幻 その二十三

 暑さの耐え難い六月のころ、光源氏は涼しい部屋で物思いに沈んでいる。


 池の蓮の花が今を盛りと咲いているのに目がとまるにつけても、〈いかに多かる涙なりけり〉などという人の死を悼んだ古歌をまず思いだすので、そのまま魂が抜けたように呆然と物思いに沈んでいるうちにいつの間にか日も暮れてしまった。蜩の鳴き声が華やかに聞こえる中で、庭前の撫子の花が夕映えに浮き上がっているのを、たった一人で見るのは本当に味気ないことだ。




 つれづれとわが泣き暮らす夏の日を

 かごとがましき虫の声かな




 と詠み、蛍がおびただしく飛び交うのを見ても、〈夕殿に蛍飛んで思ひ悄然たり〉と、例によって古い詩も玄宗皇帝が亡き楊貴妃を恋い偲ぶような内容のものばかりをつい口ずさむようだった。




 夜を知る蛍を見てもかなしきは

 時ぞともなき思ひなりけり




 とも詠むのだった。

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