明石 その三十六

 出立の明け方は、まだ暗いうちに出かけ、京からのお迎えの人々もがやがやとしていた。光源氏は心も上の空でいるけれど、人目のない折を見計らって、




 うち捨てて立つも悲しき浦波の

 なごりいかにと思ひやるかな




 と言えば、明石の君からの返歌は、




 年経つる苫屋も荒れて憂き波の

 帰るかたにや身をたぐへまし




 と心に思ったままを歌にしたのを見ると、光源氏はこらえていても、ほろほろと涙がこぼれた。


 事情を知らない迎えの人々は、やはりこんな田舎のわびしい住まいでも、幾年も住み慣れていたので、これが最後というときには、やはりこんなに悲しく思うのも、もっともなことだと拝した。


 良清などは、明石の君に並々ならずご執心なのだろうと、光源氏を忌々しく思っている。


 誰も皆、帰京の喜びにつけても、いよいよ今日限りでこの渚と別れるのかと感無量の気持ちになり、それぞれ涙を流しながら口々に嘆き悲しんで話し合うことも、いろいろあったようだった。けれどもいちいち書き留めるほどではあるまいと思うので、省略する。

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