葵 その十六

 斎宮は、去年、宮中の初斎院に入るはずだったが、色々な差し支えがあって今年の秋に入ることになった。九月には、そのまま宮中から野の宮に移る予定なので、二度目の御禊の支度も、引き続いてしなければならない。ところが、母親の六条御息所が、この頃ただもう妙にぼんやりして正体も気力も失い、物寂しそうに寝込んでいるので、斎宮に仕える人々は、一大事とばかり心配して、祈祷など様々にとり行っている。


 光源氏も終始お見舞い申し上げるが、もっともっと大切な葵の上の病気が重いので、心が休まらないようだった。




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 まだ出産の時期ではないからと、左大臣家では、みんなが油断していたところ、葵の上がにわかに産気づいて苦しみだしたので、これまでにもまして効験のある祈祷の限りをつくした。ところが、例の執念深い物の怪がひとつだけ、どうしてもとり憑いて動かず、効験あらたかな験者たちも、これは只事ではない、ともてあましている。それでもさすがに調伏され、物の怪がさも苦しそうに痛々しげに泣き悶えて、



「少しご祈祷を緩めてください。光源氏様に申し上げたいことがあります」



 と言う。女房たちは、



「やっぱり。何かわけがあるのだわ」



 と葵の上の側の几帳の陰に、光源氏を入れた。葵の上は、もうご臨終のような容態なので、光源氏に遺言でもしたいことがあるのだろうか、と左大臣も母宮も、少し座を外した。僧たちも加持をやめて、声を低めて法華経を読むのが、この上なく貴く聞こえる。


 光源氏が几帳の帷子を引き上げて見ると、葵の上はとても美しいまま、お腹だけがひどく高く膨れ上がって臥している。他人でさえもこの姿を見たら、いたわしくて気もそぞろになることだろう。まして夫の光源氏には、葵の上の命が惜しまれ、前後の境もなく悲嘆にくれているのも道理だった。

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