黒猫

  



「お帰りください」


「どうした、成子」

という二人の会話が外まで聞こえていた。


 眞鍋は暗がりに目を凝らし、御簾の向こうを窺う。

 声は道雅なのだが、話しっぷりがまるで違っていた。


 不実な神を責める成子の様子が、まるで妻のそれのようで、落ち着かない気分になる。


 なんと言っても、相手は成子の仕える神だ。

 いざとなれば、成子は彼に従うしかないだろう。


 誰かに見咎められるかもしれないと思いながらも、この場を離れられなくなる。


「ドーシタ、眞鍋」


 ふいにした声に、ぎくりとしたが、その声はおかしな位置から聞こえていたし、なんだか声が変だった。


「ドーシタ、眞鍋」


 いつの間にか、足許に生きた黒猫が居た。

 お前がドーシタだろ、と思いながら、眞鍋は足許を見下ろす。


「心ガ ワタシ ノ方ニ 傾イテ ルゾ」

 そう猫が言う。


 猫の口や舌で喋っているからこんな妙な感じなんだな、と気づいた。


 眞鍋はしゃがみ、

「怨霊」

と呼びかける。


「なんで猫に入ってる?」


「イヤ 可愛イ 黒猫 ガ……」


「聞き辛い、その服を脱げ」

と言ったが、猫から出ないまま、悪霊はいつもの声で話しかけてきた。


「可愛い黒猫が床下を通ったのでな。

 私とあの霊体の猫とこの器を争って、私が勝ったのだ」

と猫の口は、ちんまりと閉じたまま言ってくる。


 いや……猫に譲ってやれ、と思ったが、怨霊は言う。


「成子に撫でられ、同衾するのは私だ」


 邪にも程があるな……。


「怨霊のくせに、猫と争うなよ」


 だが、まあ、人間の男の身体に入られるよりはマシか、と思った。


「おかしいのう、成子は。

 何故、私を愛さぬのだろうか」


 上では、こちらの騒ぎを知ってか知らでか、神が呑気なことを言っている。


 しかし、何故、成子が神を愛すること前提なんだ?


 もしや、斎王になったら、日々の神事を行ううちに、神を愛するように仕組まれているとか? と思う足許で猫は勝ち誇る。


「この身体から私を追い出せぬよう、自らをこの猫に呪縛しておいた。

 出そうとしても無駄だぞ」


「……そうか」


 ひょい、と眞鍋が猫を抱えたとき、ちょうど側の渡殿を命婦が通りかかった。


「まあ、眞鍋こんなところでなにをしているの?」

「警備です」


 いや、猫を抱えているが……。


 成子の居る御簾の向こうからは男の笑い声が聞こえてくる。


 命婦がそちらを見たので、

「成子様のところには、神がおいでです」

と教えた。


 あらそうなの、と命婦は眉をひそめる。

 笑い声は神のものだが、声としては道雅のものだからだろう。


 成子はまだ機嫌悪く、膨れているようで、成子の笑い声は聞こえてこない。


 だからだろうか。

 その遠慮のなさに、神との距離が縮まっているのを感じる。


 斎王が平身低頭、神を迎えるという感じではおよそない。


「まあ、可愛らしい」

と命婦が黒猫に手を伸ばす。


 命婦に構われ、怨霊猫が嫌そうな顔をする。


「差し上げますよ、命婦殿」


 なにっ? という顔を猫はした。


 ……ように感じられた。


「差し上げます」

と両手で猫を命婦の胸に押し付ける。


「まあ、まあ」


 ぎゃーぎゃー、猫はわめき立てているのだが、まだ、身体が仔猫のようで、愛らしく鳴いているようにしか聞こえない。


 そのまま、命婦に連れられていったようだった。


 よかったよかった……と見送ったあとで、こっちは良くはないがな、と成子の寝所を見上げる。







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