16


 ◇

 降下していくにつれてだんだん開けていく。雅也の左手に持つ折り鶴も揺れる――そして壁のあちこちから声が聞こえてくる。

 赤ん坊の産声に思え、雅也はアキラを強く抱きしめた。

 アキラは鞭を両手で持ち、折り鶴を口に咥えて呟く。

 鞭の先端がばらっと分かれ、縦横無尽に走りいく。

 雅也の目前、壁にもその先端が突き刺さった――雅也が目を凝らして見ると、その壁は肉のような質感で、そこから人の形をした〝何か〟がいた。

 壁から生えているような、人の上半身らしき〝何か〟は、鞭に頭を叩き割られ血と湯気を吹き出していた。


――


 雅也は唾を飲み込む。

 己のカムイに対し降下を止めないよう念じ、同時に疑問を払おうと逡巡する。


――たつみ姉さんや玲さんの指導のせいか、わからないけれど、人間でないものを見分けることができるようになったのか? だったら先月、何故、僕は中井一麿を見ることができた?

――万事屋で中井と出会ったとき、あいつを見て話をした。玲さんのことだから何かの術を店に掛けて視認できる状態だったのかもしれない。問題はその後、夜に戦ったとき。あいつはカムイを使っていた(はず)だし、玲さんとの戦闘を僕は見ていた。

――結果、僕はやられた。でも棚ボタのようにあいつの魂を取り込むこともできた。あの時、僕は考えていなかった。論理飛躍どころか拳を交えれば何かを掴めるかもしれない、そんな気持ちで立ち向かっただけ。

――マンションここが特殊なのか、僕が特殊なのか。今は人と人で無い者の区別がつく。

――成長している、そう取って良いのか?


 考えが巡り、雅也は顔をしかめた。

 その間もアキラは鞭を振るい、人で無い〝何か〟を攻撃し続けていた。

 あちこちから上がる声、血や魂が吹き出す音が絶え間なく続く――。


 ◇

 地の底に雅也たちが足をつけたのは、エレベーターの穴から下りて二十分も経った頃だった。

 広大な空間に雅也とアキラは降り立った。

 雅也は降りて来た穴を見上げる。


 地から天井まで五メートルほどある、この今来た穴が唯一の入り口だった、と頭を掻く。


――誘導されてるのかな。罠とかあるかも。


 辺りは打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた二十メートル四方の部屋。電燈はあるものの他に機械や機材は一切なかった。


 ぐるっと見渡していると人影が雅也の視界に入る――雅也たちから見て左の隅、角にシルクハット、コートを纏った大男が立っており、雅也は叫んだ。

「中井一麿!」


 呼ばれた彼は左手を雅也に向けてから、人差し指を立ててゆっくりと左側に動かし、言った。

「行け」

 雅也は彼を見たまま、声を出そうとしたが頭上から聞こえる音に背筋が震えた。

 

 まるで虫の足音、しかも大群が這いずるような、気味の悪い音。

 

 中井は言う。

「この空間……俺にとって不愉快この上無い。主らにとっても邪魔であろう。利害は一致している。争う理由など無い」

 返事ができず、雅也は唾を飲み込む。アキラが右手を掴み引っ張る。

「雅也君、彼は敵意を持ってない」

 雅也はそれでも視線を外さなかった。


 中井は左を指しながら歩みより、雅也の眼前に立つ。

 ハットの陰に隠れて顔、表情は伺えないが雅也は睨みつけていた。しばらく見合い、中井の目がぼんやりと緑に光る。

「男子三日会わず、か。取り憑いていたとはいえ、面と向かうと……なるほど、武士もののふの面構えよ。止めを刺さず正解だった。逞しい内氣ないきだ。ナーガの雛のようだぞ」

 そう言ってから中井は見上げる。

 天に向かって右の掌を向ける――とたんに周囲が揺れた。

 

 地震かと雅也は思ったが、足が震えない。

 空気、空間だけが揺れる感覚だった。風のそれでも無く、やがてビシビシと音を立て始める。

「だが玉緒玲も主も勘違い甚だしい。俺のカムイは〝バクフ〟のみ。神道でいう合祀ごうしを行った故に――」

 揺れる空間の中、中井は呟く。

「俺が増やしたのはわざだ。大里のすべを極める、即ちカムを操り、万事を我が物にすること――」

 一層激しくなる揺れ。

 雅也は噴き出る汗を拭うを事ができなかった。

 変わりに悟る、中井と己の差を。


――術とか不死身とかじゃなく根本から僕と違う。


 天を見上げる中井の顎を、雅也は見て、その動きと声を観察していた。

 尖った顎が動く。低い声が心まで響く。

「今回は一匹の〝ナタ・パオペイ〟による狂言。きやつの言葉は全て方便。我ら〝シャンハイ・パオペイ〟を取り込むため、あの玉緒玲をも惑わした」


 中井の目の光が、緑から赤へと変わった。そして口元が緩む――笑いをこらえている、今なら口を滑らすかもと雅也は思い、問う。

「玲さんが言っていた、〝ナタ・パオペイ〟……そしてアキラちゃんにとって禁句みたいだけど、〝シャンハイ・パオペイ〟って何だ?」

 

 するとアキラの舌打ちが聞こえた。雅也は彼女を見ることなく、返事を待った。

 やがて中井は言った。低い声だった。

「仙人によって作られた武人や人形、それらを総じて〝ナタ・パオペイ〟と呼ぶ。主に接触した、あの仙女せんにょもそれだ」

 雅也は咲弥の顔を思い出した。

 中井は続ける。

「〝シャンハイ・パオペイ〟は俺の属する組織の名。玉緒玲にとって父親の仇、その娘にもな。主も玉緒玲に加勢するなら敵と成る……しかし主らと拳を交わすのは、早くても秋。玉緒玲もそう考えていたはず。それまで腕を磨け。大里流では無く――」

 

 そこで揺れが止まる、しかしすぐ更なる揺れが起きた。

 轟音だった。断続的な激しい揺れと、ばら撒かれた殺意。そして衝撃が中井を中心に起きる。


 雅也は吹き飛ばされた。見えない力によって地面から足が浮き、中井から弾かれるように。


 背中から壁に衝突し、雅也は血と唾、少量の胃液を吐き出す。

 痛みもさることながら、悔しさで雅也の顔が歪む。


 中井は雅也を見ることなく、天に右の掌を上げたままだった。

「雅也君……彼に、構ってる余裕は……」

 アキラの声が聞こえた。弱弱しく、そして痛みに耐えるようだった。雅也は彼女を見る事も言葉を理解する余裕すらなかった。


 ◇

『オギャアアッッ!!』

 

 中井の見上げる天――雅也たちが降りて来た穴から、叫び声がした。赤ん坊より甲高く、大きく、複数の声。

 

 穴から何かが、中井の頭上へ次々と落ちてくるや、すばやく中井は躱したが、落ちてきたものたちは彼を囲んだ。

 巨大な百足、灰色の皮膚をした裸の女、角の生えた牛――三匹は息を荒くし、中井に襲い掛かる。

「ちょうど良い! 俺の戦法、このどもを肥やしにしろ!」

 声を上げ中井はそれらのを素手で殴り、蹴り、暴れ始めた――。


 ◇

 百足が中井の身体に巻き付く。彼は力を籠め、体を一回転させる。

 雅也はそれを見て、頭に閃光が走る感覚を覚えた。


――円の動き。武術の基本。そして練ったを外に出す基本動作。中井はもがいていない、内氣ないき外氣がいきに変えてる、シンプルな方法で。

――でも、これは。たつみ姉さんが教えてくれなかった、その本意は、まさかから?


 百足の身体が引きちぎれ、濃緑の体液が飛び散る。その体液がしゅうしゅうと音と湯気を上げる。

 すぐさま中井は灰色の女の顔を蹴りつけ潰す。黄色い体液とともに肉が飛び散る。

 雅也はその間髪入れない動きを見て、感じた。


――股関節から膝、足首までを入れて貫通力、破壊力を増してる。筋肉ももちろん、さっき練った氣が外氣がいきに上乗せされた。もう人間の蹴りじゃない。武術とも呼べない、殺傷力が高すぎる。


 角の生えた牛が中井の背後から突進した。

 が、彼は避けず背中にぶつかっても微動だにせず、ゆっくりと振り返り、角を両手で掴み、へし折る。悲鳴を上げる牛をさらに蹴り上げ、頭を爆ぜさせた――中井は声を上げて笑った。

「カカカッ! 大里流は対人のみの武術に在らず! 妖魔を滅するすべでも在る! 鍛え、殺し、滅し、亡ぼし、死して蘇るすべ!」


 雅也はその声を聞き、口を緩ませた。

 笑み――何故かは、雅也にもわからなかった。


 数秒で三匹を片付けた中井、さらに二匹が落ちて来て襲った。狼のような毛むくじゃらのの顔を右手で掴みながら、中井は雅也に目と声を向ける。

「故に主は大里流を忘れよ。その身に宿ったカム、流れるは、下等妖魔はおろか、下賤な民のものでは無い。本当の宿命、使えるべき者はもっと高貴――ここは俺に任せ、行け。茶番を終わらせよ」

 中井の掴むの頭が潰れる。こびりついた肉片を払うよう、右手を振い、呟く。

「〝バクフ〟よ、道を開けてやれ」


 三度の揺れが起き、先ほど中井の指さした方向――壁が音を立てて崩れ行く。瓦礫の奥にトンネルが姿を現し、雅也はゆっくりとそちらに向かって歩む。

 アキラがへたりこむように地面に膝を付いていたので、彼女の手を取り、それでも中井から目を離さなかった。


 中井はまた新たなに取り囲まれ、一撃で葬っていく――そして雅也に言った。

「覚えておけ。主は〝皇従徒こうじゅうと〟の末裔。大里流ではナーガを、実力を引き出せん。実姉を信じ、玉緒玲を信じること無かれ」


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