第二十六話 逃走する少女たち
ちょっとした騒ぎが王宮で広がっている頃――――。
南の森に入ったマキトたちは、野生の魔物を退けつつ、採取に勤しんでいた。
やはり荒野と違い、薬草などの集めやすさは段違いであったが、見通しの良さは荒野のほうが良かったと言わざるを得ない。
周囲の茂みから、野生の魔物がどこから飛び出してきてもおかしくない。しかし幸いなことに、ラティたちも魔物なだけあって気配には敏感であり、野生の魔物による不意打ちは避けられていた。
凶暴性の高い魔物が、今のところ出てきていないというのも大きい。駆け出しの冒険者に、腕を磨く場所として薦められてるのが頷ける。
「こうして見ると結構広い道なのです。これなら迷う心配はなさそうなのです」
「普通に川も流れてるし、水の確保は困らない感じだもんな」
「でも、油断は禁物なのですよ、マスター」
「分かってるって」
生い茂る木々で薄暗いとはいえ、日差しが全く当たらないワケではない。
ところどころにある木漏れ日の温かさを堪能していたその時、マキトの足元から可愛げのある音が鳴り響いた。
見下ろしてみると、力の抜けたスラキチが項垂れていた。
「ピキィー……」
「お腹空いたって言ってるのです」
マキトたちの周辺から、緊張感が吹き飛んだ瞬間であった。
「じゃあメシでも食おうか。川もあるし、ちょうど良い……あ、そうだ!」
苦笑いしながら提案したその時、マキトはあることを思いついた。背負っていたバッグを地面に下ろして、さっき採取した薬草を一つ取り出す。
「折角だからコイツを煮詰めてみよう。苦いけど即効性はあるらしいぞ?」
マキトはバッグから薬草図鑑を取り出し、その薬草のページを出す。煎じて飲めば、解熱効果や毒の進行を抑える効果があると書かれていた。
しかも効き目が強く、多少の強い毒でもすぐに打ち消してしまうとのこと。
更にこの薬草を煮詰めた汁は、数ヶ月程度の保存がきくが、その効果は日に日に落ちていくとも書かれている。
昨日、薬草の採取中にマキトはこの内容を読んでいて、薬を作り置きしておけば便利そうだと考えていた。まさに今がちょうどいい機会だと思ったのだ。
「あとは試せるとしたらコレだな。すり潰して塗れば、傷薬にできるらしいぞ」
「キューッ!」
マキトが取り出した薬草に、ロップルが見覚えがあると言わんばかりの反応を示す。ラティがふむふむと頷き、マキトに話している内容を伝えた。
「これも良く効くらしいですよ」
「そうなのか? じゃあ、図鑑で調べて……」
ラティを通してロップルの助言をもらいながら、マキトが更に図鑑のページをめくろうとした、まさにその時であった。
「ピキャアァーーッ!」
「……あ、ごめんスラキチ。まずはメシを食わないとな」
図鑑をめくる手が止まった状態で、マキトは気まずそうに笑う。
流石に腹ペコともなれば機嫌の悪さも深いらしく、ロップルとラティが宥めようとしても、スラキチは完全に拗ねたまま、そっぽを向いたままであった。
こうなってしまっては、そう簡単に機嫌も直らないだろう。マキトはそう思いながらサンドイッチを用意すると、スラキチがすぐさま笑顔で飛びついてきた。
あまりにも簡単すぎる機嫌の直りっぷりに、ラティとロップルは、完全に開いた口が塞がらない状態となっていた。
「美味しいか?」
「ピキッ、ピキャーッ!」
「うん、サイコー……と言ってるのです」
モシャモシャと幸せそうにサンドイッチを頬張るスラキチを見ながら、ひとまずスラキチの機嫌が直って良かったと、マキトは思うのだった。
◇ ◇ ◇
王宮を飛び出したアリシアとジルは、荒野を走る馬車の中で揺られていた。
とりあえず冒険者ギルドへ逃げ込もうとした矢先に、ちょうど行商がシュトル王国へ向けて馬車を出すところを見かけ、ジルが必死に頼み込んで乗せてもらったのだ。
もっともこれには、行商も立派な男だったという理由もある。美少女に値する二人の上目遣いには、到底勝てなかったということだ。
特にその時のアリシアの表情に至っては、行商も絶対に忘れられないと断言できるほどの威力を誇っていた。もっとも彼女の場合、ジルから無理やりさせられたという背景こそあるのだが、行商は当然ながら知る由もなかった。
アリシアがチラリと後ろを振り返ってみるが、特に変わった様子はない。とりあえずこのまま王都から離れていけば、上手く身を隠せるのではとアリシアは思った。
ジルもどうにか逃げられたかと一安心し、御者台に乗っている行商に声をかける。
「ホントありがとうね、おじさん。おかげさまで助かったよ」
「なーに、いいってことよ。俺は人として当然のことをしたまでさ、ハハッ♪」
行商はご機嫌よろしく笑い声をあげる。その様子にジルはチョロいぜと思いながら、ニヤリとほくそ笑むのだった。
その笑みはあからさまにワルの文字が漂っており、アリシアは引いていた。
馬車が走り続けていると、南に見える森が段々と大きくなってきた。このまま馬車の通り道を外れ、少し歩いていけば森に入れそうであった。
見晴らしの良い荒野を延々と逃げ回るより、森の中に隠れたほうが見つからないような気がする。ジルはそう思い、行商に声をかけた。
「ねぇねぇおじさん。そこらへんで降ろしてくれない?」
「了解だ」
程なくして馬車がゆっくりと止まり、アリシアとジルが荷台から飛び降りる。
そして御者台に歩いていき、アリシアは行商に深々と頭を下げた。
「どうもありがとうございました」
「いいってことよ。じゃあな!」
行商は馬車を走らせ、そのまま快調に東へと向かっていく。そしてアリシアたちは、改めて森を見上げるのだった。
「よし、じゃあ入ろうか」
ジルが先に森に足を踏み入れる。アリシアも慌てて後に続いた。
森の中は明るかった。木は生い茂っているが、ちゃんと道が続いており、とても歩きやすいと感じた。
木の葉の揺れる音、動物ないし魔物の鳴き声、川のせせらぎが聞こえてくる。薄暗いながらも穏やかな雰囲気が、どことなく心地良さを感じさせる。
スライムべスがご機嫌よろしくピョンピョンと横切っていく。その際にアリシアたちを一瞥するも、特に襲い掛かってくることはなかった。
油断できないことに変わりはないが、それでも幾分のんびりできそうな場所だと二人は思った。
「うーん、駆け出し冒険者御用達の森だけあって、結構歩きやすいねぇ。木の実や水にも困らないし、まさに潜伏するには最適の場所って感じかな」
周囲を分析しながら歩くジルに対して、アリシアは少しだけ顔を引きつらせる。
「いや、その言い方だと、まるで何日かここで暮らすみたいに聞こえるんだけど?」
「だってさぁ、さっきの王女様の様子を思い出してごらんよ。かなり根深い感じだったから、収めるのも一筋縄じゃいかないだろうさ。あたしたちがこのままスフォリア王国へ帰ってもいいんならともかく、事情が事情だからね。サントノの国王様に一度お会いしておいたほうが、後々面倒にならなくて済むような気がするよ」
ジルの言葉に、アリシアは確かになぁ、と頷かざるを得なかった。
今回の問題がもし、冒険者同士の問題であれば、ただ逃げ出すだけで良かった。しかしそれが王族絡みともなれば、何かしらのケジメを付けることが重要となってくる。
特に今回は明らかに第二王女が起こしたモノあり、なおかつ相手は他国の冒険者だ。王宮側からしてみれば、今後の国同士のやり取りを滞らせないためにも、直接アリシアたちに、謝罪の一つはしておきたいところだろう。
面倒な事態となっていることに変わりはない。だとしたら、これ以上面倒にならないように心掛けたほうが良い。
そのためにも今は、ジッと身を潜めておくことこそが最善の策。ジルにそう言われたアリシアは、納得するしかなかった。
「どうしてこんなことになっちゃったのかなぁ? 単にメルニーさんを送り届けに来ただけなのに……」
「それはあたしも超同感。まぁ、起こっちゃったのは仕方ないさ。ラッセルたちが上手く収めてくれることを祈ろうよ」
「そうだね」
二人は笑い合い、そして再び森の中を散策し始めた。
ラッセルたちには悪いが、ようやく平穏が訪れたとジルは安心しきっていた。しかしアリシアは、どこか不安そうにしていた。
「うーん、本当に何も起こらなければいいんだけど……」
「そんなに心配することないって、この森に来る途中も、王女様の気配なんて全く微塵にも感じなかったもん。しばらくここでやり過ごしていれば、きっとほとぼりも覚めてくれると思うよ」
ジルはそんなアリシアに、明るい声で背中をポンポンと触れながら言った。
確かにここまで離れれば、見つかる可能性も低いだろう。そう思ったアリシアはジルの言葉に納得しつつ、ようやく笑顔を見せた。
「……うん、そうだね。本当にありがとう、ジル」
「お礼ならオリヴァーに言ってあげてよ。逃げ出す時、体を張って王女様をせき止めてくれてたんだから」
ジルにそう言われ、アリシアは改めて思い出した。
あの時は突然の展開に混乱しており、とにかく逃げるのに必死だったが、誰かが体を張って止めてくれていたのだけは見えていた。
「そっか、オリヴァーが……じゃあ今度何かお礼をしないと」
「美味しいご飯でも奢るってのはどう? それならきっと喜んでくれると思うよ」
「じゃあ今度そうしようかな」
仲間が守ってくれていたことを知って嬉しく思いつつ、アリシアはジルとともに再び歩き出した。
それから穏やかな時間が流れた。
川の冷たい水を楽しんだり、森の中の涼しい空気に心地良さを覚えたり、野生の魔物が散歩する姿を眺めたり。
こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、二人揃って割と本気で思っていた。
王都に残り、騒ぎのど真ん中で頑張ってくれているラッセルとオリヴァーのことも、当然ながら忘れてなどいないが、それでもジルは思う。
ほんの少しくらいは、現実逃避をしたっていいじゃないかと。
ジルがひっそりとため息をつく中、アリシアは周囲を見渡しながら、まるで独り言のように呟く。
「なんか思い出しちゃうなぁ」
「え、何を?」
「こーゆー静かな森を歩いていると……その、なんてゆーか……」
アリシアがほんのりと顔を赤らめた瞬間、ジルがイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「おっ、なになに? もしかして例の『初恋』の男の子の件ですかな?」
「な、何言ってるのジル? あの子は別にそんなのじゃ……」
アリシアは更に顔を真っ赤にさせながら叫ぶ。するとジルは、実にわざとらしく深い頷きを返した。
「ふーん。『あの子』の部分は否定しないんだ?」
「うぅ……」
恥ずかしそうに俯きながら、アリシアはどう言葉を返そうか考える。しかし完全にテンパってるためか、全く思い浮かばなかった。
その姿を見たジルは、ニヤついた笑みから一転、今度は呆れたかのような笑みを浮かべ始めた。
「いや、からかったのは謝るけど、今更だと思うよ? 十年前のこと話す時、アリシアいっつも楽しそうだもん。あんな顔してたら好きだって言ってるようなもんだよ?」
「そ、そんなに楽しそうに……てゆーか、そーゆーふうに見えてたの?」
「むしろそれ以外に何かあるのって、トコトン聞き出してやりたいくらいだよ」
ジルの言葉に対し、アリシアは恥ずかしそうに顔を背ける。
本当にカワイイ反応するなぁと、ジルの中でイタズラ心が芽生え始めた時、突如すぐ傍の茂みから、ガサガサという音が響き渡る。
慌てて身構えた二人の前に、一匹の赤いスライムが茂みの中から飛び出した。
「ピキィ?」
誰、とでも言いたそうに、赤いスライムは顔を傾ける。
敵意は全く見られず、無邪気な表情はどこか可愛いと思えたが、魔物である以上油断はできない。
しかしそれ以前に、二人は目の前のスライムに対して思うことがあった。
「……ねぇ、この真っ赤なスライム、前にもどっかで見なかったっけ?」
「うん、私も同じこと思ってた。確かサントノのギルドで……」
赤いスライムの額についている小さな印が、一人の少年の姿を連想させる。
他の可能性は考えられなかった。スライムべスとは違う、真っ赤なスライムというだけでも珍しいのに、その魔物が普通は付いてないハズの印をつけているのだ。
昨日、その少年をギルドで見かけた後、ラッセルの発案により、その印について四人で調べた。そして知ったのだ。
その印が、魔物使いが従えていることを示す『テイムの印』であることを。
「スラキチーっ、どこだーっ?」
ガサガサと茂みをかき分けながら、後ろから一人の少年がニュッと顔を出す。
頭にバンダナを巻いており、歳はアリシアたちよりも少し下ぐらい。その足元には、デフォルメされたネコのような白い生き物。そして、普段じゃ絶対に見かけない手のひらサイズで羽根を生やした少女――すなわち妖精の姿。
赤いスライムを見つけたバンダナの少年は、安心したかのような笑みを浮かべ、駆け寄っていく。
それを見たアリシアは、思わず目を見開きながら、両手で口元を押さえた。
(ウソ……まさか、そんなことって……)
まだ自分が小さかった頃に見た、忘れたくても忘れられない光景。自らの記憶に眠り続ける小さな少年の姿が、目の前の少年の姿と重なる。
昨日や今朝も、確かに違和感程度のようなモノは感じていたが、それがどうして今になってここまで心が揺さぶられるのか?
これは本当にただの偶然なのか。それとも神様が用意しためぐり合わせなのか。そんな考えがアリシアの頭の中を激しく駆け巡る中、バンダナの少年はとりあえずといった感じで、軽く頭を下げる。
「あ、どうも」
その言葉にジルは慌てて会釈するが、アリシアは呆然としたまま固まっていた。
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