須磨 その十八

 夜が明けきった頃、二条の院に帰り、東宮にも便りを出した。東宮には王命婦が今は藤壺の宮の身代わりとなって付き添っているので、その部屋にあてて、



「今日いよいよ都を離れます。今一度の参上が叶わないままになってしまいましたのが、数々の悲しみにましても切なくてたまりません。何事も推察の上、東宮によしなにお伝えください」




 いつかまた春の都の花を見む

 時うしなへる山賤にして




 桜の花の散り過ぎて淋しい枝に、この手紙をつけて届けた。


 王命婦が、



「このような文が光源氏様から届きました」



 と東宮に見せると、幼少ながら真剣な顔で見るのだった。



「お返事はどうお書きしましょうか」



 と王命婦が言うと、



「しばらく逢わなくても恋しくてならないのに、遠く離れて行ってしまったら、どんなに淋しいだろう、と言っておくれ」



 と言った。何というあっけない返事だろう、と王命婦はしみじみいじらしく悲しく思わずにはいられなかった。どうしようもなく切ない恋に、光源氏が悩んでいた昔の頃の、折々のあれやこれやの様子が、次から次へと思い出されるにつけても、何の苦労もなしに、光源氏も藤壺の宮も過ごせたはずなのに、自分から求めて苦しんだと思われた。それもこれも自分の浅はかな仲立ちひとつのせいのように思われて、王命婦は今更、つくづく後悔するのだった。返事は、



「ほんとうに何と申し上げたらよいのやらわかりません。東宮様へは確かにお取次ぎしました。東宮様がいかにも心細そうに沈んでいる様子がおいたわしくて」



 と取りとめもない文面なのも、王命婦の心が悲しみに掻き乱れているからなのだろう。




 咲きてとく散るは憂けれどゆく春は

 花の都を立ち帰り見よ




「時節さえめぐってまいりましたならば」



 と返事をしたためて、そのあとも女房たちと、しみじみ悲しい思い出話をしながら、東宮御所の人々は、互いにみな忍び泣きあっているのだった。

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