澪標 その十

 乳母はこの姫君を、本当に綺麗で可愛らしく、大切にお世話した。


 母の明石の君も、光源氏と別れてから幾月、物思いにばかり沈んでいて、身も心もすっかり衰弱しきって、生きた気持ちもしなかったが、こうした光源氏の心遣いに、少しは心の憂いも慰められたのだろうか、病床から頭をあげて、使いにも、またとないくらいのもてなしを尽くした。


 使いはすぐにも京に帰りたがって、長居を迷惑がっているので、思うことのあれこれを少しばかり書いて、




 ひとりして撫づる袖のほどなきに

 覆ふばかりの蔭をしぞ待つ




 と返事した。


 光源氏は、不思議なほど姫君のことが心にかかって、一日も早く、姫君に会いたい思いがつのった。


 紫の上には、これまで明石の君のことをほとんど話していなかったので、他から耳に入ってはまずいと思い、



「実はこうなのだそうです。物事は妙にうまくいかないものですね。子供ができてほしいと思うところには、一向にそんな気配もなくて、思いがけないところに生まれたとは、残念なことです。その子は女の子だということですから、本当に気に入りません。捨てておいてよいようなものですが、そうもいきませんものね。そのうち赤子を迎えにやって、お目にかけましょう。憎まないでくださいね」



 と言うと、紫の上は顔を赤らめて、



「いやですこと、いつもそんなふうに嫉妬するなと注意をいただく私の性分が、われながら嫌になります。でも人を恨むなんてことは、いつ覚えることでしょうか、あなたがそうさせたのですわ」



 と恨むと、光源氏はにっこりして、



「それそれ、いったい誰が教えたのでしょうね。思いもよらない様子をする。まるで私が考えもしなかったことを邪推して、恨み言を言って。考えると悲しくなる」



 と言って、挙句の果てには涙ぐんでいた。

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