第三十二話 メルニーの提案



 すっかり暗くなった夜の森の広場。そこではいくつかの焚き火が燃え盛り、それぞれ夕食を摂ったりお茶を湧かして飲んだりと、思い思いに過ごしていた。

 そのうちの一つで、奇妙な光景が繰り広げられていた。一匹の真っ赤なスライムが、焚き火の炎を美味しそうに飲み込んでいるのだ。


「美味しいか、スラキチ?」

「ピィ」

「そーかそーか。もっとたくさん食べてもいいんだぞ?」


 マキトに促されたスラキチは、再び目を線にした状態で、美味しそうに炎を飲み込んでいく。まるで「あー」という擬音が聞こえてくるかのようであった。

 足元でグッスリ眠っているロップルの頭を優しく撫でながら、マキトはその光景に程よい癒しを感じていた。

 マキトの太ももを枕代わりにしているロップルから、気持ち良さそうな鳴き声が聞こえてくる。あれだけの戦いがあったのだから、流石に疲れたんだろうと、マキトはロップルを見下ろしながら思った。


「な、なんだアレは……」


 一方ダグラス、メルニー、ラッセルの三人は、そんなマキトたち――特にスラキチの様子を、引きつった表情で凝視していた。

 その際に熱いお茶を膝の上に零してしまったダグラスが、盛大な叫び声を放って周囲を驚かせてしまい、変なところで目立ってしまう形となってしまった。

 魔物らしいと言えばそれまでであるし、様々な生態系がある以上、どんな光景であろうと決して否定はできない。

 だからと言って、突拍子もない光景を間近で見て、無暗に驚くなというほうが無理な話であることも確かであった。

 その隣ではアリシアが、ラティの様子を唖然とした表情で見ていた。

 小さな妖精にはとても多すぎる量の食べ物を、ラティが手を休めることなく食べ続けているからだ。


「ラティ……そんなにたくさん食べて大丈夫なの?」

「れんれんもんあいあいもれす。もひろもっほらめられるもれす!(全然問題ないのです。むしろもっと食べられるのです!)」


 アリシアの質問にラティは答えるが、食べ物を頬張った状態なため、当然ながら解読することはできなかった。

 どう見てもこれが普通であるとは到底思えない。恐らく変身したことによって、極端に体力を消耗したせいだろうと、アリシアは思っていた。


「それにしても、無様に気絶しちまったのは悔しいもんだな。こうなったら俺も初心に戻って、根性と力を鍛え直さねぇと!」


 悔しそうに地面を叩きながら叫ぶオリヴァーに対し、ジルはジト目で睨む。


「鍛え直すのはのは良いけど、前みたいなコトはゴメンだからね?」

「なんかあったっけか?」


 きょとんとするオリヴァーに、ジルは深いため息をつきながら言う。


「……呆れるほど無茶して大ケガして、それが原因でパーティ活動がしばらくできなくなったこと、忘れたとは言わせないわよ!」

「おぉ…………うむ、勿論覚えているに決まってるじゃねぇか!」


 冷や汗を流しながら言うオリヴァーを見て、ジルは更に深いため息をつく。


「今のなっがい間について、しっかり説明してもらいたいんだけど」

「別に気にするほどのことでもねぇだろう。気にし過ぎると将来ハゲちまうぜ?」

「……誰のせいだっていう以前に、少しくらい言葉を選びなさいっての!」


 声を荒げるジルに、ラッセルが苦笑を交えながら宥めようとする。


「まぁまぁ。オリヴァーもこうして無事に元気になったんだ。今日ぐらい見逃してやろうじゃないか」

「あのねぇ……ったく、ラッセルはいつもいつも甘いんだから! 大体ねぇ……」


 今日という今日は言ってやらないと気が済まない。そう思って感情的に発言しようとするジルを、ラッセルが優しい声で語り掛ける。


「きっと戦いの影響で疲れているんだろう。今日は二人とも、早く休んだほうが良い」


 怒りが募ってきていたジルの勢いが急速に下がる。突然ラッセルに割り込まれたことによって、調子が狂ってしまったのだ。

 ジルはオリヴァーに投げやりな謝罪をしつつ、そのまま立ち上がって歩き出す。偵察がてら、ちょっと散歩でもしてくると伝えて。

 そんな彼らの様子を、マキトは横目でずっと見ていた。なんだか大変そうだなぁと、心の中で呑気そうに呟きながら。

 それから賑やかな夜は続いていき、やがて就寝の時間となる。

 メルニーが結界魔法を広場にかけたおかげで、野生の魔物が襲い掛かってくる心配もなくなり、全員が安心して眠れるようになっていた。

 宮廷魔導師にしか使えないと言われている特殊な魔法で、ラッセルたちも随分と世話になったらしい。そしてダグラスもまた、流石は宮廷魔導師ですなと感激していた。

 そしてラッセルたち四人は、数分と経たないうちに爆睡状態へ入り、ダグラスも荷物を背に座り込んだままではあるが、完全に寝入ってしまった。皆揃って疲れ果てていたことが伺える。

 マキトは焚き火の前に胡坐をかいて座り、揺らめく炎をボンヤリと眺めていた。

 傍らを見下ろすと、気持ち良さそうに眠る三匹の魔物たちの姿があり、思わず表情を綻ばせてしまう。


「マキトくん、少しいいかしら?」


 同じく起きていたメルニーが静かに歩いてきて、マキトの隣に座る。


「ねぇ、マキトくんは確か、クエストの途中だったのよね?」

「そうですよ。明日の朝にでもすぐに、ギルドへ戻ろうかと思ってますけど。達成する条件はもう満たしてますし」

「だったら、さほど問題らしい問題はなさそうね……マキトくん」


 メルニーは表情を引き締め、マキトをジッと見据える。一体何事かと、マキトは思わず尻込みしていると、心なしか厳しい口調でメルニーは言った。


「アナタはその用事が終わったら、すぐにサントノ王都を旅立つことを薦めるわ」


 それを聞いたマキトは、急に何を言い出すんだろうと、思わず目を見開いた。いきなり叱られたような感覚に陥り、マキトはどうにも反応ができなかった。

 流石にいきなり過ぎたとメルニーも自覚し、表情を柔らかくする。


「急に驚かせてしまってごめんなさい。でも今言ったことは冗談ではないの。アナタは王都を旅立ったほうが良いと、私は思っているわ」


 今度は優しい口調で、そして一言一言をしっかり伝えるように、メルニーはゆっくりとマキトに言った。

 ようやく彼女が何を言いたいのかを理解したマキトは、改めて疑問をぶつける。


「すぐに旅立ったほうが良いって……なんかマズイことが?」


 焚き火の炎に照らされる中、マキトの問いかけにメルニーが頷く。


「今回の一件で、これ以上あなたたちを巻き込みたくないの。一応収束はしたけれど、シルヴィア様が目を覚まされたら、正直どうなるかは分からないわ」

「あー……」


 確かにそうだろうなぁと、マキトは思った。

 シルヴィアと出くわした際に、アリシアから今回の経緯は掻い摘んで教えてもらっており、なんとなく厄介過ぎることになっているのは理解している。

 ここで重要なのは、シルヴィアの暴走状態は、元々引き起こされていたという点だ。禍々しい魔力は、あくまで後押ししただけに過ぎない。

 確かに最悪な結果は回避できたが、まだ根本的な解決には至っていないのだ。


「今後しばらくの間、シルヴィア様への対応で、王宮もかなり騒がしくなると思うわ。それこそマキトくんたちに、構ってるヒマすらないくらいにね」


 申し訳なさそうな表情を浮かべるメルニーだったが、マキトはそれほど気にしていなかった。ラティたちも無事だったので、特に文句を言うつもりもない。

 考えてみれば、これといって王都に長居する理由もなく、むしろちょうど良いとすら思えてくるほどであり、マキトはすぐに答えが固まっていた。


「良いですよ。じゃあ明日にでも準備ができ次第、王都から旅立つことにします。別に謝罪やお礼とかもいりませんから」


 マキトはメルニーにサラッとそう言った。あまりにもアッサリとした物言いに、メルニーは思わず目を見開いた。

 気を使っている様子もなく、ましてや聞き間違いでもない。マキトは本当に気にしていないのだ。メルニーの提案にごねることなく、すぐに受け入れたのがいい証拠だ。

 戸惑いを覚えずにはいられなかったが、それでも助かる答えだとメルニーは思った。胸の奥から込み上げてくる気持ちに駆られながら、メルニーは笑顔を浮かべ、マキトに頭を下げる。


「本当に申し訳ありません。そして本当にありがとうございます」


 その目に薄っすらと涙が浮かんでいたことを、メルニー自身は全く気づいていなかった。

 一体どうして泣いているんだろうと、マキトは狼狽えずにはいられない。ただ素直に提案を受け入れただけなのに。

 こういうのは触れたりすると、色々と面倒なことになるのではないか。マキトはそう勘繰りつつ、どうにか返事をしようと一生懸命言葉を探す。


「あ、えっと、その……ただ単に俺、すっごいメンドくさいのが嫌なだけなんで。気にしないでください」


 マキトはなんとか笑って返したつもりでいたが、その表情は引きつっていた。

 結局、一生懸命探すほどの言葉も出てきていなかったが、マキトはそんなことを思い返している余裕はなかった。



 ◇ ◇ ◇



 南の森で一夜を明かしたマキトたちは、サントノ王都へ戻ってきた。

 ラッセルたちやダグラス、メルニーと別れ、まずは冒険者ギルドへ顔を出す。今日も朝一番の時間帯にして、既に人で溢れかえっていた。

 カウンターへ向かうと、受付嬢が驚きながら話しかけてくる。


「マキトさん、大丈夫でしたか? 南の森でトラブルに巻き込まれたとか……」

「えぇ。まぁなんとか……」


 既に昨日の出来事はギルドにも伝わっているらしい。マキトの姿を見た受付嬢がホッとしたような表情で、マキトのクエスト完了報告を受けていた。

 色々あったが、無事にノルマを達成しており、ギルド嬢から報酬金を受け取る。どう答えたものかと思いながら、マキトは金額を確認してみると、明らかに多めの金額が入っていた。


「なんかこれ、ちょっと多くないですか?」

「トラブルに巻き込んだお詫びの、上乗せ金額だそうです。ダグラスさんが門番の方を通して、そう申し出になられたんです」

「あ、そうなんだ……ちゃんとお詫びしてくれるとは思わなかったな」


 予想外の収入を得ることができ、マキトは嬉しくなって笑顔を浮かべる。

 ちなみにマキトはまだ知らないことだが、ここまでフォローが速いことは滅多にないことである。

 本当は国王から直に、謝罪と感謝の言葉が贈られるハズだったのだが、それもできないくらいに立て込んでいた。加えてマキトたちがすぐに旅立つことを知っており、尚更早くしなければという意識に駆られていたのだ。

 すぐに実行できるフォローというのが、報酬金額の上乗せぐらいしかなく、ダグラスも不満そうにしてはいたのだ。

 その後、マキトたちは凄く喜んでいたという話を受付嬢から聞き、王宮側が一安心することになるのは、もう少しだけ先の話である。


「ところで、今日はどうされますか? もしよろしければ、いくつかマキトさんにオススメのクエストをご紹介したいんですが……」


 受付嬢のにこやかな笑顔に対し、マキトは申し訳なさそうに苦笑する。


「あ、すいません。俺たち、今日あたりにでも旅立つ予定なんで……」

「えっ……そ、そうなんですか?」

「すいませんなのです。お世話になりましたのです」


 ラティが行儀よくペコリと頭を下げる。マキトも合わせて軽く頭を下げた。

 一方のギルド嬢は少しだけ戸惑う様子を見せたが、すぐに苦笑気味な表情に切り替わる。


「魔物使いがメキメキ活躍していることで、ギルドマスターからの期待度も高かったんですが……まぁ流石に私たちが止めるわけにもいきませんからね」


 またのお越しをお待ちしておりますと、ギルド嬢は深く頭を下げる。

 カウンターを後にしたマキトは、心の中で驚いていた。まさか期待されていたとは思わなかったのだ。

 流石に昨日登録したばかりで、まだ採取クエスト数個分しか受けていないのだから、期待されるというのは少々大げさのように思えた。


(俺が魔物使いだからか? それともなんか他の理由があったりするのか?)


 マキトは少しだけ考えてみるが、全く答えは思い浮かばなかった。


(まぁ、いっか)


 途端に興味がなくなり、マキトは改めて旅立ちについて考えることに決めた。

 まずはユグラシアの大森林の場所を調べなければいけない。サントノ王国がどれだけ広いのかも、それほど把握していないのだ。

 じゃあ今まではどうしていたのかというと、コートニーが地図を持っていたという、ただそれだけの話である。


「よし、まずは地図を買いに行こう。それから……」

「キューッ、キューッ!」


 マキトの頭の上にベッタリと乗っているロップルが、小さな手でマキトの頭をポムポムと叩く。何かをマキトに告げていることは明らかであった。

 ラティがロップルの言葉を聞き取り、小さく頷きながらマキトに通訳する。


「携帯食料が食べたいって言ってるのです。確かにアレは美味しいですからね。わたしも食べたいのです」

「ピキーッ!」


 スラキチも同意するかのように笑顔で鳴き声を上げる。相変わらずだなと、マキトは苦笑を隠し切れない。

 しかし確かに、携帯食料の補給はしておくべきだろうとは思っていた。

 これから北へ向かうわけだが、食料などの雑貨を売ってそうな村などがあるかどうかは分からない。ちゃんと地図で道を確認しなければ分からないが、全くないという可能性は考慮しておくべきだろう。

 そう思いながらマキトは、地図を求めて雑貨屋を探すべく歩き出すのだった。


「やっぱり旅立ちってワクワクしますね、マスター♪」

「ん、そうだな」


 笑顔を浮かべるラティを見て、なんか平和だなぁと、マキトも笑みを浮かべた。

 ――――これから更なるゴタゴタが訪れることを知らずに。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る