葵 その十七
葵の上は白い召物に、真っ黒な髪がとても鮮やかに映えて、非常に長くて豊かな髪をひき束ね結び、体のわきに添えてある。こんなふうに、つくろわないでありのままにしていることこそ、可愛らしさもなまめかしさも加わって、魅力のある人なのに、と思う。光源氏は、葵の上の手を取って、
「ああ、あんまりな。こんな私に何という辛い思いをさせるのですか」
と後は言葉が続かず、よよと泣く。葵の上は、いつもはとても気詰まりで近寄りにくい冷たい眼差しなのに、今はさもだるそうに開いて、光源氏の顔を見上げて、じっと見つめている。その目からみるみる涙がほろほろとこぼれ落ちる。それをみた光源氏が、どうして心からいとおしいと思わないでいられようか。
葵の上があまりにも烈しく泣くので、それは、悲嘆にくれているいたわしい両親のことを案じたり、また、こうして自分と顔を合わせるにつけても、この世の名残が惜しまれて、こうも悲しむのだろうか、と葵の上の心のうちを思いやり、
「何事も、そんなに深く思いつめないでください。きっと病気もそれほどたいしたことではなく、すぐによくなりますとも。たとえどんなことがあろうとも、夫婦は必ず再び逢える時があるといいますから、私たちはきっとまた、お逢いできるのですよ。父大臣や母宮など、前世から因縁の深い縁のある仲は、いくら輪廻転生を重ねても、縁は切れず、必ず再び逢うことができると信じなさい」
と慰めると、
「いえいえ、違うのです。私の身がたまらなく苦しいので、少し調伏を緩めて楽にしていただきたくて、それをお願いしたくてお呼びしたのです。こちらへこうして迷って来ようなどとは、さらさら思っておりませんのに、物を思いつめる人の魂は、ほんとうに、こんなふうにわが身からさまよい出るものなのですね」
とさもなつかしそうに言って、
嘆きわび空に乱るるわが魂を
結びとどめよしたがひのつま
と言う声音や様子は、まったく葵の上とは似ても似つかぬ別人だった。これは一体どうしたことか、と光源氏が不思議に思いながら色々考え、見直すと、それはまさしく、あの六条御息所そのままの姿なのだった。あまりの浅ましさに呆れ果てて、光源氏はこれまで人がとやかく噂していたのを、つまらない人たちの言い立てることで聞くに堪えないと相手にもせず、そんな噂を否定し続けていたのに、今、目の前にまざまざと見ては、世の中には、本当にこんなことがあるものなのか、と不気味で六条御息所を疎ましく思うのだった。つくづく、ああ嫌なことだと思い、
「そうおっしゃっても、私にはどなたかわかりません。はっきりお名乗りください」
と言うと、いっそう紛れもなく六条御息所そっくりの様子になるので、浅ましいどころの話ではない。女房たちが側へ近づくのさえ、体裁が悪く恥ずかしく思うのだった。
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