気配

  




 夜、心地よい風が吹いていたが、成子の気分は優れなかった。


「猫の死骸なんて、いつもこの床下にあるじゃないのっ」


「落ち着け、成子」

と訪れていた真鍋が呆れたような口調ながらも、宥めてくる。


「死んだ猫を穢れだなんて、失礼しちゃうわよね」


 膝の上に乗ってくる黒猫の霊を撫でながら、成子は言った。


「命婦も見て見ぬふりしてくれればいいのに」


「いや、お前……それは、無理だろう。

 この時期に、すぐに海に行けるよう、取り計らってくれただけでも感謝したらどうだ」


「それはそうなんだけど」

と呟いたとき、御簾の向こうに、やたらキョロキョロしながらやってくる、太った人影が見えた。


 あら、と成子はそちらを窺う。


「あの丸……


 いや、命婦殿では」


 今、真鍋はいろんな言葉を呑み込んだようだった。


 あの丸っこい影は、と言おうとしたのだろう。

 命婦にバレようものなら、出入り禁止になること間違いなしだ。


「なんか、異様にキョロキョロしてない?」


 命婦は落ち着かなげに、あちこちを見ながら、御簾のこちら側に現れた。


 あら、と言う。


「真鍋殿、またいらしてたんですか」


「警備でうろついておりましたところ。

 斎王様に呼び止められまして」


 愚痴を聞かされてまして、とはさすがに言わなかった。


 宮中と同じく、此処でも思っていることのほとんどは口に出来ないようだった。


 まあ、それが、うまく人間関係を回すコツだ。


「ところで命婦殿。

 やけに辺りを窺っていらっしゃいましたが、なにか」


 そう言われた命婦は、声をひそめる。


「出るのです」


 霊が? と自分も真鍋も思っていた。


「なにやらわからないものが、私に付きまとっているのです」


「え?」


 命婦は御簾の向こうを窺いながら言う。


「ずっと誰かが私を見ているのです。

 一人で居ても、常に気配を感じると言うか。


 もう私は恐ろしくて」


「……誰かが一日中、命婦殿を見張っていると?」


 真鍋が偉く気のない様子で言ったので、閉じた扇で、几帳越しにつついた。


「真鍋」

「はい」


「少々調べてあげたら?」


 うっかり、そうしたら、気が済むだろうから、と言いそうになる。


 疑っているわけではないが、例え、何者かが命婦に付きまとっているとしても。


 襲いかかってきた相手を、命婦なら軽く払いのけてしまいそうだからだ。


「真鍋殿」

と命婦に手を握られ、真鍋は逃げ腰になる。


 命婦の分厚く温かい手に握り込まれたら、逃げられない気がするからだろう。


 下手したら一生。


「私に付きまとっている相手は、初めは、生きた若い男かと思っておりました」


 何故?


 というか、生きた若い男、という響きに、相手が命婦に捕まったら、生き血を啜られそうだ、と思った。


「しかし、どうもあれは、生きたものではない気がするのです」


 滅多にそういうことを言い出さない命婦の言葉に、成子は、おや、と思う。


「部屋に一人で居るときも気配を感じるのです。

 すぐ側に、誰か居るような」


 どうか、私をお助けください、と命婦は自分と真鍋に向かって言った。




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