第105話 里帰り(その10)

 春慶がにこりと笑うと、動揺していたA子たちもようやく落ち着きを取り戻す。

 しかしB子だけは別の意味で落ち着いたようであった。

 それは落ち着いたと言うより別の感情に動揺が押し流されたような、そんな不安げな顔であった。


「……事は、ま、さか、」

「春慶様、早いですお待ちくださいませ~」


 春慶の後ろからその声は聞こえてきた。

 よく見ると能楽堂の方から、和服姿の金髪の女性が駆け寄ってきた。


「あらあら秋徳さん、遠路はるばるお帰りなさいませ」

「あ、怒依(ぬえ)さん、あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします」


 ご主人様は挨拶した。


「こちらこそ~裏の温泉も良い塩梅だからゆっくりしてらしてねぇ~」


 怒依はのんびりとした口調で答えた。


「ご主人様、どちらさまで?」


 隣のA子が訊いた。


「ああ、彼女は……」

「ああ、失礼しました~ウチは怒依と申します、春慶様の妻――ひでぶっ」


そう言った瞬間、突然春慶は怒依を殴り飛ばした。



 A子たちが唖然とする中、先ほどまで多くの参拝客を魅了する美しい舞を舞っていた春慶に、表情一つ変えずに殴り飛ばされた怒依は、ボロ雑巾のように転がっていった。


「……ああ、間違いない、あの〈鬼の春慶〉」


 B子は身震いした。


「その二つ名よく知ってるな」

「……ええ。有名ですから“こちら”側では」

「てコトは、だ」


 ご主人様は痙攣している怒依をチラ見し、


「彼女の事も?」

「……長生きしているほうですが“現物”と遭遇したのは初めてです」


 B子は青ざめた顔で小声で答えた。


「それ以上に……」


 B子は春慶を見た。


「怖いか?」


 B子は無言で頷く。


「今の世、〈鬼の春慶〉を畏れぬあやかしなど居りません」

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