『夢の花綵』「夢うつつ夢うつつ」6

 端末が鳴る。じぶんの鼓動を聞く。息の狭まるのを感じる。あなたの無事を確認したいと不安がるおれをけっして知られてはならない。

 あの事件の前から自分に強迫観念があるのは知っていた。初恋のひとが他の男女と寝ているのを黙って受け入れることしかできなかった。おれよりもあのひとを悦ばすことができる相手がいる。その現実は幼いおれをいたく傷つけた。

 あなたに告白したとき、おれはほぼ無意識に「そのこと」について触れた。いや、言わないでよかったことを口にしたと当時も頭ではわかっていたはずだ。あなたはそれを夢使いに対する典型的な差別だと感じた。夢使いは春を鬻ぐものではない。それはあなたにとっては当然すぎる事実だっただろう。そしておれは、一緒に暮らしはじめてからあなたが他の誰とも関係を持ったことがないのも知っている。


 あの日までは。


 あなたが依頼人の様子をはなすのを聞きおえてベッドに腰をおろす。

「ホテルの部屋さむくない?」

 大丈夫とこたえが返る。風呂は。いま出たところ。明け方に仕事? いや今日はない。ないの? ああ、今日は長時間移動したから休めと労わってもらったよ。

「パジャマ着てるよね」

 おれのあげた。という言葉はしまう。暮らしはじめてすぐにパジャマを贈った。眉間に皺をよせて受け取ったあなたの顔は忘れない。青いシルクのそれは古い洋画にでも出てくるような代物だったけれど、結局あなたは身に着けた。

「……釦はずして」

 戸惑う気配が感じられた。何を言い出すと笑われたらそれでいい。沈黙が続く。おれはもう脱いでたのにと笑い声でつけたそうとしてやめた。衣擦れの音が耳にとどいた。

 ホテルの間接照明にあなたの胸と平らな腹が映し出されるさまを思い浮かべる。それだけで喉が鳴る。滑らかな肌に手を這わせ胸の飾りに思うさま歯をたてて味わいたい。

 おれのあさましい囁きを受けて、昨日もしたじゃないかと詰るような口調であなたが言う。ほんとうに責めているのでも呆れているのでもないとおれは知っている。

 かるく唇を合わせながら、おれの手があなたの髪をそっとかきあげる。あなたがこれから訪れるものを予感して身をすくませるのをおれはよく知っている。あなたはいつもこのとき少し不安そうな瞳でおれを見る。いつだったかそれを指摘したら赤くなって、この口を摘まもうとした。

 おれに耳いたぶられるの大好きなくせに。

 そう甘噛みするように囁くと声が漏れた。

「ねえ本当に脱いだ? 見せてよ」

 調子にのってねだると、ヘンタイ、とすぐさま呆れ声が返ってきた。おれは安堵する。それはこのままおれの好きにしていいという合図だから。あなたはどうしようもなく切羽詰っているときでさえおれに素直にねだらない。ただそうやっておれを煽る。

「おれがいつもしてるみたいにして。ちゃんと両手つかって」

 パジャマの前を肌蹴たままあなたは横たわる。ふだんひんやりと冷たく乾き青白く見える皮膚にうっすらと汗をかいて。おれが触れるとあなたの血がざわめく。紅潮し、震える。

 痙攣し嗚咽するあなたにおれはおかしくなる。

 あなたの髪が揺れる。身を捩り、おれの下から逃れようとするあなた。腰に届くほど長い髪を掌に握りこんで引き寄せ、その唇を奪う――……。


 それが、過去の出来事であるとおれは知っている。あなたの髪はいま肩より少し長いだけ。


 おれが、切ってしまえばよかった。あなたが大事に伸ばしていた髪を、おれ以外のいったい誰が、手を触れて許されるのか。

 何故おれはそうしなかったのだろう。

 あなたが依頼人と夜を過ごすことが耐えられない。おれはそう告白した。あれから何年の時がたったのだろう。十二年、そのくらいか。

 時間はいくらでもあった。ずっとそばにいた。なのにおれはそうしなかった。


 おれはたしかにそれを悔いていた。あなたを縛りつけてどこにも行かせないと叫んだのがおれではないことを、何かの間違いのように感じていた。


 あなたの爪に食い込んだ血肉はおれのものだけでいい。あなたの苦痛と歓喜の何もかもを知るのはおれだけのはずだ。

 おれが、あなたを「あがなう」――……。

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