第九十八話 ロップルの選択
森の中を逃げるマキトたちは、途中に見つけた岩穴の中に姿を隠していた。
かなり長い距離を走っていたせいか、それぞれ息を切らせている。しかしひとまず落ち着けるという安心感からか、表情が幾分和らいでいた。
「はぁ、はぁ……なんとか逃げ切れたかな?」
荒い息を整えようとしつつ、マキトが岩穴の外を襲る襲る覗いてみる。ラッセルらしき姿はどこにも見当たらなかった。
「安心はできないのです。悪い魔力に憑りつかれてますから、わたしたちの居場所なんて、すぐにバレてしまうと思うのです」
「……そうか。まぁ、そうだよな」
ラティの言葉に、マキトは肩を落としつつも納得する。シルヴィアの一件を思い出したのだ。あんなに遠くまで逃げたというのに、一直線に追いかけてきた。恐らくラッセルも例外ではないだろうと、マキトはひっそりため息をつく。
「ミュ、ミュミュミュッ!」
そこにフェアリー・シップが、なにやらマキトたちに話しかけてきた。いつものようにラティが聞き取り、それをマキトに伝えていく。
聞いている途中でマキトの目が見開かれる。表情こそあからさまに出してはいなかったが、ロップルも驚いている様子ではあった。
「なるほどな……コイツの話は大体分かったよ」
ラティの通訳を聞き終えたマキトは、ふぅと長い息を吐いた。
「ロップルの仲間がこの近くにいるけれど、こんな騒ぎが起こった以上、もうこの近くにはいられない。隙を見て仲間たちの元に戻り、皆で住処を移動しようと考えている。だから、ロップルが戻りたいと考えているなら今しかない。要はそういうことだろ?」
「そういうことなのです。しかも状況からして、悩んでる時間もないかと」
話の内容を要約したマキトに、ラティが重々しい表情で頷いた。
フェアリー・シップたちが安全を考えて住処を移動する。これについては別に驚くことではない。問題はそれにロップルが関係していることであった。
マキトとしては、ロップルを他の仲間たちにも会わせてやりたい。しかし状況がそれを許してくれない。
ロップルはどっちと一緒に行くかを選ばないといけないのだ。それも今すぐに。
(もしも帰りたいっていうんなら、俺たちはそれを受け入れるしかないよな)
心の中で別れる覚悟を決めたマキトのところに、ロップルが歩いてきて――
「キュウッ!」
いつものようにマキトに飛びつき、そして頭の上によじ登った。
「えっと……ロップル?」
「キューキュー」
戸惑うマキトの頭の上で、ロップルは顔をスリスリさせる。その姿にラティが、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「ロップルはマスターと一緒に行くことを選んだみたいですね」
「そうなのか?」
「キュッ!」
マキトの問いかけに、ロップルは元気よく頷いた。その表情に迷いはない。否、最初から迷うまでもないという感じに見える。
今のロップルが帰る場所は、マキトたちのところなのだ。それをロップルが自ら選択したのであった。
フェアリー・シップも最初は呆然としていたが、やがて納得したと言わんばかりに小さな笑みを浮かべる。
重々しい空気が和らいだと思ったその時――
「……くきゅー!」
何かに気づいたリムが、岩穴の外を見ながら叫ぶ。そしてラティも、表情を強張らせながら気配を察知していた。
「この感じ……ラッセルが近くまで来てるのです!」
「もう追ってきたのか。ここも危険だな」
そしてマキトは、フェアリー・シップに視線を向ける。
「お前はしばらくここで隠れてろ。俺たちがアイツを引きつけるから」
「仲間の皆さんに、どうかよろしくなのです」
「キューキュー」
ラティに続いてロップルもフェアリー・シップに別れを告げた。仲間たちによろしく伝えてと、手を振りながら。
「行くぞっ!」
マキトの掛け声で、フェアリー・シップ以外の全員が岩穴から飛び出した。
遠ざかっていくロップルは、振り返らずに前だけを見ていた。既に気持ちは目の前の戦いに向けられているのだ。
同時に、自身の選択に迷いはないという、なによりの証明でもあった。
「ピキーッ!!」
スラキチが叫んだ方向を見ると、そこには闇のオーラを纏ったラッセルがいた。
相手もマキトたちを見つけ、途轍もなく嬉しそうな笑みを浮かべる。その感情に反応したのか、闇のオーラが狂わんばかりに吹き荒れていた。
「ようやく見つけたぞ。大人しく観念するんだな、この悪党が!」
いや、むしろアンタのほうがよっぽど悪党に見えるよ。マキトたちは揃ってそう思っていた。
ここまで執拗に追いかけてくる以上、ラッセル自身にもそれなりの考えとやらがあるのだろうと思えてはくる。しかしマキトは、うっとおしそうな表情を浮かべながら思う。
(ラッセルのやっていることは、一方的な言いがかりをつけて一方的に攻撃をしてきているだけだ。あれじゃ、弱い者イジメと何ら変わりないじゃないか)
おまけに本人は正義の意志で行っていると本気で思い込んでいる。下手な暴走よりもよっぽどタチが悪い。
少なくとも話して分かってもらえる相手ではない。そう思いながらマキトは、今の自分がするべきことを考えていく。
(とにかくフェアリー・シップを逃がさないと。そのためには……)
マキトがスラキチに視線を向けると、スラキチも見上げてきて、互いにコクリと頷き合う。そして――スラキチの炎がラッセルに放たれた。
「――フンッ!」
ラッセルは忌々しそうな表情で、飛んでくる火炎弾を軽々と振り払う。その隙を突いて、マキトたちは再び逃げ出すのだった。
「こっちだ、ラッセル!」
「チョコザイな……このオレから逃げられると思うなよ!!」
ラッセルは剣を抜き、怒りの形相でマキトたちを追いかける。
やがて彼らの姿は森の奥へと消えていき、岩穴周辺はすっかりと静けさを取り戻していた。
「ミュ……ミュッ!」
ロップルたちが去っていった方向を、フェアリー・シップがしばし見つめ、そして反対方向へと走り出す。
宣言したとおり、仲間たちの元へ伝えようとしているのだ。
全速力で走り続けるフェアリー・シップの脳裏には、マキトの頭の上で幸せそうにしているロップルの笑顔が、何故か浮かんで離れることがなかった。
◇ ◇ ◇
エルフの里の訓練場の一角に、大きな炎による爆発が起こった。
アクシデントではなく、あくまで魔法の練習によるモノではあったが、それでも滅多に起こるような大きさの音ではなかった。
しかしその爆音も、この短時間で何回も続いていれば、周囲からの反応も次第になくなってくる。今日一番に大きい音だったなと、どこかで誰かが呟いていた。
そして爆発を起こした張本人も、最初は周囲への迷惑を気にしてビクビクしてはいたが、今は堂々とたくさんの魔法を打ち込みまくっている。
心なしか魔法を放てることに喜びを覚えている節も見られているが、本人が自覚しているかどうかは微妙なところであった。
「ふぅ……大分しっくりくる感じはしますが、まだまだかもしれませんね」
自身の杖を見ながら、セシィーが表情を引き締める。そして――
(もう一度、今度はもっと大きく……って、あれ?)
セシィーが再度魔法を発動させたが、見事に暴走させてしまい、自分も爆風に巻き込まれてしまった。
幸い少し吹き飛ばされただけで、大事には至らなかったが、それでも十分に危険だったと言える。セシィーは起き上がりながら、目の前の光景に視線を向けた。
(失敗しちゃいましたね……浮かれていた、ということでしょうか?)
ただただ喜びに任せていただけで、集中力も欠けていた。それでは失敗して当然だと、セシィーは恥じる。
その時、数時間前にコートニーから教わった言葉を思い出した。
(上手く行きかけた時こそ慎重になれ。コートニーさんの言葉が理解できたような気がしますね。お父様の受け売りらしいですけど)
魔導師に限らず、修行をする者全てに当てはまる言葉らしい。
確かに冒険者というのは、常に危険と隣り合わせだ。一つの失敗が大惨事に繋がることだって、普通にあり得る話なのだ。
改めてそう思ったセシィーは、杖を握る手に力を込める。
「もっと頑張らないとですね。ただ大爆発を起こすだけでは務まりませんし」
「そう卑下することはありませんよ。アナタは十分に素晴らしいです」
「いえ、私なんてまだまだです……えっ?」
突如現れた第三者の声に、セシィーは思わず呆けた顔を浮かべ、慌て気味に周囲を見渡す。
するとそこには、真っ赤なローブに身を包んだ、いかにも怪しい人物がいた。
顔はフードに隠れていて良く見えないが、声からして男に思える。ニヤリとした笑みが、妙な胡散臭さを感じさせる。
疑いの眼差しを向けるセシィーに対し、ローブの人物は小さく笑った。
「これはすみません。驚かせてしまったみたいですね。僕は別になんてことない、ただの通りすがりの魔導師ですよ」
絶対にウソだ。セシィーは心の中で強く叫んだ。
一体この人は何者なのだろうか。そもそもどうして自分に声をかけてきたのだろうか。そう考えれば考えるほど、セシィーの頭は混乱に満ちていく。
チラリと周囲を見ると、訓練場には自分たち以外、誰もいなくなっていることに気づいた。
流石に一人もいないのはおかしい気がする。そう考えたセシィーの気持ちを読み取ったかのように、ローブの人物が頷きながら言った。
「別に驚くことでもないでしょう? あれだけたくさん爆発を起こせば、誰だってその場から離れたくなりますよ」
セシィーはそれを聞いて、顔に熱が込められてくるのを感じた。
夢中になって魔法を打ちまくっていた記憶はある。しかし冷静さを保っていたという自信がない。
このまま縮こまりたいという気持ちに駆られてくるが、それも恥ずかしすぎる。だからせめて話題を変えようと、セシィーは必死に頭を働かせ、そして訪ねた。
「そ、そういうアナタは、一体何の用でしゅか?」
噛んだ。紛れもなく噛んでしまった。物理的な痛みはないが、セシィーは自然と口を閉じてしまう。
恐る恐るチラリと相手の表情を見てみると、ローブから除き出る口元は、全然変わらない笑みを浮かべていた。
相手が一体、何を考えているのか分からなかった。既に顔から熱は引いており、目の前にいるローブの人物に対して、疑惑どころか恐怖すら抱いていた。
これ以上、この人とは関わらないほうが良い。
そう思ったセシィーが去ろうとしたその時、訓練場にドカドカと駆けつけてくる足音が聞こえてきた。
「おい、キサマ! そこで何をしている!?」
駆けつけてきた数人の冒険者。そのリーダー格らしき一人の男が、一歩前に出ながらローブの人物に対して威圧する。
自分に向けられていないことは分かっていながら、セシィーは思わずビクッとしてしまった。しかし肝心のローブの人物は、堂々と涼しい笑みを保っていた。
「別に何もしてませんよ? ねぇ?」
ローブの人物が飄々とした態度で、セシィーに同意を求める。それに対してどう答えたらいいのか、セシィーには分からなかった。
その姿が脅しに見えたのか、リーダー格の男の表情が怒りに染まる。
「とにかく、俺たちと一緒に来てもらおうか。本当に怪しくないのであれば、それを証明してもらわんとな」
リーダー格の男がローブの人物の腕を掴もうとしたその瞬間、ローブ人物は魔法を発動する。
駆けつけてきた冒険者たちは驚愕に染まっているが、セシィーにはそのカラクリがなんとなく分かっていた。
恐らく、バレないように発動して、コッソリ仕込んでおいたのだろうと。
だからこそセシィーは、別の意味で驚いていた。その運用方法がどれだけ難しいかを考えれば、驚かない魔導師はいないだろうと思っていた。
黒い魔力を吹き荒れさせながら、ローブの人物はセシィーのほうを振り返る。
「すみませんでした。騒がしい場面を作り出してしまって。アナタの才能が進化する日を、心から楽しみにしておりますよ」
ローブの人物がセシィーにそう告げると、黒い魔力にすっぽり包まれる。そして魔力が晴れると、ローブの人物は忽然と姿を消していた。
残された一同は呆然とするが、すぐさまリーダー格の男が我に返り、セシィーに近づきながら話しかける。
「嬢ちゃん、なんともなかったかい?」
「え、あ、はい。おかげさまで」
「そりゃ良かった。しかし、アイツは一体何者だったんだ?」
リーダー格の男が誰に語り掛けるわけでもなく疑問を浮かべるが、他の冒険者たちも首を傾げるばかりであった。
その時、訓練場の入り口から一人の老人が歩いてきた。
「ライザックという名の魔導師で間違いないだろう。懐かしい魔力の気配がしたから来てみたが、大当たりだったようだな」
手を後ろに組んで、ゆっくりと歩いてきたのはセルジオだった。言葉のとおり、懐かしむような笑みを浮かべていると、リーダー格の男が問いかけてきた。
「セルジオさん、アイツのことをご存じで?」
「昔、ちょいと色々あってな。もしヤツのことについて知りたいのなら、里にいる古株の魔導師たちにでも聞いてみなさい。それはともかくとして、お前さんたちもご苦労だったな。もう戻っていいぞ」
セルジオは冒険者たちにそう通達し、早く行きなさいと暗に言った。
リーダー格の男を筆頭に、話を聞きたがっていた様子を見せていたが、これ以上粘っても仕方がないと判断したらしいリーダー格の男が、行くぞと言って訓練場の外へ向かって歩き出す。
やがて訓練場には、セルジオとセシィーの二人だけが残った。セルジオはふぅとため息をつき、セシィーに視線を向ける。
「さて、少しばかり雲行きが怪しくなってきたし、ワシの屋敷にでも行こうか」
セルジオの言葉に、セシィーは疑問を浮かべて首を傾げる。
「別に雨が降るような天気には見えませんよ?」
「それとはまた別の意味だ。少しばかり、お前さんに話したいこともあるからの。さぁ、行こうか」
セシィーの返事を待たぬまま、セルジオは歩き出した。これも暗に選択の余地はないと言ってるのだろう。少なくともセシィーにはそう思えていた。
「……分かりました」
どうにも納得がいかない表情で返事をしつつ、セシィーはセルジオの後について歩き出した。
そんな二人の周囲を、レドリー率いる隠密隊が見張っていることを、セシィーが気づくことは終ぞなかった。
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