紅葉賀 その十一

 光源氏は自分の部屋で休み、どうしようもない胸の苦しみを鎮めてから、左大臣邸に行こうと思った。目の前の植え込みにある撫子を折らせ、それに添えた手紙を王命婦の許に書いたようだが、さぞかしこまやかに心の限りが尽くされていたことだろう。




 よそへつつ見るに心は慰まで

 露けさまさる撫子の花




「わたしの庭に咲いて欲しいと思った撫子の花でしたが、今はその甲斐もないわたしたち二人の仲でした」



 とあった。ちょうど人のいない都合のいいときがあったのだろうか、王命婦はその歌を藤壺の宮の目にかけて、



「どうかほんの塵ほどでも、この花びらに返事を」



 と言う。藤壺の宮は自分の心にも、しみじみ悲しく思っていたときなので、




 袖濡るる露のゆかりと思ふにも

 なほ疎まれぬやまと撫子




 とだけ、墨色もほのかに、途中で書きさしたような歌を、王命婦は光源氏に差し上げた。


 いつものように、どうせ返事は来ないだろう、と光源氏は心も萎えてぼんやり外に目をやりながら横になっていたので、思いがけない返事に胸がときめき、あまりの嬉しさに涙がこぼれるのだった。

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