第七十八話 狂い果てた笑い声
馬車が刻一刻と王宮に迫る中、フィリーネの表情も険しさを増していた。
特に気になるのが、さっきから爆発音が、立て続けに鳴り響いていることであった。何かが壁や床などに激突する鈍い音。壁に出来上がる大量の亀裂。そして肉眼でも分かる砂埃。それら全てがフィリーネの心を掻き立てていた。
時折聞こえてくる笑い声が、更にフィリーネの顔をしかめさせる。
「ミネルバ……」
聞き間違えるハズがない娘の声。それがどんなに狂気な笑い声であろうとも。
だからこそ、一刻も早く確認したかった。ほんの少しでも取り返しのつかない状況になっていないことを、嫌な予感とともに期待しながら。
フィリーネは馬車を急停止させると同時に、御者台から飛び降りる。そして王宮の中へ飛び込んだ瞬間、その惨状に驚いた。
「っ……これは……!」
「おやおや、女王様ではございませんか。どうもご無沙汰しております♪」
絶句していたところに、ビーズの場違いな明るい声が響き渡る。しかしフィリーネは相手にすることなく、ボロボロになって倒れている息子の姿を見つけて駆け寄った。
「オースティン! しっかりなさい!」
「は……はは……う……」
何とか目を開けて、フィリーネの存在を確認するオースティンの意識は、もはやいつ途切れてもおかしくなかった。
「無理に喋らなくていいわ」
フィリーネは魔法で応急処置を施す。魔法では治しきれないほどの大きなダメージを残していたが、辛うじて命に別状はなさそうなのが救いであった。
オースティンの息が少しだけ落ち着いたところで、フィリーネは立ち上がる。そして歪んだ笑みを浮かべる二人に目を向けた。
「ミネルバ、アナタは自分のしたことが分かっているのですか?」
「えぇ。お兄様に少しお仕置きをしておりましたわ。別にお兄様なら、あの程度で死ぬなんてことはないでしょうから、そんなに気にすることもありませんわよ」
清々しい笑みを浮かべるミネルバに、悪びれは一切感じられない。むしろ正しいことをしたのだと、そう言っているかのようであった。
もはや説得など不可能だ。フィリーネはそう思いながら、ミネルバたちを睨みつける。
「母親としても、一国の女王としても、この惨状を許すわけにはいきません。この責任はしっかり償ってもらいます。勿論アナタもですよ、ビーズ!」
「おー、それは怖いですねぇ♪」
フィリーネの睨みにも、ビーズは全く臆する様子を見せない。もっともフィリーネも予測していたのか、特に反応することはなかった。
ここで、辛うじて動けるようになったブレンダが、痺れる体に鞭を打ちつつ声をかけてきた。
「女王様……お、お気をつけください……」
「よく戦ってくれたわねブレンダ。もう少し待っていて。すぐに終わらせるわ」
フィリーネがブレンダにねぎらいの言葉をかけると、改めてミネルバとビーズに視線を向け、そして右手人差し指を突き出しながら、高らかに言い放つ。
「覚悟しなさいミネルバ。この母が直々に制裁を与えて差し上げます!」
「面白いですわね。本当に出来るモノならやってくださいな!」
その瞬間、母娘二人の魔力が膨れ上がる。まるで暴風のように吹き荒れ、散らばっていた瓦礫までもが飛び交っていた。
ブレンダはその光景に驚愕しながらも、なんとか這いつくばって移動しようとする。少しでも巻き込まれないように離れるためであった。
『はああああぁぁぁーーーーっ!!』
フィリーネとミネルバの魔力が解き放たれようとしていた。互いが互いに、最大級の魔法を打ち込むことに集中していた。
そのおかげで、ビーズがニヤリと唇を釣り上げていたことに、二人は全く気づいていなかった。
「ひゃあぁっ!」
バチィン、と大きく弾けた音が響き渡り、二人の魔力が完全に消失する。ミネルバはその衝撃で吹き飛ばされてしまった。
そしてフィリーネは――
「これは!?」
突如生成された魔力の壁に、閉じ込められてしまっていた。
「ふぅ、ようやくこの時を迎えることができましたか……実に長かったですねぇ」
頭をボリボリ掻きむしりながら、ビーズが深いため息とともに歩いてくる。その表情はまるで、さっきまでとは別人のような雰囲気であった。
フィリーネは魔力の壁に手をつきながら、ビーズを睨みつける。
「これもビーズ、アナタの仕業ね?」
「えぇ。これでようやく、僕の目的が遂行できますよ……スフォリア王国を跡形もなく滅ぼすという、実に果てしなく大きな目的がね!!」
両手を広げて笑みを浮かべるビーズを、ミネルバが驚愕しながら見上げる。
「な、何を言ってますの? アナタの目的は、宮廷魔導師のイスだったのでは?」
「おやおや、そんな言葉をまだ本気で信じていたんですか?」
呆れた口調でビーズはミネルバを見下ろしてくる。まるでその視線は、失望しましたよと言われているかのようであった。
ビーズは頭をボリボリ掻きむしりながら、ため息交じりに語り出す。
「私の経緯はちゃあんとお話ししましたよね? 女王様直々に、宮廷魔導師には決してなれないと言われてしまったことを」
「き、聞きましたわ! だからアナタはそれを覆すために……」
「ハハハッ! 全くミネルバ様は、どこまで僕を笑わせれば気が済むんですか?」
これ見よがしに大笑いするビーズに対し、ミネルバは表情を固まらせる。
笑い過ぎて浮かび上がった涙を指で拭い取りながら、ビーズは深く息を吐き、そして再び呆れたかのように目を細める。
「女王様から直々に通達された。既にその時点で、私の夢は完膚なきまでに潰えていたんですよ。女王様が決断してしまえば、覆ることなんてあり得ません。未だ同じことを続けていれば尚更ですよ」
それを聞いたミネルバは唖然としていたが、ビーズはお構いなしに続ける。
「たとえ私が発明で大きな成果を出して、それを持ち込んだとしても変わらない。それぐらい分かってますよ。バカじゃないんですから」
吐き捨てるように言うビーズに、ミネルバは段々と苛立ちを募らせる。今までの自分がどんなだったのか、嫌でも分かってきてしまったのだ。
彼女の様子に気づいたのか、ビーズは嘲笑しながら更に続ける。
「ミネルバ様もそこに転がっている貴族のバカ息子さんも、よほど自ら抱いている野望に夢中だったみたいですね。少し考えればおかしいと思えそうなモノですが、所詮はこの程度。実に利用価値のある方々でしたよ♪」
自分たちはずっと、ビーズの手のひらの上で踊っていただけだった。ミネルバはそう確信すると、怒りを露わにして声を荒げる。
「最初から全部ウソだったのですね?」
「そうでもありませんよ。私は言いましたよね? 認めてもらうためだって。もっとも女王様に、とは言った覚えなど、これっぽっちもありませんがね」
ビーズのその言葉に、ミネルバは改めて気づいた。確かに彼は目的を語った時、誰に対してとは言っていなかったことを。
つまり自分たちが勝手にそう思い込んでいただけだった。己の浅はかさを悔やんでも悔やみきれないと、ミネルバは拳を握り締める。
「ならば……アナタは一体誰に……」
「私が認めてもらう相手は『世界』そのものです。王国一つを滅ぼす力なんて、注目しないわけにはいきませんからね。ここまで来るのは、本当に長くて辛くて苦しかったですよ」
ビーズがそう言い切った瞬間、ミネルバもフィリーネも目を見開いた。
確かに王国を滅ぼせば、世界は注目するだろう。しかし流石のミネルバでも、どうしてもこれを言わずにはいられなかった。
「アナタ……狂ってますわ!」
「えぇ、そうですとも。私はとっくの昔に狂い果てているんです。私を認めてくれない王国なんていらない。全部ぜーんぶ、跡形もなく滅んでしまえばいいんだ!」
笑いながら話している口調は、どこか呂律が回っていない。目は瞳孔が開いているようにも見える。このまま笑い狂って倒れるのでは、とすら思えてきたその瞬間、ビーズは突然我に返ったかのように大人しくなる。
そして、ポケットから新たなる小さな装置を取り出した。
「ではそろそろ、お喋りもここまでにしましょうか」
ビーズが装置のボタンを押すと、突如ミネルバとエルヴィンの体に、黒い魔力の煙がまとわりついてきた。
「ちょ、何ですのこれはっ!?」
ミネルバが煙を払おうとすればするほど、煙の量は増加する。やがて煙は二人を完全に包み込んでしまった。
二人は程なくして、黒い肌と赤い瞳を持つ姿に変貌し、ニヤリと笑みを浮かべながら立ち上がった。
ビーズは大きな拍手を送りながら、満面の笑みを浮かべるのだった。
「実に素晴らしいですよ! 最後はミネルバ様とエルヴィン様の手によって、忌々しいスフォリア王国に決着をつけてもらいます。女王様、あなたはそこで、自分の娘が王国を破壊する姿を、最後までじっくりとご見物なさってくださいね♪」
ねっとりとしたビーズの口調に、フィリーネは苛立ちながら歯を食いしばる。魔力の壁に阻まれており、何もできないのが悔しくて仕方なかった。
同時に、女王として実に情けなさすぎるという気持ちも、しっかりと生まれていた。
「ンフ……フフフフフッ……ハハハッ……アーッハッハッハッハッハッ!!」
ビーズの狂い果てた笑い声に反応するかのように、魔力に取り込まれた二人が、唇をニヤリと釣り上げるのだった。
◇ ◇ ◇
「ご報告いたします。表通りの魔物は粗方片付けました。残りは路地裏に潜んでいる残党が殆どだという状況です!」
「分かった。最後まで油断しないよう気をつけろ」
「はっ!」
王都の町では、着々と魔物狩りが続いていた。今のところ特に大きなケガ人も出ておらず、このままいけば、無事に全ての魔物が片付くだろうと思われていた。
そんな中、セルジオが王宮を見上げながら呟いた。
「ふーむ。フィリーネは大丈夫かのう?」
「あれでも立派な女王だ。そう心配することもあるまい」
「今回の件で、色々と露呈してしまっておるがな」
「……確かにな」
セルジオとウェーズリーが苦笑を浮かべる中、西側から兵士が一人、大慌てで駆け寄ってくる。
「ギルドマスターっ! セルジオ様ーっ! 西の街門に、キラータイガーの亜種が迫っているとの情報が入りました。しかもその背には、なんとセド様が乗っておられるそうです!」
「な、なんだと?」
ウェーズリーが驚く中、セルジオは何かを考える素振りを見せていた。
「ふむ。ワシも出向くとしよう。恐らく知り合いも一緒だろうからな」
「知り合いって……そうか、彼のことか」
セルジオの言葉に、ウェーズリーも心当たりが思い浮かぶ。その反応に、セルジオもニヤリと笑みを浮かべた。
そして、兵士とともにセルジオが西の街門に来てみると、そこには予想したとおり、セドを含む三人の少年少女たちの姿があった。ちゃんと三匹の魔物たちも一緒に連れた状態で。
「やはりお前さんだったか……よくぞ無事に戻って来てくれたな、マキトよ」
「あ、セルジオのじいちゃん!」
「ただいまなのですー♪」
マキトとラティは親タイガー亜種から降りつつ、三日ぶりに見るセルジオの笑顔に、思わず喜んでしまうのだった。
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