若菜 その二四六

 柏木はそんな女三の宮の姿を近々と目にして柔らかい肌に触れているうちにもう冷静な理性も自制もすべて失ってしまい、どこへなりとも女三の宮を連れて隠してしまい、自分もまた世間を捨てて一緒に行方をくらましてしまおうかとまで惑乱するのだった。


 その後、ほんの少しうとうとしたとも思えないつかの間の夢に柏木はあの手馴らした猫がいかにも可愛らしい声で鳴きながら近寄ってきたのを見た。女三の宮に返そうと自分が連れてきたように思われるのだが、どうして返したのだろうと思ったところで目が覚めた。いったいなぜこんな夢を見たのかと柏木ははたと思った。


 女三の宮は信じられないこの成り行きのあまりの浅ましさにかえって現実のこととも思えず、胸も塞がり茫然と途方に暮れて悲嘆に沈みこんでいる。柏木は、



「やはりこうして逃れられない前世からの深い因縁で結ばれていたのだとあきらめください。我ながら正気の沙汰とも思われません」



 と言って、あの女三の宮としては記憶にもなかった御簾の袖を猫の綱が引き上げた春の夕暮の出来事も話したのだった。そういえばたしかにそんなこともあったかと女三の宮は口惜しくてならないのだった。


 思えばこんな取り返しもつかない過ちを犯すような薄幸な運命の人だった。


 ヒカル絃にもこんなことになった以上、これからはどうして会うことができようと悲しく心細くて、まるで幼い子供のように泣く。


 柏木はそんな女三の宮がただもうもったいなくも可哀そうに思い、女三の宮の涙まで拭う自分の袖はますます涙で濡れまさるばかりなのだった。

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