第四十二話 迫りくる危機
時は少し前に遡る――――
二匹の妖精の少年たちが、森の入り口付近で談笑しながら荒野を見張っていた。
見張りといっても、何も起こらなければヒマそのものだ。ましてや異変があればすぐに分かるほど、荒野は見通しも良い。高い木の枝に座っていれば尚更であった。
加えて四六時中、目を皿のようにして見張る必要も殆どない。したがって二匹の妖精たちが、暇つぶしに雑談をすることは、極めて自然な光景だと言えるだろう。
もっとも見張りよりも、雑談のほうが中心になってきているのは否めないが。
「今日もいつも通りの平和だね。ベニーはなんだか退屈そうだけど」
「物凄い退屈なんだよ。ボーロはよく耐えてるよな。思わず感心しちまうぜ」
気持ち良さそうに伸びをする妖精の少年、ボーロに対して、もう一人の妖精の少年、ベニーが深いため息をつく。
何も起こらず、太陽の動きだけが変わる荒野の景色を見続けている。そんな見張りの役目を、ベニーは投げ出したかった。
もっともそんなことをすれば、ロズが怒りの雷を落とすことは間違いないことは重々承知しているため、大人しく見張りを続けているのだが。
「モノは考えようだよ。ここでのんびりしていればいいんだし、楽なもんでしょ」
「そりゃまー、確かに言えてるかもな……」
ボーロの意見にビニーは納得する。そして再度深いため息をつき、ビニーは叫ぶように言い放つ。
「あー、折角クーも帰って来てるんだから、見張りなんてサボって一緒に遊びたいぜ」
「夜中にでも、こっそり遊びに行けばいいんじゃない?」
「おっ、それは良いな。ボーロも一緒に行こうぜ」
「はいはい……ん?」
ボーロが苦笑気味に返事をした瞬間、とあることに気づいた。いつの間にか荒野のど真ん中に、一匹のキラータイガーがいたのだ。
その背にはヒトが乗っていた。獣の耳を持つ銀髪の少女で、立派な鎧を身に纏い、腰にはサーベルを携えている。
それだけならば、冒険者がキラータイガーを従えて、森に挑みに来たのだと判断できただろう。しかしボーロもビニーも、そうではないという直感がささやいていた。
キラータイガーの目は完全なる虚ろ状態で、その少女には黒いオーラが纏わりついているのが分かった。
少女は俯いているため、その表情は分からない。しかし、どうにも安全という二文字が見えないと、ボーロとビニーは感じた。
「な、なんだよアレ……」
「さぁ?」
ビニーとボーロが呟いている間に、キラータイガーは少女を乗せたまま、ゆっくりと一歩ずつ森に近づき、そしてとうとう森の入り口までやってきた。
ピタッと停止すると同時に、少女は颯爽と背中から飛び降り、口元をニヤッと釣り上げながら、森の入り口を見上げた。
「やっと……お会いデキるのデスネ……オネエサマ……フフッ♪」
漆黒のオーラをまとった少女の笑みは、周囲の空気をもザワつかせる。
目が虚ろだったキラータイガーも、一瞬にして正気に戻った。
そして、少女の黒き笑みに凄まじい恐怖が走り抜け、飛び退くぐらいにビクッとした反応を見せ、一目散にどこかへ逃げ去ってしまうのだった。
しかし少女は全く気にも留めず、ひたすらジッと森を見上げていた。
時間にしてわずか数分程度の流れが、その周囲だけとてもゆっくりと流れていたようにも思えていた。
少なくともボーロとビニーは、そう思っていた。
「ヤ、ヤベェだろあの女……おいボーロ、早く泉に戻って長老様に伝えようぜ!」
「そうだね。これ以上ここにいたら、僕たちもどうなる……か……」
ボーロがみるみる表情を青ざめさせ、体をガタガタと震わせる。一体どうしたのかと疑問に思いつつ、ビニーがボーロの見ている方向に視線を向けてみた。
すると、不気味な笑みを浮かべる少女と、視線がバッチリと合ってしまった。
どう考えても自分たちを見ている。完全に気づかれている。ビニーは途轍もない恐怖がのしかかり、体が全く動かなかった。
少女は左手をかざし、黒い魔力の塊をボーロたちに向かって投げつける。とても躱す余裕がなく、ボーロたちは直撃を受けてしまい、そのまま木の枝から落ちてしまった。
ボロボロになった痛みよりも、恐怖のほうが圧倒的に大きい。ビニーは体をガタガタと震わせながら、腰を抜かすばかりであった。
その姿を見たボーロは表情を引き締め、急いで地面に魔法陣を描き出す。そしてその魔法陣にビニーを突き飛ばし、魔法を発動させるのだった。
「お、おい、何をするんだよボーロ!?」
「僕なら大丈夫。必ずこのことを長老様に報告して。頼んだよ、ビニー!」
そう告げた瞬間、ボーロの目の前から、ビニーは忽然と姿を消した。
「転送魔法……長老様から習っておいて良かった」
心の底から安心したような笑みを浮かべたその時、ボーロは頭上が暗くなったことに気づき、見上げてみる。
いつの間にそこに生成されていたのか、黒い大きな魔力の塊が、ボーロの真上を静かにプカプカと浮かんでいた。
ボーロは脱力し、妙に冷静な気分でその塊を見上げていた。
数秒後、この塊は容赦なく落ちてくるだろうと、そんな確信も何故かあった。
静かに浮かべる笑みはどこか強かった。決して視線をそらさず、小さな拳をギュッと握り締めていた。
逃げも隠れもしない。そんな覚悟が、ボーロの中に生まれていた。
「フフッ♪ ワタクシの邪魔は、ぜえぇーったいに許しませんワよ♪」
少女の楽しそうな声が発せられたその瞬間、重々しい爆発音が響き渡った。
爆発が起こった場所を、少女が歩いて通り抜けていく。そこにはもう誰の姿もなく、黒焦げの地面が点在するだけであった。
◇ ◇ ◇
「ビニーの様子はどうじゃ?」
「今は落ち着いて眠っております。突然のことが重なりすぎて、気が動転してしまったのでしょうね」
ロズとレゾンが、深刻な表情で語り合う。
突如、泉に転送されてきたビニーが伝えてきた内容に、妖精たちは驚いた。ビニーも恐怖に打ちひしがれており、ボーロを失ったと思い込んでいることも相まって、完全に冷静さを失っていた。
状況が状況なだけに、落ち着けというほうが無理な話かと思いつつ、レゾンはロズと今後の対策を練る。
「一刻も早く、このことをユグラシア様にお知らせするべきかと」
「うむ。頼まれてくれるか?」
「お任せください!」
レゾンが全速力で妖精の泉を飛び出していく。
泉の妖精たちは皆、不安に駆られていた。ビニーが被害にあったことから、今回ばかりは本当に危機が迫っているのだと、嫌でも認識せざるを得ない。
「長老様、この俺を行かせてください!」
発言したのは、ビニーよりも少し年上の妖精の少年であった。その後ろには同じ年頃と思われる妖精の少年たちが控えている。皆揃って、険しい表情を浮かべていた。
「ビニーとボーロがやられて、このままジッとしてなんていられません!」
「僕も同じです!」
「俺だって!」
他にもあちこちから、賛同する声が聞こえてくる。迫りくる危機に臆することなく、堂々と戦ってやろうという意識は、ロズも立派だとは思っていた。
しかし今回ばかりは頷けなかった。狂暴化した魔物や、獲物を狙う盗賊たちとはワケが違う。無暗に向かうのは危険すぎるというのが、ロズの意見であった。
それを聞いた妖精たちは、渋々ながらも受け入れた。殆どロズが鋭い眼力で無理やり黙らせたようなモノであったが、それでも行かせてしまうよりかはマシであった。
「長老様あぁーっ!!」
とある妖精の少女が、泉の入り口のほうから大慌てで降りてくる。
今度は何が起こったんだと、皆が表情を歪め酔うとする前に、妖精の少女が息も絶え絶えになりながら、ロズに伝えた。
「ま、魔物が……森の魔物たちがたくさん狂暴化して、そこまで迫ってきています!」
妖精の少女が叫んだ瞬間、周囲の妖精たちがザワつきだした。そんな中、とある妖精の青年が首を傾げながら発言する。
「確かにヤバそうだが、そんなに慌てることもないだろう。無暗に魔物が入ってこないよう、入り口にはちゃんと結界が……」
「その結界が全然意味を成していないんですっ! 早く逃げないと、魔物たちが雪崩れ込んで……」
来ます、というとしたその瞬間、凄まじい獣の雄たけびが響き渡ってきた。
妖精の少女が青ざめながら入口のほうを向くと、そこには真っ赤な目を光らせ、明らかに興奮した状態の獣たちが、唸り声を上げて妖精たちを凝視している。
一匹だけではない。後ろに何匹もひしめくように控えている。今まであり得なかった事態に、妖精たちは頭の整理が追いつかないでいた。
「お、おかしいよ……なんかあの魔物から、禍々しい魔力を感じるよ」
「私もだよ。ドス黒くて、なんだか気分悪くなってくる感じ……」
妖精たちが恐怖に怯えていき、吐き気を催す者も出てきていた。そこにロズが、顔を真っ赤に染まらせながら怒りの声を上げる。
「しっかりせんかお前たち! ここで狼狽えたところでやられるだけじゃぞ! そんなことも分からんのか!」
「ちょ、長老様……」
突然の罵声に、妖精たちは目を見開いてロズに注目する。さっきまでのザワめきが、まるでウソのようにピタリと止んでいた。
ロズは表情を変えることなく、更に凄まじく声を張り上げる。
「グダグダ言っとらんで、さっさと動け! お前たちの手で、あの魔物たちを一匹残らず仕留めるのじゃ! あの状態で正気に戻すのが無理なことぐらい、見て分からんとは言わせんぞ!」
最初はただ罵声に驚くだけだったが、次第にロズの言いたいことが分かっていく。それでもやはり、まだ戸惑いから動けない者のほうが多かった。
そんな中一匹の妖精の少年が、歯を噛み締めながら思いっきり飛び上がる。
「こっちだ、頭の悪い怪物どもっ!」
妖精の少年は、魔法で威嚇射撃を行い、大勢の妖精たちから狙いを逸らさせた。魔物たちは次々と泉に侵入し、妖精の少年を狙って飛び込んでいく。
それを見ていた他の妖精たちも、体を震わせながら思いっきり叫び出した。
「こ、こうなりゃヤケクソだ! 俺の力を見せてやる!」
「俺もやってやるぜ!」
「こんなところで無様に死んでやるもんか!」
「あたしたちも行こう。乙女の底力を、あの獣たちに叩きつけてやるんだ!」
一匹、また一匹と、妖精たちが動き出していく。魔物は我を失った暴走状態ということもあり、妖精たちの連携に対処できている様子はあまり見られなかった。
勿論ロズも、ただ黙っているわけではない。
引きつけて一ヶ所に集めた魔物たちを、大きな魔法の一撃でまとめて仕留めたり。あるいは若手の妖精たちのフォローに回ったりと、オールラウンドで動いていた。
ロズの軽やかな動きに、妖精たちは驚きを隠せなかった。
単なる口うるさい爺さんとはワケが違う。とても老人とは思えないほどの実力者であることを、認めなければならなかった。
もうトシなんだから、さっさと隠居でもしていればいい。心の中でそう悪態づいていた妖精たちは、己の浅はかさに恥ずかしくなっていた。そしてその妖精たちは、心なしか更なる気合いが込められたようにも見えた。
一方、ロズは妖精たちが精いっぱい戦う姿を嬉しく思いつつ、このまま続けばマズイことになると思っていた。
魔物は依然として増え続けている。妖精たちがどれだけ頑張っても、いずれ力が尽きてしまうことは避けられない。
次第に妖精たちは、苦悶の表情を浮かべていく。状況は刻一刻と悪い方向に進んでいることは明らかであった。
「くっ、一体どうしてこんなことに……っ!?」
魔法で威嚇射撃を行いながら、妖精の少年は舌打ちをする。それが魔物に隙を与えることとなってしまった。
示し合わせたかのように魔物たちが動き出し、妖精の少年を包囲していく。なんとか攻撃を躱していく妖精の少年であったが、遂に取り囲まれてしまった。
まさに絶体絶命であった。ロズも他の妖精たちも、援護に向かう余裕がなかった。
魔法を放っても苦し紛れにしかならない。もはやここまでかと、妖精の少年が諦めかけたその時――
「はあああああぁぁぁーーーーっ!!」
突如として聞こえてきた、大人の女性の声。昨日の夕方、この泉で驚きながら聞いた忘れられない声。
その声が目の前まで来た瞬間、妖精の少年に襲い掛かろうとした魔物は、その声の主によって蹴り飛ばされ、他の魔物たちをも巻き添えにしていた。
スタッと華麗に降り立った声の主は、安心したかのような笑みを浮かべる。
「間一髪……なんとか間に合ったのです!」
変身したラティがゆっくりと立ち上がりながら、妖精の泉を見下ろす。
その輝かしい姿はまるで女神様のようだと、その場にいた多くの妖精たちが、心の底から思っていた。
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