも侮るもんじゃないよなぁ」

「そうですね」


 マキトの呟きに対し、ラティも頷き、そして他三匹の魔物たちもまた、同じように頷くのだった。


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