第16話

 僕が運転するミニバンが、路肩から勢いよく飛び出し、片側二車線の中心を爆走している。

 目の前には六台の車が走っているけど、自動運転の衝突回避機能が働いたようで、ミニバンが近づくと、歩道スレスレまでまで移動して道が開かれていく。まるで、海を割ったモーゼになったような気分だ。


「楓さん。このまま総合病院に向かうから頑張って! 着いたらすぐに先生に診てもらうから!」


「ユキトが運転しているの!? 免許持ってないはずなのに、なんで運転できるの! 一旦止めてミカさんに運転してもらおうよ!」


 彩瀬さんはミカさんが運転すると思って車に乗り込んだようだけど、残念ですが僕が運転しています! それに気づいて、悲鳴のような叫び声をあげて運転手の交代をお願いしている。


「免許は持ってないけど、運転には自信があるから任せて!」


「ムーリー!」


 再びバックミラーから後ろを確認すると、バイクに乗っている不良たちの姿が見えた。今、止まったら後ろにいる不良たちに追いつかれてしまう。やはり車を止めて交代する案は却下するしかない。


「だ、大丈夫かな……まだ、2年ローンが残っているの〜」


 ミカさんは車が傷つかないか心配しているようで、シートベルトをギュッと握りながら、ウェーブのかかった髪を左右に揺らして周囲を確認している。心なしか顔色が悪くなっているように見えた。


「そのまま1km直進してから右折してください」


「OK tama。ミカさん僕のテクニックを信じてください」


「免許持ってない人のテクニックなんて信じられないよ〜」


 それなら、信じてもらえるように運転しましょう。久々に運転しているためか、思わず口元が緩んでしまった。


「もしかして、ユキト少しテンション高い? え、笑顔だね……」


 彩瀬さんが後部座席から身を乗り出して、笑顔で運転する僕と、道路交通法を無視した運転を見てドン引きしていた。


「私のことは気にしないで、安全運転……ゲホッ」


 話終わる前に、咳き込むような音を立てて血を吐いてしまった。彩瀬さんは慌てて後部座席に戻って、ハンカチで楓さんの口元を拭っている。


「楓はしゃべらないで! あーもー! 口から血が出てるし! 私のハンカチで口を押さえてて!」


 チラッと、バックミラーを確認したら不良たちの姿はなかった。いつの間にか振り切ったようだ。残った問題は、僕の運転ではなく楓さんだ。血を吐いているようだし、早めに病院で検査して治療してもらわないと。そう思い、アクセルをさらに踏み込んだ。


「またスピードが上がりましたぁ……車が傷ついたら責任を取ってください〜」


「任せて! 車をぶつけなくてもお礼はするから!」


「その言葉忘れませんから〜!」


 一度も使わなかった、僕のお年玉貯金でなんとかなる……といいな。


「10m先を右折です。そのまま直進して500mで目的地周辺です」


 信号は黄色だが、tamaの案内にしたがって交差点を右に曲がる。直進してすぐに総合病院の建物が見えたので、スピードを落としウィンカーを出してから病院のロータリーに入る。車が完全に停止してから、運転席から降りた僕がスライドドアを開けた。


「病院に着いたからもう大丈夫だよ。すぐに診てもらおう」


「私のために……ありがとうございます」


 急いで、楓さんをお姫様抱っこするような形で運び出そうとして、持ち上がらなかった……このままお姫様抱っこをして病院に連れて行く予定だったけど、筋力が足りず、ビクともしない。


「しゃべらないで。彩瀬さん楓さんをお願い。ミカさんはここにいて! すぐに戻ってきます」


 僕の肩を課す方法も考えたけど、残念ながら身長差がありすぎて引きずってしまう。楓さんの移動は彩瀬さんに渡したあと、受入準備をしてもらうために、両開きの自動ドアを開けて、受付と書かれている看板に小走りで向かった。


「先ほど鉄パイプを持った暴漢に襲われました。一緒にいた女性が僕を守ってくれましたが、鉄パイプが脇腹に食い込んで、血を吐いています。すぐに診てもらえませんか?」


「え……男性?」


 目の前に男性がいきなり現れて、カウンターにいる受付の女性は目が点になっている。


「驚くのは分かりますが、早く先生を呼んでもらえませんか?」


  普通であればすぐに診てもらうことは難しいだろうけど妥当性があれば、女性は男性からのお願いは優先するべきと決められている。内容によっては、妥当性を議論する場が用意されるが、今回のように緊急性が高く、本来の業務から大きく逸脱していないお願いであれば、その場で受け入れてもらえる。


 これは、数少ない男性を管理したい女性と自由に生きたい男性が、長い時間をかけて話し合い、妥協し合った結果であり、男性にとっては正当な権利だ。今回は思う存分使わせてもらおう。


「わ、分かりました。医者に連絡してすぐに来てもらうので、この先にある診察室でお待ち下さい。私が案内します。」


 すぐに彩瀬さんが受付についたので、受付の人に案内されるまま診察室まで移動し、楓さんをベッドに寝かせてからやっと一息つくことができた。受付の人は「先生を呼んできます」と言って診察室から出てしまい、今は僕たち三人しかいない。


「彩瀬さんはここで、楓さんのことを見てて。先生がきたら説明よろしく!」


「分かった! ユキトはどうするの?」


「ミカさんの所に戻るよ。事情をちゃんと説明して、お礼をしてくる。不良たちも診察してもらわないとマズイかもしれないし、病院の人にももう一度、事情を説明してくる。」


 そう言ってからすぐに診察室を出て、車を止めたロータリーにまで戻る。


「ミカさんお待たせしました」


 すると、二台のパトカーが、ミカさんのミニバンを前後に挟み込むような形で、止まっているのが目に入った。さらに近くに、ミカさんと警官が四人。それと……母さんがなぜかその場にいる。


「よかった〜。戻ってきてくれて助かりました〜」


 ミカさんが疲れ切った声で返事をしていたので、もう少し早く戻って来ればよかったと、少し後悔してしまった。でも今は、なぜ母さんがこの場にいるのか気になる。


「なんで母さんが、ここにいるの?」


 絵美さんと一緒に家で待っているはずの母さんが、なぜか勢いで選んだ病院にいる。事前にここで待っているのは不可能なはずだ……。

 警官と何かを話したあと、僕の方に近づいてきた。何を考えているの分からず、僕の心に不安が上がってくる。


「なぜって? これを使って、ユキちゃんたちの行動を見てたからよ」


 そう言って見せてくれたものは、小型の飛行型ドローンだった。正方形の頂点から飛び出すようにプロペラついていて、機体の中心にはカメラがある。2020年に航空法が改正され、申請すれば街中でもドローンを飛行可能になったけど、申請には1ヶ月ぐらい時間がかかったはずだ。


 渋谷の買い物は少し前に決まったことだし、一ヶ月前だとまだ海外で生活していた。区役所に申請する時間はなかったように思える。


「買い物の試験が決まる前から、ドローンの申請をしていたの?」


 通常のフローでは間に合わないのは明確なのだから、疑問に思うのは当たり前だろう。どうすれば、融通の利かない手続きが短縮できたのか気になってしまう。


「こちらの事情を説明したら、三日で申請が通ったわ」


「どんな事情を説明すれば、一ヶ月が三日に短縮されるの……」


「驚くことはないわよ? 男性の保護と監視は国策よ。息子の安全を確認する程度の依頼は、わがままにもならないわ。他の人たちはもっとすごい、お願いをしているわよ」


 そ、そうなんだ。まさかここまで、あからさまに優遇されているとは思ってもみなかった……いや、驚くところはそこじゃなかった! 母さんがドローンで監視していたことを、もっと突っ込んで聞いてみる必要があるんじゃないか?


「母さんが一人で監視してたわけじゃないよね?」


 一台で監視できるほど、ドローンの操作性は良くないし、見失うリスクもある。おそらく複数台で監視していたはずだ。そうすると、母さん一人というわけではない。協力してくれる人が必要なはずだ。


「そうよ。5人ほど、男性警護の資格を持っている人を雇ったわ。最悪、あの二人が逃げ出した時にユキちゃんを守れるようにと思ってね」


「逃げ出すような事件が起こると思っていたの? え……ミカさんは、もしかして?」


「そうよ。ミカさんには、センター街の入り口で足止めしてもらうように依頼していたの」


 まさかミカさんが、母さんの関係者とは思わなかった。撮影から撤退までの流れは異様にスームズだったし、宮下公園を出てからすぐに出会えたのも都合が良すぎる。さらに一人で写真撮影していたのに、都内を車で移動していたのもおかしい。


 確かにそうやって振り返ってみると、母さんが仕込んだ人物と言われても違和感がない。


「あそこで立ち止まれば、女性に囲まれると予想していたわ。それに、宮下公園を出た時に出会ったのも、車のキーを目の前にぶら下げたのも、私が指示したからやったのよ」


 思わずミカさんの方に顔を向けると目が合ってしまった。気まずかったのか、顔の前に手を合わせウィンクしながら「ごめんねぇ〜」と謝っていた。


 母さんの方に向き直して、もう一度、今回の件について考える。五人いや六人も雇い、ドローンなどの手続きまでして、買い物をさせたい理由はなんだったのだろう?


 あの二人を仲良くさせるための試験だと思っていたけど、それならミカさんを雇ってトラブルを誘発させる必要はなかったはずだ。ドローンの監視だってやりすぎな気がする。


 考えれば考えるほど、母さんが何を狙っていたのか分からない。これはきっと、子どもの立場だったり、前世の価値観を引きずっている僕には出てこない発想なのかもしれない。


「……何でそんなことをしたの? そんなに人を雇う必要があったの?」


 少し怖いけど、思い切って直接聞くことにした。


「あの二人が口だけじゃなく、危険が迫った時に逃げずにユキちゃんを守るか試験していたのよ。そのための買い物よ? ユキちゃんは仲良くなることが目的だと思ってたようだけど、それは当たり前の話だし、そんな最低限のことすらできないのなら、買い物の前にクビにしていたわ」


 さも当然のように言い切った。仲良くなるのは当たり前であり、僕がピンチなときに二人が信頼できるかどうか試すことだとは思わなかった。それに「クビ」という言葉を出すときの母さんの言葉は、ひどく冷たく感じた。前に絵美さんが言ったように、母さんは少し過激なのかもしれない。


 ……僕の部屋で早めに話し合っていて良かった。


「あ、あの不良どもは私とは関係ないわ。でも、あの事件があったおかげで二人がちゃんと信頼できるとわかったから、私の想像を超えた良い結果が出たわ」


「そ、そうだったんだ……」


 そこは否定してもらえて良かった。あのケンカは、さすがにやりすぎだと思う。


「そんなことより、警官には私から事情を説明しておいたわ。ユキちゃんを襲った不届き者も警察署か病院に連れて行くように頼んであるわよ。あとはユキちゃんが、警察署で簡単な事情聴取されれば、この事件は終わり」


「え……でも、無免許運転したうえに、かなり危険な運転をしていたよ? 話を聞いて終わりってことはないんじゃないの?」


「男性が女性に襲われて逃げていた。この事実があれば、無免許運転なんて問題にならないのよ。しかも、その運転で誰もケガはしていないでしょ? 本来であれば事情聴取すらなくしたいのよ」


「我々も事情聴取をするのは心苦しいのですが、これも規則ですので……」


 母さんの言葉を裏付けるように警官が申し訳なさそうな声でお願いをしてきた。警官や母さんには怒られると思っていたし、「最悪少年院行きかな?」と考えていたので、警官の態度は僕の予想と正反対だった。


「少年院に入ることまで考えていたので、無免許運転の代償が事情聴取だけで済むのであれば、何時間でもお話しします」


 そうやって不満がないことをアピールすると、僕に話しかけた警官は、その一言で緊張が解けたようで大きく息を吐いていた。


 聞かなければいけないことはすべて聞いたし、この場の会話はこれで終わりだとパトカーに向かって歩き出すと、母さんから予想外な発言が飛び出した。


「貴重な男性を少年院に入るわけないわ。凶悪な犯罪を犯さない限りは、人里離れたところで女性を囲い、軟禁されて終わりよ」


 思わず立ち止まって、母さんの方を振り向いてしまった。


「軟禁中は遠くに行くことはできないけど、制限はそれだけね。でも、夜は励まないといけないのは大変そうよね」


 僕を安心させるために言ったようだけど、安心するより先に、この世界の歪さをまざまざと見せつけられたような気がした。

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