第六十五話 忍び寄る王家の闇



(何だ? 急に変な感じになってきたような……)


 マキトが思わず周囲を見渡してみると、兵士やメイドたちは、あまり彼女を歓迎している様子ではない。疑問に思うマキトに気づいたコートニーが、こっそり耳元でささやいてきた。


「あのお方はミネルバ様。この国の王女様で、セドの妹君だよ」

「へぇー」


 そういえば妹もいるって言ってたっけかなと、マキトはなんとなく思い出す。

 先っぽを真っ赤なリボンで束ねている、腰まで伸ばしたサラサラな金髪。そして赤く力強いツリ目が、彼女の大きな特徴であった。十二歳という年相応の顔立ちには、確かな美貌も入り混じっており、実に将来性が高いと、誰もが思うほどであった。

 セドの姿を見た瞬間、その表情が嘲笑に切り替わらなければ、どれほど良かったことだろうかと、その場にいた者の大多数が思っていることでもあった。

 しかし当のミネルバは、周囲のことなど気にせずに、セドに深くお辞儀をする。


「お帰りなさいませ、セドお兄様。ロクデナシのアナタでも、そうして魔物一匹を従えてこられるようにはなりましたのね」


 口調はともかく、その言葉はかなり失礼――というか上から目線であった。

 明らかな嘲笑で見上げるその表情は、明らかに実の兄を、それもごく自然な形で見下している。まるでそうすることが常識だと言わんばかりに。

 完全に自分の世界に入り込んでいるミネルバは、そのままセドに向かって言葉を続ける。


「でも所詮は赤ちゃんに過ぎません。私ならば成熟したキラータイガーを討伐することなど造作もない話ですから。でもお気になさらないでくださいね。ロクデナシのアナタにしては、十分な偉業でございましょうから。妹として、アナタを存分に褒めて差し上げますわ。せいぜい感謝なさい!」


 あまりの物言いに、マキトやラティたち三匹はムッとした表情を浮かべる。極力表情に出さないようにしていたが、アリシアとコートニーも気持ちは同じだった。

 兵士やメイドたちは大いに戸惑う様子を見せ、オースティンは苦々しい表情を浮かべている。それは明らかにミネルバに対してのモノだったが、ミネルバはそれをセドに対してのモノだと、都合良く解釈していた。


「お兄様にこんなお顔をさせるなんて、少しは自分の愚かさを恥ずかしいとは思いませんの? お母様やお兄様の寛大なるお情けで王宮に置いてもらっておいていながらこの体たらくとは……恩を仇で返しているとはこのことですわね。ロクデナシはロクデナシらしく、笑顔を振りまいてヘコヘコしていれば……」

「ミネルバ、口を慎め! 言い過ぎにもほどがあるぞ!」


 心の底から楽しそうに笑うミネルバに対し、オースティンの一喝が響き渡る。

 驚いて言葉を失ったミネルバは、静かとなった周囲を見渡すと、誰もが苦々しい表情を浮かべていることに気づいた。

 これは流石に酷すぎる。オースティンの言葉に関係なく、それが周囲の一致した気持ちであったが、ミネルバは全く察することなく、まるで酔いしれているかのような笑みに切り替わった。


「お兄様の優しさには感服いたしますが、このロクデナシに甘さは不要です。ただでさえ生まれてきた時点で、我が王家を裏切っているんですよ?」

「裏切っている? 一体何を言っているんだ?」


 険しい表情のままオースティンが尋ねると、ミネルバは深いため息をつきながら目を閉じ、これ見よがしにヤレヤレと首を横に振った。


「お母様のお腹の中に、魔法の財を全て置いてきてしまった。我が王家どころか、スフォリア王国そのものを裏切ったといっても過言ではありませんわ。そんな男を引き留めておく価値があるとも思えません。しかも……」


 ミネルバが細く目を開け、セドに向かってビシッと人差し指を突き出した。


「そのロクデナシは、先日堂々と国民に向かって宣言されました。自分はこの国を出ると。なのに国民もお母様も、そしてお兄様も……皆さんがお喜びになられないのが不思議でなりません。汚点が消えるのは素晴らしいことではありませんか!」


 まるで舞台に立って演技を行っているかのようなミネルバの口調に、周囲は絶句していた。あれほど抱いていた怒りも吹き飛んでしまうほどに。

 オースティンは眉間を押さえながら顔を伏せ、絞り出すように声を出す。


「……すぐにこの場から立ち去れ。大切な客人の前で、これ以上みっともない姿を晒すんじゃない」


 それがミネルバに向けられた言葉であることは明らかだったが、当の本人は全く動く気配すら見せない。

 それどころかミネルバは、忌々しそうな表情で再びセドを睨み出していた。


「ほら、何をしているんですの? お兄様が言ったことが分からなかったわけではありませんよね? みっともないロクデナシは早々に……」

「早々に立ち去るのはお前だ、ミネルバ!」

「……お兄様、どうして?」


 オースティンが自分に対して怒っている。ミネルバはようやくそう勘付いたが、どうして怒られているのかは理解できていなかった。

 これ以上のやり取りは不毛だと判断したオースティンは、傍にいる兵士たちに顔を向ける。


「ミネルバを連れていけ! 命令だ! 多少の手荒は私が許す!」

「りょ、了解いたしましたっ!」


 殆ど反射的に敬礼した兵士たちは、二人がかりでミネルバを羽交い絞めにする。身動きが取れないミネルバは、ジタバタと暴れ出した。


「は、放しなさい無礼者!」

「無礼者はお前だ! さっさと連れていけ!」

「お兄様! どうか目をお覚ましになられてくださいっ! お兄様あぁ~っ!」


 兵士二人に連れられて、ミネルバは王宮の中へと姿を消した。

 ようやく静かになったところでオースティンが、マキトたちに頭を下げる。


「客人であるキミたちの前で、見苦しい姿を見せてしまった。本当に申し訳ない。どうかここは、私の顔に免じて許してほしい」

「いえ、そんな……お気になさらないでください」

「そうです。特に問題もありませんでしたから」


 アリシアとコートニーが、慌てて取り繕うように言う。その視線はオースティンに向けられた後、すぐにマキトのほうをチラリと見ていた。

 マキトはずっと無言のままだった。いや、それ以前に表情がなかった。

 全く気にしていないわけではなさそうに見えるが、怒っているのかどうかも全く分からない。判断がつかない分、どう接したらいいのかも分からない。アリシアもコートニーも、ラティたち三匹でさえも、同じことを思っていた。

 そしてそれはどうやら、オースティンもセドも同じ気持ちだったらしい。

 このまま黙っているわけにもいかないと判断したセドが、意を決してマキトに声をかける。


「済まなかったな、マキト……」

「別に」


 セドに視線を向けながら一言。たった一言だけ、マキトは呟くように言った。

 それ以上は別に言うこともないらしく、マキトはそのまま閉口してしまう。どう反応したらいいのか分からず、セドは戸惑っていた。三匹の魔物やアリシアたちも同じく。

 そんな中オースティンが、給仕を務めていた一人のメイドに声をかける。


「確かこの間、質の良い果物を仕入れていたハズだな? それを彼らに食べさせてやってくれ。勿論たくさんの量をだ」

「え、ですがあれは、女王からのご指示で……」

「構わん。どのみちこれから、母上に報告に向かうところだ。私の独断で、彼らに大事な果物を提供したことも含めてな」


 つまり女王から何を言われても、全ての責任は自分が受け持つ。オースティンはそう言ったのだ。

 流石に申し訳ないとコートニーが断ろうとしたところで、マキトが前に出た。


「いや、別にそこまでは……」

「良いんだ。客人に無礼を働いてしまった、せめてもの詫びをしなければな。セドも遠慮せずに好きなだけ食べろ。今日のクエストで頑張ってきた褒美だ」

「兄上……」


 戸惑うセドは何かを言おうとするが、上手く言葉が出てこない。オースティンは笑みを浮かべながら、セドの頭を優しく撫でる。そして王宮に向かって振り返りながら、オースティンはマキトたちに言った。


「私はこれで失礼する。皆はゆっくりしていってくれ」


 オースティンは返事を待たずに、王宮の中へと姿を消した。静まり返った中庭の異様な空気は、しばらく晴れることはなかった。



 ◇ ◇ ◇



「本当にあの子は……一体何を考えているのかしら!」


 スフォリア王国を収める女王、フィリーネの叫びが執務室を響き渡らせる。報告した息子のオースティンの表情もまた、実に苦々しいモノであった。

 フィリーネの命令により、ミネルバは謹慎扱いとなった。彼女自身は全く持って納得しておらず、むしろセドこそ反省するべき人物ではありませんかと、悪びれもなく言い放ってきたのだ。

 いい加減にしろと叱り付けても、ミネルバは聞く耳を持たない。それどころか、ロクデナシを野放しにしておくお兄様やお母様の気が知れませんわと、まるで悲劇の少女を演じているかのような態度と取っていた。

 その話を聞いたフィリーネは、オースティン同様、頭痛が走るのだった。


「どこで教育を間違えてしまったのか……こうなったら何としてでも、ミネルバの意識を変えさせる必要があるわね」

「私も同感です。恐らく容易ではないと思われますが……」

「分かっているわ」


 フィリーネは頷きながら、娘のこれまでを思い返してみる。

 ミネルバに秘めたる才能は尋常ではなかった。容姿や知能にも恵まれ、英才教育によって確かな実力に結びついていった。魔法の使い手だけならオースティンをも超えるほどであり、周囲からの期待も大きいモノだった。

 しかし、ミネルバはあくまで、それだけの存在でしかなかった。

 才能の高さに溺れ、いつしか魔法が全てだと思い込むようになっていたのだ。

 セドをとことん見下す形で、王国のためとか色々と言っているが、そもそも彼女が本気で王国のために行動したことは、実のところ一度もなかったりする。

 いざとなったら自分の魔法がある。王国を救えるだけの魔法の才能が、自分にはあるのだと、ミネルバは本気で思い込んでいるのだった。


「厳しく突き放してきた子が思わぬ成長を遂げ、大事にしてきた子が愚かとなる。皮肉とはこのことかしらね」

「ですから申し上げてきたんです。母上はミネルバを甘やかしすぎですと。思えばこの事態は、来るべくして来たといっても過言ではありません!」

「……言い返せないわね」

「まぁ、そう言う私も、ある意味では同罪ですが……ミネルバは勿論のこと、セドに対しても……」


 オースティンはかつて、魔法を教えてくれた師匠から教わった言葉を思い出す。

 魔法に恵まれているというのは、あくまで土台でしかない。その土台の上でいかに自分の頭で考え、自分の手と足で行動を起こし、気持ちを込めて結果を残すことこそが大事なのだと。

 師匠から教わっていないハズのセドが結果を着々と残し、師匠からもっとも大事に教えられてきたハズのミネルバが、胡坐をかいて良い気になっている。

 確かに皮肉という言葉が似合い過ぎていると、オースティンはため息をついた。


「セドは王家を……国を捨てるという考えを変えてくれそうかしら?」

「恐らく無理でしょうね。もはやアイツには、この国に未練などありませんよ」

「私のせいなのよね?」

「……違うとは言えませんが、母上一人の責任でもありません。これもまた、なるべくしてなったこと。少なくとも私はそう思います」

「随分とあの子の気持ちを受け止めているのね? 次期国王候補として、思うことの一つくらいはあって然るべきでしょうに……」


 フィリーネの言葉に、オースティンは目を閉じながら言う。


「王族の進む道は、生まれながらにして定められているのが基本。自由な選択は許されません。それはアイツも、十分に分かっていたのでしょう。だとすれば……」


 オースティンは目を開くとともに、真っ直ぐフィリーネを見据える。


「全てを捨て、好きな道を歩む。そんなアイツの選択を、私は受け止めます」

「そう。それがオースティンの出した答えなのね」


 フィリーネは満足そうに頷いた。オースティンが兄として、弟を愛していることがしかと伝わって来たのだ。

 意志が固いのはセドだけではなかった。もはや駄々をこねるときは終わった。

 兄弟二人が成長してくれたことを嬉しく思う反面、娘の厄介さに気分が重くなる。そう思っていると、オースティンが真剣な表情で口を開いた。


「それよりも厄介なのはミネルバです。このままセドが国を出れば、アイツは更に調子に乗ることでしょう」

「確かにね。自分は王国のために素晴らしいことをした。そう言いながら優越感に浸るあの子の笑顔が、目にハッキリと浮かんでくるわ」


 頭を抱えるフィリーネの言葉に、オースティンも試しに想像してみると、えらくアッサリと思い浮かべられた。

 かなり高い確率であり得そうだと思い、深いため息をつかずにはいられなかった。


「ミネルバもこのまま黙ってはいないでしょう。今のアイツはセドのことを、親の仇と見ているも同然です。もしかしたら何か仕掛けてくるかもしれません。しかし下手に言って聞かせようとしても、逆効果になるかと思います」

「えぇ、そうね。とにかく少し様子を見ながら、検討していきましょう」


 話が終わり、オースティンが執務室を出ていった。

 対策の考えこそまとまらなかったが、今回ばかりはフィリーネも見過ごそうとは思っていなかった。

 ミネルバ一人が暴れるだけで済む問題なら、どれほど楽だっただろうか。国民に知れ渡り、王家の評判が下がるだけで済むならば尚更だ。

 要するにそれだけ、ミネルバに危険性が付きまとっているということなのだ。

 下手に動けばかえって逆効果。フィリーネはその言葉を噛み締め、なんとかして打開策を見つけ出さなければと思った。

 バカ娘のせいで国がひっくり返るような事態だけは避けたい。フィリーネはそう思いながら、深いため息をつく。そして見下ろした机には、積み重ねられた書類の山が残っていた。


「まずはこれを全て片付けないといけないわね……はぁ……」


 フィリーネは書類に手を伸ばしながら、決して人には見せられない疲れた表情を浮かべるのだった。



 ◇ ◇ ◇



「全くお兄様ったら、どうして私の気持ちを分かってくれないのかしら?」


 ミネルバは誰もいない王宮の廊下を歩きながら憤慨する。

 私室に押し込まれてから数分後、監視の目を誤魔化して部屋から出ていたのだ。少なくとも本人は紛れもなくそう思っている。決してあの手この手を使って脅してなどいないと、胸を張って断言できるほどであった。

 部屋に残してきた監視役の兵士たちがこれを聞けば、更に泣き叫ぶことだろう。今の彼女はもう、そんなことは全く頭の中にないことではあるが。


「こうなったらあのロクデナシを、本気で漆黒の闇に突き落とす必要がありますわね。いつまでもあんな男を野放しにしておくから、悲劇が生まれるのです。これも全ては国の繁栄のため! お兄様やお母様の目を覚まさせるためにも、王女であるこの私が立ち上がるべきなのですっ!」


 ミネルバは自分の言葉に酔いしれていた。それと同時に、今の自分の状況が恨めしくて仕方がなかった。

 こんなにも素晴らしい考えを、誰にも聞いてもらえないことが許せない。それもこれも全てあのロクデナシのせいだと、ミネルバはまたしても身勝手過ぎる恨みを抱くのだった。


「あんな男が私と血を分けた兄妹だなんて、迷惑極まりありませんわ! ご先祖様もさぞかし、草葉の陰でお泣きになられていることでしょう! あんなロクデナシが私の株を奪うなど、身の程知らずも良いところです!」


 勿論それが、単なる自らの欲望でしかないことを。国を思う気持ちを言い訳に、邪魔な存在を排除したいだけなのだと、ミネルバは全く気づいていなかった。


「さて、スフォリア王国の輝かしい未来のために、あのロクデナシを排除することは決まりだとして……問題はそれをどうやって行うかですわね」


 忌々しいことに、セドには味方がたくさんいる。特にオースティンやフィリーネが裏にいるのが厄介過ぎる。迂闊に動けばすぐに気づかれるだろう。

 どのみち王宮内で動くことはできない。ならばどうするかと思いながら、ふと外を覗き見たその時だった。

 一人の小汚いローブを羽織った魔導師らしき男が、林の中へひっそりと入っていくのが見えた。その男はミネルバもよく知っていた。宮廷魔導師の座を虎視眈々と狙っているビーズであった。

 彼は野心が凄すぎて、周囲も危機感を抱いていた。今は殆ど仕事を干されている状態であり、ここしばらく王宮に姿を見せてすらいなかった。退職して田舎に帰ったというウワサも流れているほどだ。


「あのギラついた目は……どうやら間違いなさそうですわね」


 ミネルバは妙に確信していた。まだビーズはこれっぽっちも諦めていない。それどころか虎視眈々とチャンスを狙ってさえいると。

 そして恐らく、自らの手でそのチャンスを作り出そうとしていると、ミネルバは直感でそう思った。


「ふふっ、どうやら糸口らしきモノを見つけましたわ♪」


 ミネルバはニヤリと笑みを浮かべ、裏口からコッソリと王宮を抜け出し、ビーズが入っていった林に向かう。

 そのまま彼女が出てくる姿を見せないまま、曇り空の朝を迎えた。

 とある私室で、がんじがらめに縛り付けられた兵士たちが発見され、王宮の朝が果てしなく騒がしいことになったのだが、張本人は到底知る由もないのだった。


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