橋姫 その三十一

 だいたい老人は涙もろいとは見聞きしていたものの、これほどまで深く悲しんでいるのもおかしいと薫の君は不審に思い、



「こちらにこうしてうかがうことはもう度重なっていますが、あなたのようにものの情もお分かりになる人はいなかったので、いつも露深い道中を一人濡れそぼって往来していました。いかにもうれしい機会だと思うから何もかも残らずお話ください」



 と言う。老女は、



「こんないい機会はめったにございませんでしょう。また仮にあったとしても明日をも知れない命は頼りになりませんので、それならただこんな年寄りがこの世にいたということだけでも知っていただきとうございます。御母の三条の宮のお邸にお仕えしておりました女房の小侍従は亡くなってしまったとか、ちらと聞きましたが、その昔親しくしておりました同じ年頃の人々もほとんど亡くなってしまいました。こんな老い果てに私は遠い田舎からはるばる伝手をたどって都へ上ってまいりまして、ここ五、六年ばかりこのお邸にこうして仕えております。この説、藤大納言とおっしゃるお方の兄君で衛門の督でお亡くなりなされましたお方のことはご存じではないでしょう。何かの話のついでにお噂をお聞きになられたこともございましょうか。お亡くなりになられたのがついこの間のように思われて、その折の悲しさもまだ袖の涙の乾く暇もないように思われます。あの柏木の衛門の督の乳母だった者はこの弁の母でございました。それで私も明け暮れお側にお仕えしておりましたので人数にも入らないつまらない身ではございますが、衛門の督の君はどなたにも知らせずお心ひとつに納めきれないようなことを時々私にお洩らしになられたのでした。病気が重くなり、いよいよ臨終も間近になった時に私を枕元に呼び寄せになりまして、少しばかり遺言なさったことがございます。その中にどうしてもあなたさまのお耳にお入れしなければならないことが一つございます。ここまでお話ししました上は後をお聞きになりたいとお思いならいずれゆっくり何もかもお話し申しあげましょう。若い女房たちがw私のおしゃべりを見苦しい、出しゃばりすぎだと突つきあって避難しているのももっともなことと思われます」



 と言って、その後はさすがに口を閉ざしてしまった。

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