明石 その十六

 入道もたまらなくなって、御仏に供養する作法も怠って、急いで浜辺の邸に参上した。



「すっかり捨て去りました俗世のことも今更に、あらためて思い出しそうな君の琴の音色でございます。来世で生まれたいと願っております極楽の有様もこんなふうかと想像されまして、今宵の風情は格別でございます」



 と言って、感涙に咽びながら、誉めそやすのだった。


 光源氏自身も、折にふれて催された宮中の音楽の催しや、そのときのあの人この人の琴や笛の音、またはその歌いぶりなど、その折々につけて人々から賞賛された自身の有様や、帝をはじめとして、多くの方々が自分を大切にし、敬っていたことを、その頃の人々も、自身の身の上も、次々に思い出し、全ては夢のような気がした。


 興に任せてかき鳴らされる琴の音色も、心に冷え冷えと悲しく、しみわたるように聞こえた。


 老いた入道は涙をおさえきれない様子で、岡の邸に、琵琶や筝の琴を取りにやって、入道自身は琵琶法師になって、とても面白く珍しい曲を一つ二つ弾くのだった。


 光源氏には筝の琴を勧めたので、少し弾いた。


 それを聞いて入道は、何をしてもすばらしい技量なのだと感嘆しきるのだった。


 それほど上手くない楽器の音でも、そのときと次第で常よりよく聞こえるものだ。まして、はるばると遮るものもない海の景色を前にしては、春や秋の花や紅葉の盛りのときよりも、ただ何ということもなく生い茂っている緑の木陰が、かえってみずみずしくて、そこへ水鶏の声が戸を叩くように聞こえるのは、〈誰が門鎖して入れぬなるらむ〉という歌を思い出して、しみじみ興深く思った。

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