須磨 その二十九

 朧月夜は、光源氏との一件で世間から物笑いの種にされ、とても萎れきって塞いでいた。父右大臣はとても可愛がっていた姫君なので、しきりに弘徽殿の女御にも、帝にも、許してもらえるように言ったので、正式の女御や御息所という立場でもなしに、ただ公の用をつとめる典侍司の長官という官職なのだから、と帝も考え直した。また、あの光源氏との密通をという恨むべき一件があったからこそ、朧月夜にも参内停止という厳しい処置も定められたが、光源氏が自ら都を去った上は、と朧月夜には再び参内を許したのだった。そうなっても、朧月夜の胸のうちでは、やはり心に染み付いてしまった光源氏のことばかりが、ひたすら恋しく思われるのだった。


 七月になって朧月夜は参内した。帝はとりわけ深かった寵愛の名残りが続いていて、人のそしりも心にかけず、以前のように、清涼殿にずっと呼び込み、常に側にぴったりと引き寄せていた。何かにつけて恨んだり、そうかと思うと、また、しみじみと愛を交わしたりした。


 帝は姿も容貌も、きわめて優雅で美しいのだが、やはり今も光源氏のことばかりを思い続けている朧月夜の心のうちこそ、畏れ多いことだった。


 管弦の遊びのついでに、



「こんなときに、あの人のいないのは実に淋しいですね。私以上にそう思っている人がさぞ多いことでしょう。あの人がいないと、何事につけても光が消えたような心地がする」



 と言い、



「私は光源氏を大切にせよという亡き桐壺院の遺言の心にそむいてしまった。きっと罪を蒙ることだろう」



 と涙ぐんでいるので、朧月夜も涙をこらえることができない。帝は、



「この世の中などは、こうして生きてみたところで味気ないものだと、思い知らされてみると、この世に長生きしようとはさらさら思わない。もし私が死ねば、あなたはどう思うだろうか。この間の、あの人との生き別れほど悲しんでくれないだろうね。そう思うと妬ましくなる。〈生ける日のためにこそ人は見まくほしけれ〉といってこの世で恋しい人とともに暮らさなければつまらないという歌があるけど、あれは本当に夫婦仲の良くない人の残した歌ですよ」



 ととても優しい様子で心からしみじみと思いいれて言うので、朧月夜はついほろほろと涙をこぼすと、



「そらそら、その涙はいったい誰のための涙なのか」



 と言った。



「あなたに今まで御子が生まれなかったのが物足りないことだった。東宮を、亡き桐壺院の遺言通り自分の猶子にしようとは、今も思うけれど、そうすれば色々と不都合なことが起こってきそうなので、かえって東宮に気の毒で」



 などと言った。世の中の政治を、帝の意向を無視して執り行う人々がいるので、帝は若い上、強い気性ではないので、何かにつけて、ただ、困ったことだと思うことが多いのだった。

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