外伝「面食い」7

手の甲に血が滲んでいるのに気づいたのはしばらく後だった。

 あなたの黒髪が白い背で踊るのを眼裏にとどめた。おれがもっていかれなかったのが不思議なほどだ。長い髪を揺らして果てるあなたを見るのはたまらなかった。

 おれはあなたを膝のうえに抱えあげた。力の抜けた肢体はかんたんに腕のなかにおさまった。愛おしくてたまらずその頬といわず額といわずくちづける。それでも唇には触れないだけの冷静さが残されていた。嫌がるかとおそれた。

 あなたは喘ぎあえぎ俺を睨みつけた。泣き濡れた瞳でそんなふうに見られても怖くもなんともない。むしろもっと泣かせたくなる。あなたはそういうおれの悪巧みを察したのかもしれない。顔をそむけた。けれどふだん青白い色をしたあなたの肌が、どこもかしこも紅潮していては媚態にしか感じられなかった。とはいえおれはあまりあなたを追い詰めたくはない。あなたが気を損ねているのはわかっていた。いまだ混乱のただなかにあることも。

 あなたはあなたで、おれがそれを察していることに気づいてもいた。息をととのえながらおれの腕のなかでおとなしくしているのは――あなたは本当に怒っているときは触れることを許さない――、ただおれの不埒な振る舞いに気を悪くしているだけでなく、あなたもおれと離れがたいのだと自身で理解しているようだった。

 それに、あなたの腰におれの昂ぶりが押しあてられたままなこともあなたは知っていた。

「……すまない。血が」

 あなたが、じぶんのつけた爪の痕に気がついた。おれはあなたの頭の横で首をふった。たいしたことないと。そのまま耳のうえで尋ねた。

「舐められるの、そんなにいやだった?」

 当たり前だろうっとあなたが声を荒げた。それを聞いたおれはぎゅうっと強くあなたの身体を抱き締めた。そのまま、どうしてと問いを重ねた。あなたのあんな声は耳にしたことがないとは教えなかった。本当に恐慌をきたしていたのは知っている。おれはあなたに酷いことをした。無体を強いた。おれはそれを誰よりもよく知っている。きっと、あなた自身よりも。あなたは黙りこんだままだった。だから続けた。けど指よりもやわらかいもの、ここがそうなように、とあなたの完全には萎えきっていない先端を掌でくるんだ。あ、と声をあげて震えた肩先にくちづける。おれは、痛くしたくなかったと言い訳をした。あなたはかすかに頭を動かした。それはわかってると小さな声が返る。やさしさに胸が痛くなる。

「あなたの何もかもが知りたい。ただたんに繋がりたいだけじゃなくて、あなたをもっと気持ちよくしたくておれは、」

「知らなくていいっ、あんなところにその顔があるのが堪えられない」

 は、という間抜けな声が口から漏れた。あなたはでも、それを気にする余裕もなさそうで矢継ぎ早につづけた。

「見えるほうが安心するって言うから、俺だって血が出たりなんだりするのは嫌で我慢したがもういいっ、痛くていいから舐めたりするな、死ぬかと思った……」

 あなたがため息をついて肩を落とした。おれはあなたの無茶に突っ込みを入れるのを忘れた。女性と寝ていたひとだ。そこが排泄器官だから嫌がるのだとおもってきた。いや、それ自体は間違っていない。まちがってはいないが……。

 ふいに悪戯心が押し寄せた。もしも今、おれの顔が好きなの、などと問いかけたら――あなたはおれを殴ってでも風呂を出ていくにちがいない。出ていきかけたあなたを引き倒し、もういちど舌を突っ込んで舐めまわしさっきの声を聴きたいと願わなかったと言えば嘘になる。でもそうはしなかった。

 おれはあなたの頬に頬を摺り寄せて囁いた。

「でもおれはあなたのどこもかしこも舐めたい」

 変態と返されるかとおもったがそれもない。あなたは何かまた考えているようだった。おれはあなたの吐き出したものとローションで濡れた手でそこを掴み、ゆっくりと扱く。芯をもちはじめたものの先端をその腹へと擦りつける。鼻にかかった声を聴かされて、ずくり、と下腹のものが己を訴えた。あなたもそれに気がついた。手を、そこでなくおれの頭へとやった。

「髪、抜けたりしなかったか」

 さっき思いっきり引っ張ったと謝った。さすがに痛かったので手を掴んだのだとは返さず、平気とこたえる。平気じゃないのはここという言葉をのみこんで腰を揺するようにして押しつける。あなたはたぶん、口でしてやるとでも言おうとしたのだろう。そうやっておれの胸から這い出ようとしたのでその頭を抱いて自分ごと横へ倒した。おれはあなたを両腕でしっかりと抱えこみ少し伸びあがって瞼のうえにキスをする。目をとじたあなたの耳へ、ずっと言いたかったことを注ぎこむ。

「こうしてるときはあなたのどこを見ても触っても亢奮する」

 これといった反応がなかった。意味を捉えかねたのか、どうこたえていいのかわからなかったのか。おれの顔を確かめようとしたあなたを背中からきつく抱き締める。焦る必要は何もないとおれはひとりでわらった。おれの言葉がいつか、あなたのなかで実を結ぶのはわかっていた。それが今じゃないというだけのはなしだ。

 そして、おれに抱きくるまれたあなたは体勢を入れ替えようと身動ぎしていた。律儀に仕返しをしたがっているあなたは脚のあいだに膝を入れられてはじめて、自分の置かれている状況をそれと察したようだった。もういい今度はおまえの番だろうという口に指を入れて黙らせる。

「お願いだからもう少し我慢してつきあって」

 見おろして囁くと、あなたが瞳をおよがせる。もうだいぶ痛くなくなったでしょうと言いながら口のなかにいれた指をゆっくりと動かす。あなたの腰に手をやる。中指を、いちばん奥まった処へと這わす。触れるだけにとどめてもういちど、お願いと乞う。

 あなたの目のなかに、おれがうつっている。

 あなたはしずかに目を伏せる。それが拒絶ではなく承諾であるとあなたのほうがよく、理解していた。

「さっきみたいな声きかせて」

 せりあがる欲望を言い訳にして、おれはあなたを指で犯した。


 後悔しなかったといえば嘘になる。

 けれど、力なく獣のように這いつくばったあなたは後ろ手におれのものを掴んでこう言った。

「……このままで、すむと思うなよ」

「あなたの腰が立つなら下になるよ」

 返事はなかった。

 おれはあなたの手から自分のものを引き抜いた。そのままあなたの閉じた足のあいだに腰を遣ってさしいれる。あなたの出したものとおれの唾液で濡れている処へと。

 指と舌が知る場所を思い描きながら前後にいくらか揺すっただけで達した。あなたはとても驚いたようだった。いくらなんでも早すぎるという顔つきでおれを見あげた。おれは、いまにもそう言いだしそうな口を指でつまんだ。

「ずっと我慢してたし、あなたとほんとうに繋がったみたいでうれしくて」

 あなたは目をしばたいた。

 それからおれの頬に手をやって満足そうに微笑んだ。そしてふと、首をかしげてこう言った。

「今日なんで機嫌が悪かったんだ?」

 おれは苦笑しただけでこたえなかった。


 翌朝あなたがおれの顔をみて、例の男優に似ていると教えてくれたときにはもう、おれはそれを気にとめなかった。けれど念の為、こうたずねた。

「昔から好きだったの?」

 あなたはおれをじっと見て、ふいに目をそらした。おれは一歩近寄って、むっつりしたままのあなたにキスをした。



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夢のように、おりてくるもの 磯崎愛 @karakusaginga

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