第八十六話 情緒不安定な魔法剣士
オースティンとセド、そしてバウニーに別れを告げ、ラッセルたちは部屋を後にし、再び王宮の廊下を歩いていた。
目指すは町。美味しい食べ物と飲み物をたらふく楽しめる場所を求めている。そこで何を食べようか、どんな酒を飲みつくそうか、そんな会話がオリヴァーとジルを中心として繰り広げられる中、ラッセルは一人、心の中で考えていた。
(まさか、セド様とマキト君が友達になっているとはな……キラータイガー亜種の子供を手懐けたのも、大いに納得できる。それに……)
ラッセルはジルと楽しそうに笑うアリシアを見る。
(彼らの傍にはアリシアがいた。オースティンの言うとおり、マキト君とはずっと一緒に旅をしていたのだから、その関係でもうしばらく一緒にいるというのは、まぁ普通に分からなくもない。まだ俺たちも帰ってきてなかったから尚更だ)
全面的に納得はしている。そのハズなのに、どうしてか胸にモヤモヤが宿っている。ラッセルはそれが妙に気持ち悪くて仕方がなかった。
(少なくともセド様は、アリシアがマキト君の仲間であると思われていた。アリシアは話していなかったというのか? そもそもセド様だって、冒険者ギルドで活動をされていたのだから、俺たちのことを知っていてもおかしくないハズなのに……くそっ、俺はどうしてこんなにイライラしているんだ!?)
ラッセルは隠れて拳を握り締め、少しでも苛立ちを緩和させようとする。しかしそうすればするほど、心の中でモヤモヤが増えていくばかりであった。
ちなみにラッセルは知らないことだが、セドもラッセルたち四人の存在については、ちゃんと知っていたのだ。
しかし様々な事情が重なり、四人の顔を拝む機会に恵まれなかった。特にここ数年に至っては、ミネルバのセドに対する陰湿な嫌がらせが増えていたこともあり、ギルドへ顔を出すことすらままならない始末だったのだ。
それでもラッセルとオリヴァーは、オースティンとの友好関係もあって、王宮で直に顔を合わせることもあった。しかしアリシアとジルは、大抵ギルドかどこかで留守番していたため、女子二人と顔を合わせることは終ぞなかったのである。
そんなセドがマキトたちと一緒にいるアリシアを見て、彼女がラッセルの仲間であることに気づかなかったとしても、普通に考えれば仕方のない話だろう。アリシアも自分たちの事情は特に話していなかったのだから、尚更である。
しかしラッセルは、当然この事実を知らない。故にそれは誤解となって広がり、頭の中を支配していくのだった。
(アリシアは俺たちの仲間だ! それなのに彼女は、そこまでマキト君と仲良くなっていたというのか!? 俺たちと一緒にいるのが普通であるハズなのに……)
考えれば考えるほど、拳を震わす大きさが増してくる。何かを叫び出しそうになり、気づけば必死に歯を食いしばっていた。
立ち止まれ、これ以上は危険だ。そんな言葉が聞こえたような気がした。
自然と頭が冷えてくる。顔がとても熱く、額には汗がにじみ出ていた。いつの間にか王宮の出口まで歩いて来ていた。思わず周囲を見渡してみると、ジルの驚く表情が飛び込んできた。
「ど、どしたの?」
「いや、なんでもない……気のせいだったようだ。さぁ、早く町へ行こうじゃないか」
ラッセルはとりあえずそう言ってごまかした。急に元気な声を出したせいで、三人を余計に驚かせる結果となったのだが、ラッセルは全く気づいていない。
外はとても晴れていた。透き通る青空に、程よく冷たい風が肌を撫でる。それが実に心地良く、嫌な気持ちも全て吹き飛ばしてくれそうなほどであった。
しかしそれでも、ラッセルの気持ちは、何故かちっとも晴れることはなかった。
◇ ◇ ◇
その夜、ラッセルは夜の王都の町を一人、散歩に出ていた。
とある町のレストランで、美味しい料理と飲み物を心行くまで堪能した一行は、現在それぞれの時間を過ごしているのだ。
オリヴァーとジルは、腹も気分も最高潮に満たされ、宿屋のベッドに飛び込んだ瞬間グースカといびきをかき始めた。アリシアは友達の女性魔導師が同じ宿屋にいたことを知り、夜のガールズトークに花を咲かせている。
ラッセルが宿屋の廊下を歩いていた際、アリシアたちの話が耳に入ってきたのだが、その内容に思わず心をザワつかせ、気がついたら駆け足で宿屋を出ていた。
既に夜も遅いというのに、大通りは明るくて賑やかだった。
どこかで串焼きの一本でも食べていこうかと思ったが、流石に無理だなとラッセルはすぐにやめた。もうこれ以上、自分の腹に食べ物を入れる余裕はなかったのだ。
「はぁ……」
ラッセルは思わずため息をつく。その瞬間、周囲の賑やかな声が、更に輪をかけて大きくなったような気がした。
普段は何も感じない大きな笑い声が、何故だか酷くイライラしてしまう。人の動きが目を惑わせていく。あちこちに灯っているランプの明かりが、眩しすぎてならない。
こんな気持ち悪い場所になんていたくない。そう思った時には、既にラッセルは走り出していた。
「はあっ……はあっ!」
どのくらい走り続けただろうか。気がつくとラッセルは、真っ暗で人気のない路地裏に立っていた。
遠くから大通りの喧騒が聞こえてくる。近くの石壁にもたれかけ、星空を見上げる。家が立ち並んでいるため、見える範囲は限りなく狭い。平原とは大違いだなと、思わずラッセルは小さく噴き出してしまった。
「……何をしているんだろうな、俺ってヤツは……情けないったらありゃしない」
呟き声が闇に消えていくのを感じつつ、ラッセルは改めて、自分の中に焦りが生まれていたことに気づいた。
アリシアが自分の元から離れていくような気がした。数ヶ月ぶりに見た彼女の姿は、まさに見違えるほど大きく見えた。どっしりと落ち着いており、年下のハズなのに年上の風格すら感じた。
ラッセルの目には、それが途轍もなく怖く思えてしまったのであった。
(予想すらしていなかったな。アリシアに追い越される恐怖を覚えるとは)
正確に言えば、彼女の精神的成長をナメていたと言ったほうが正しいだろう。同性のジルでさえ、ところどころでアリシアに対し、戸惑いながら接している部分も見られたくらいだったのだ。
それでもジルはすぐに順応し、まるで姉が出来たかのように甘えていた。オリヴァーも普通に彼女の成長を喜び、気持ち良さそうに炭酸の入ったジョッキを煽っていた。
戸惑いを打ち消せなかったのは、ラッセルだけだった。
(どうかしているな。本当ならリーダーとして、彼女の成長を喜ぶべきなのに)
むしろ笑顔とは程遠い、嫉妬や焦りという気持ちに満ちていた。
幼なじみで何年も一緒にいる自分よりも、たった数ヶ月の付き合いでしかない年下の少年を選ぶのかと。自分の知らない数ヶ月の間に、もう殆ど自分が気に掛ける必要すらないくらいに、精神的に大きく成長してしまったのかと。
実はこの数ヶ月で、一番変化がないのは自分かもしれないと、ラッセルはかなり本気でそう思うようになっていた。
同時に、アリシアの成長が悔しくて仕方がないと、自覚せざるを得なかった。
リーダーは常にトップであるべきだという固定概念が、ラッセルの考えを頑なに縛り続けているのだ。
そしてラッセルが悔しがるもう一つの原因は、マキトにあった。
『あぁ、そういえばアリシアって、ラッセルのパーティだったっけ。魔物使いの少年と仲良さげだったから、なんだかすっかり忘れちまってたよ♪』
あくまでごく一部だが、町の兵士や冒険者たちがそんな言葉を放っていた。それでもラッセルの心に衝撃を与える材料としては、十分過ぎるほどであった。
別にマキトとアリシアの間に、特別な関係性がないことぐらい分かっている。長い旅の苦楽を共にして、友達という絆を深めただけだ。
そう思えば思うほど、ラッセルの中に苛立ちが募ってくる。
自分が何年もかけてコツコツと積み重ねてきたモノが、たった数ヶ月という短い期間で追い越された。
少なくともラッセルは、そう感じていた。
(……宿に戻るか)
深いため息をつきながら、ラッセルが踵を返そうとしたその時だった。
「随分と心が粗ぶっておられますねぇ♪」
ねっとりとした明るい男の声に、ラッセルはゾワッと背筋を震わせつつ、慌てて周囲を見渡してみる。すると暗闇の中から、ワイン色のローブを羽織り、頭に深くフードを被った人物が出てきた。声からして男に聞こえるが、断定はできない。
ラッセルは身構えながら、ローブの人物に声をかける。
「何者だ?」
「ただの通りすがりの魔導師ですよ。情緒不安定な魔法剣士さん♪」
見るからに怪しすぎる。自分に何の用で話しかけてきた。そもそも自分が魔法剣士であることを、何故知っているのだろうか。
そんな考えが交錯する中、ラッセルはローブの人物から目を離さない。
(魔導師である、というのは確かなようだな。上手く隠しているが、強い魔力を秘めていることがよく分かる。そしてそれを隠せるほどの魔力操作……タダ者じゃない!)
少しでも目を逸らせば、どうなってしまうか分からない。しかしこのままずっと睨み合っているワケにもいかない。そう思ったラッセルは、意を決してローブの人物に尋ねてみることにした。
「何の用だ? そんなに俺の姿が、おかしく見えたとでも言うつもりか?」
とりあえずのつもりで聞いた言葉だったが、後にこれが大きなミスであったことを、ラッセルは後悔することとなる。
「えぇ、とってもおかしくて笑えてきてしまいましたよ♪」
その瞬間、ラッセルの眉がピクッと動く。それはローブの人物も把握しており、更に口元をニヤッとさせてきた。
「自分の筋書き通りにいかなくて、苛立って拗ねているお子様の姿は、いつ見ても滑稽極まりないですからね♪」
「なっ、そっ……ぐうぅっ!」
そんなワケがない、と言いたかった。しかし言葉が喉元で止まってしまい、出したいのに出せない。結局ラッセルは言葉を飲み込んでしまい、再びローブの人物を睨みつけるが、その迫力はかなり削げ落とされていた。
「どうしました? 言いたいことがあるのなら、ハッキリ言えばいいでしょう?」
「うるさい! この俺をバカにするのもいい加減にしろっ!! これでも俺はギルドでかなりの経験を積んできたんだ。言葉に気をつけないと痛い目を見るぞ!!」
激しい怒りとともに、ラッセルは腰の剣を抜いて、ローブの人物に突き出す。それを平然とした様子で見ながら、ローブの人物は深いため息をついた。
「はぁ……今のアナタにそれを言われても、単なる強がりにしか聞こえませんね」
「なんだと?」
恐ろしく低い声を出しながら、ラッセルはローブの人物を睨みつける。
それは多くの冒険者が委縮しかねないほどの表情であったが、相も変わらずローブの人物は、涼しげな態度で再度ため息をつく。
「構いませんよ、切りかかって来ても。言ったところで分からないでしょうからね」
「……その言葉を口にしたことを後悔させてやる……ぅらあああぁぁーっ!!」
ラッセルは掛け声とともに、迷いなくローブの人物に剣で切りかかりに向かう。
対してローブの人物は、全く身構えようともせず飄々と立ち尽くしながら、不気味な笑みをニヤリと浮かべるのだった。
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