第八章 スライムの隠れ里
第百三十九話 クラーレの家、再び
ゆったりとした時間が流れていた。
木の葉が揺れる音、そして水の流れる音。その二つが合わさり、とても心地よいメロディとなって聞こえてくる。
山奥の河原で休憩するマキトたちは、それぞれが思い思いに過ごしていた。
ロップルとラームは周囲を探索したいと言い出し、ラティが付き添う形で出かけている。三匹とも魔物であるが故に、危険察知能力が非常に高いため、心配をする必要も殆ど皆無だ。
大きな木の幹を背もたれにして、マキトは足を伸ばして座っている。その傍らではリムが心地良さそうに昼寝をしており、フォレオも変身を解いた状態で、芝生の上をゴロゴロと転がっている。
きっと本当の平和というのは、こういうことなのだろう。マキトはそう思いながら青空を見上げた。
「平和だねぇ」
『すっごい静かだよねぇ』
なんとなく呟いたマキトの言葉に、フォレオが脱力しながら続けた。
『かなり山奥まで来たし、あともうちょっとだよね?』
「そうだな。この調子だったら、夕方までには着けそうだけど……いけそうか?」
マキトの問いかけに、フォレオは笑顔で強く頷く。
『うん。まだまだたくさん走れるよ!』
「そうか。この後も頼むぞ」
元気の良い声に安心しながら、マキトはフォレオの頭を撫でる。くすぐったそうに身をよじるフォレオは、そのまま飛び跳ねてマキトに抱き着いてきた。
じゃれ合う声に反応したリムが目を覚まし、寝ぼけながらもマキトのほうに身を寄せる。そしてマキトの太ももによじ登ったところで、再びお昼寝を堪能しようとしたその時だった。
「マスターっ!」
ラティの甲高い声が聞こえてきた。それと同時に茂みの中から、小さな姿が猛スピードで飛び出してきて、マキトたちの前に回り込んでくる。
慌てた表情で両手をバタバタと上下に振りながら、ラティは言おうとした。
「マスター、大変なので……」
「くきゅーっ!!」
「ふやぁ!?」
しかし、苛立つリムの鳴き声に制される。折角のお昼寝を邪魔するとは何事だ。恐らくそんな感じのことを言ってるんだろうと、マキトは思った。
どうやらそれは正解だったらしく、ラティは慌ててリムを宥めようとする。
「ゴ、ゴメンなのですリム。でも今は一大事なのですよ」
「くきゅー?」
「本当なのですってば!」
疑いの眼差しを向けてくるリムに、ラティは再度慌てながら答える。その様子を見かねたマキトが、フォレオを下ろしながらため息をついた。
「ラティは少し落ち着け。リムも今は抑えるんだ」
マキトがリムの背中を優しく撫でると、リムはなんとか落ち着きを取り戻す。そしてラティに視線を向けながら、マキトは問いかけた。
「ラティ、何があったのかを話してくれ」
「ハ、ハイなのです!」
ラティはマキトたちに説明する。やはり少し慌てた口調だったが、それでも飛び出してきたときに比べれば、幾分落ち着きは取り戻しているほうだった。
「えっ、野生のスライムが?」
「そうなのです。傷付いていて、しかも毒に侵されているのです」
話を聞いていたマキトが目を見開くと、ラティが更に強く首を縦に振る。
ラティとロップル、そしてラームの三匹が散策している途中、野生のスライムが傷付いて倒れているのを発見したのだそうだ。毒を扱う魔物にやられたらしく、毒がそのスライムの体を少しずつ回っているらしい。
猛毒ではないようだが、それでも放っておけば手遅れになってしまう。だからこうして、ラティが全速力で助けを求めに飛んできたのだった。ロップルとラームに見張りを任せた上で。
事情を粗方把握したマキトは、腕を組みながら納得するかのように頷いた。
「ラティの魔法じゃ、毒までは治せないもんな」
「近くに毒消しの薬草もなかったのです。見つけてしまった以上、放っておくこともできなくて……」
「まぁ、気持ちは分かるけどな。分かった。とにかくソイツを助けよう」
「ありがとうなのです、マスター!」
ラティが表情を明るくしながらマキトにお礼を言う。そして――
「くきゅっ!」
「え、リムが助けてくれるのですか?」
リムもラティに向かって協力する意思を示した。それを見たマキトが、嬉しそうな表情でリムの頭を撫でる。
「そりゃありがたいな。リムの浄化魔法なら、あっという間だ」
「くきゅっ」
もちろん、と言わんばかりにリムは鳴き声を上げる。そしてリムを抱え、マキトは立ち上がった。
「じゃあ、そこへ案内してくれ。フォレオは留守番を頼む!」
『おまかせあれっ!』
荷物の見張りをフォレオに任せたマキトたちは、ラティの案内で走り出す。
茂みをいくつか抜けた先に、ぐったりしているスライムと、それを心配そうに見つめるロップルとラームの姿が見えてきた。
マキトが来たことで、二匹も嬉しそうな表情を浮かべ、飛びついてくる。それを受け止めながら、マキトはスライムを見下ろした。
「本当に苦しそうだな……リム!」
「くきゅっ!」
マキトの左肩からリムが飛び降り、その小さな手をスライムに触れさせる。
リムの浄化能力が発動し、スライムに侵されている毒がみるみる消えていく。やがてスライムから苦しそうな表情が取り除かれ、うっすらと目を開けた。
「…………ピー?」
「気がついた!」
マキトの声に、野生のスライムが視線を向ける。すると次の瞬間――
「……ピキュゥッ!!」
酷く怯えた表情を浮かべたのだった。
同じスライムのラームが大丈夫だと説得し、なんとか野生のスライムの落ち着きを取り戻させる。そのおかげで、ラティたち魔物が近づいても、拒否反応を示すことはなくなるのだった。
しかし――
「それじゃあ俺も……」
「ピーッ!!」
マキトが近づこうとした瞬間、野生のスライムは再び怯えてしまう。
流石におかしいと思い、ラームとラティが再度落ち着かせつつ、野生のスライムから話を聞いてみる。その間マキトは、野生のスライムから距離を取りつつ、この状況を考えた。
魔物たちは大丈夫、しかし自分はダメ。となれば――
(ヒト……つまり盗賊か冒険者に襲われて、こうなっちまったってところか)
自然とそんな仮説が浮かび上がる。その冒険者ないし盗賊の中に、毒を扱う者がいたとしても不思議ではない。
この近くの道は以前も通ったが、毒を使う野生の魔物は出てこなかった。現に今も魔物が飛び出してくる様子は全くない。
ならばやはり、このスライムは誰かに襲われてこうなったと考えるべきだろう。つまりその襲った誰かが、この近くにいるということになる。
(魔法、調合薬……毒の攻撃も色々あるからな。悪いヤツじゃないと良いが……それこそここで考えても仕方がない話か)
そうマキトは思い、傷を癒した野生のスライムに群がる魔物たちに声をかける。
「皆、そろそろ戻るぞー!」
「ハーイ」
ラティが手を上げて返事をすると、他の魔物たちも次々と鳴き声で返事をする。四匹の魔物たちが、笑顔でマキトに向かって行く姿を見て、野生のスライムは不思議そうな表情を浮かべていた。
もっともそれにマキトたちが気づくことはなかったが。
マキトたちはそのまま、特にスライムに別れを告げることなく、元来た道を引き返していった。
ラティだけがちらりと振り返るなり、小さく手を振ってそのまま去っていった。
一匹だけ残されたスライムは、そのままマキトたちが去っていった方向を見つめていたが、その後違う方向の茂みに姿を消す。
誰もいなくなったその場所を、遠くからずっと見ていた姿が二つあったことも、マキトたちやスライムが気づくことはなかったのであった。
「あれがウワサの魔物使いか」
「どんなのかと思いきや、フツーの男の子にしか見えないわね」
シーフの女がつまらなさそうにため息をつくと、剣士の男はニヤリと笑う。
「実際そんなもんだろうぜ。魔物使い自身に戦う力はねぇ。他の冒険者と一緒にするほうが間違ってるさ」
「それは、まぁ、そうかもしれないけど……」
剣士の男の言葉に、シーフの女も渋々ながら同意する。それでもやはり、どこか納得しきれない様子であった。
「あれだけ珍しい魔物を何体も従えてるのよ? ちょっとぐらい、凄いっぽいところがあっても良さそうじゃない?」
「お前が言ってるのは外見のことだろ。期待外れだったからって拗ねるなよ」
「別に私は拗ねてなんか……」
そっぽを向きながら呟くシーフの女に対し、剣士の男は苦笑を凝らす。
「分かった分かった。ひとまず俺たちも戻ろうぜ」
「ちょ、本当に分かってるんでしょうね? 私は拗ねてなんかないんだから!」
「へいへい」
必死に取り繕おうとする女と、それを適当にあしらう男。そんな二人の声も、程なくして聞こえなくなった。
◇ ◇ ◇
空がオレンジ色に染まる中、マキトたちはクラーレの家に到着した。
しかし家の明かりは全くついておらず、少し前に訪れた時と変わってない感じがしてならなかった。
ゆっくりと扉を開けてみるが、やはり人の気配がしない。全ての部屋を回ってみたが、やはり誰もいない。
リビングの明かりをつけ、マキトたちはひとまず落ち着くことにした。
「やっぱじいちゃん、どっか別の国に行ってるのかな?」
木の椅子に腰を下ろし、深い息を吐きながらマキトが言った。
「シュトル王都にはいなかったですからね。その可能性は高いと思うのです。あのおじーちゃんのことだから、きっと元気にやってるのでしょうけど」
「あり得るな」
ラティの言葉に、マキトは苦笑を凝らす。
「まぁ、これも予想はしていたから、別に良いさ。日も暮れてきたし、メシの準備でもしよう」
マキトが立ち上がると同時に、魔物たちも動き出した。
持ち前の保存食を使って温かいスープをこしらえ、遊びに来ていた顔なじみのスライムたちにもご馳走する。
食事中、マキトはラティを通して、スライムたちからも話を聞いた。
マキトたちが戻ってくるまでの数週間、ヒトらしき姿は誰も見ていないらしい。近づく気配すらなかったようだ。
要するに、取り立てて変わったことがないということでもある。
少なくともこの山奥では、平和で静かな時間が流れていた。それが分かっただけでも良かったと、安堵の息を漏らすマキトであった。
やがて食事が終わり、夜が更ける。
以前、マキトが寝床として使わせてもらっていた部屋はそのままとなっており、魔物たちと一緒にその部屋で眠ることにした。マキトが戸締りを確認して部屋に戻ってきたときには、既に魔物たちは夢の中へと旅立っていた。
心地良さそうな寝顔に微笑みつつ、マキトもベッドの中へと潜り込む。天窓から見える星空を見つめながら、これまでのことを思い返した。
「もう二年か……なんかあっという間だったな」
思えば辛いことも苦しいこともあったが、やはり魔物たちの旅は楽しい。そう心から思える自分がいる。
何だかんだで旅は続けてこれた。少しは成長したのだろうか。
スフォリア王国への国境で、ディオンからハッキリと言われた言葉が、ふとマキトの脳裏に蘇る。
『キミはどうやら、冒険者としてはまだまだのようだな。ようやく半人前になれたってところか』
あれから一年半が経過したところで、ディオンと再会した。そこでは特に何も言われなかったが、果たして彼はどう思ったのだろうか。
もし今度どこかで会ったら、勇気を出して聞いてみるのもいいかもしれない。そうマキトは思っていた。
(そういえば……この家から旅立つ前は、まだ三匹しかいなかったっけ。スラキチは元気でやってんのかな?)
エルフの里でコートニーとともに別れて以来、一度も会っていない。ウワサ話すら聞いていないため、現在どうしているのかを全く知らないのだ。
もっとも、悪い情報も聞いてはいないため、きっと今も、普通に修行を頑張っているのだろうと、そう思うことにした。
いつかどこかで再会できることを、ひっそりと願いながら。
(一匹別れて四匹に、しかしその後にもう一匹増えた。それが……)
マキトは顔を横に傾け、ロップルと寄り添って眠るラームに視線を向ける。
「ピキュゥ~」
気持ち良さそうな寝顔に、思わず表情が緩んでしまう。出会ったときはあんなに敵意を剥き出しにしていたのに、すっかり皆とも仲良くなった。
そして強くなった。これといって特別な力を持たない普通のスライムが、周囲を驚かせ、そして評価を改めさせるまでに至った。
スライムも立派な魔物の一種であり、決してバカにしてはいけないのだと。
それをマキトは、他ならぬラームから教わったのであった。
(コイツと出会ったのもスフォリア王国……そう言えばあの時も、こうしてラームと一緒に、星空を見たっけな)
マキトは再び天窓から見える星空を見上げながら、ラームをテイムした数ヶ月前のことを思い出すのだった。
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