第201話 彩り、彩られ

 目の前で、笑みを浮かべた男が倒れていく。

 あっけなくも、濃密な時間。魔王を名乗る男との戦闘は、終了した。

 ゼロとイチの羅列が縦横無尽に駆け巡る空間が消えると、俺は片膝をつく。


「もう限界。魔力もすっからかんだ」


 荒い息をつくフェニクスに大丈夫かと声をかけると、背を向けたまま頷く。フェニクスの視線は、血溜まりに沈んだ男だ。

 動かない。散々厄介事を持ち込んだ男は、満足げな表情をして息を引き取っていた。


「勝ったんだね、エンジ君……やるねえ」

「約束は守れよ」


 エクレトの声に反応し、俺は視線を向ける。

 まず目に飛び込んできたのは、狐のような耳と尻尾を生やした女。その太股に頭をのせたエクレトが、片腕を上げていた。

 一度俯き、息を整えたあと顔を上げ、室内を見渡した俺は、どうすべきかと迷う。


「毒、だよな? 誰か、毒を取り除く魔法は使えるか?」


 迷っていたのは、治療が先か、階下へ向かうのが先か。俺は、前者を選択する。

 エクレトたちの様子を見て、すぐに死ぬようなことはないだろうとは思ったが、意識を失っている王やメルト達が心配だ。

 さらに、階下から伝わる魔力反応。不安定にゆらいでいるのが気になるが、残った魔力が誰なのかを、俺は知っているからだ。


「残念だけど、僕も、彼女も使えない」


 そうだよな。それが出来たら、今の状況は生まれていない。


「疲れているところ悪いけど、皆を呼んできてくれ」

「分かった。とりあえず見かけたやつに、片っ端から声をかけてくる」

「あ、ちょっと待って」


 歩き出そうとした俺を、エクレトは止める。

 怪訝な表情をする俺に対して、アンチェインの皆を、とエクレトは念押しする。

 誰でもいいだろうとは思ったが、口には出さなかった。問答するのも億劫だったのだ。


「ふふ。案外、あの娘の趣味は悪くないわね。行ってらっしゃい、婿殿」

「あん?」


 婿殿? 気になる言葉が聞こえてきたが、無視をした。こいつらに構っていると、いつまでも部屋から出られない気がした。

 悪い予感は、よく当たる。

 入ってきた穴の縁に手をかけ、飛び出そうとした俺の前からは、飛び込んでくる女がいた。

 正面から衝突し合った俺たち。簡単に押し負け、室内へ戻される。


「ああもう! 次から次へとなんだ!」


 絡み合い、ごろごろと転がった先で吠えるも、俺の声はかき消される。

 結果的に、俺が誰かを呼びに行く必要はなかった。


「む? すまんエンジ。怪我はしていないか?」

「あれ? エンジじゃねえか。なんでお前がここに?」

「お、記憶を落とした間抜けやんけ。こんなとこまで探しにきたんか?」

「久しぶりだね。君とは、ゆっくりと話してみたいと思っていたんだ」


 窓を割り、壁を壊し、現れたのはアンチェイン各員。俺とぶつかったのはギアラで、その他上から順に、カイル、アーメイラ、シャッフルだ。


 ――怪我はしていないか? 体中傷だらけだ、馬鹿。あとお前、力強すぎ。

 ――文字通り、急いで飛んできたんだよ。そしたらなぜか一番乗りだったんだよ。

 ――探しに来るか。大体、記憶を物みたいに言うな。

 ――ゆっくりしている暇はないって言ってんだろうが! いや、言ってないか? ごめんな!


 全ての言葉を飲み込み、溜息を吐く。今までの人生で一番、いろいろなものを詰め込んだ溜息だったに違いない。

 俺は、エクレトの方を向く。


「バカ共が勝手に集まってくれたぞ。さすが、バカの率いるバカ共だ」

「君が、一番に来てくれたんだよねぇ……」


 ここまで、必死に我慢したのだ。反論したい気持ちをぐっと堪えた俺は、黙ってエクレトの指示を待つ。

 エクレトは口を開く。アンチェインのメンバーだけを呼んでくることにこだわっていた理由が、そこで判明した。


「ギアラとシャッフル君は解毒の魔法を使用した後、先に王女たちを外へ。残りのメンバーは……盗め」


 ん?


「金銀財宝、ありとあらゆる金目のものを城から盗み出せ」


 一瞬の沈黙の後、さてやるか、と動き出した盗人共。何も言わず、淡々と仕事を始めるその姿は、尊敬の念さえ覚えた。


「はは! 何でこんな遠い所まで、僕達がやってきたと思う? 誰が好意だけで手を貸してやるものか! 心配はいらない。今回攻めてきた魔族が、全ての罪を被る! 根こそぎ持っていけぇ!」


 誰よりも先に毒を取り除いてもらったエクレトが、心のうちをぶちまける。

 全てを理解し、全てに納得がいった俺は、一人佇み頷いていた。


「清い心を持った俺は、どこへ行ってしまったのだろうか」


 王国の代表として戦った、人の希望とも言える奴らが、喜々として城内を荒らしていく。そんな光景を目の当たりにしても、罪の意識を感じない自分に呆れる。

 いつの間にか、随分と染まってしまったようだ。


「そんなやつ、初めからいないか」


 誰も聞いていないところで、ぽつりと呟く。

 そして、同じく染まったやつがもう一匹。金の指輪と王冠を身に着けていたフェニクスに視線を送ると、扉を開け、その先の階段を降りていく。


「おい、万年貧乏男。ちょっとはお前も持て。重いんだよ」

「お? サンキュ」


 放り投げられた価値の高そうな品をポケットに突っ込み、隣に並んだフェニクスと悪い顔で笑い合う。

 俺たちが揃って階段を降りきると、その場所は静けさに満ちていた。激しい戦闘の跡だけが、色濃く残っている。


「ルーツ」

「エンジさん……来て、くれたんだ」


 離れた所には、胸に穴を開けられた魔族の男。

 ルーツの父親である元魔王ワストは、横になったまま動かない。そのワストの側に座り込んでいたルーツが振り向き、俺に向かって微笑む。

 無理をして笑った。そんな、悲しい笑顔だった。


「ジョーカーはね、僕の全力が見たかったんだって。本当に、ただそれだけ。それだけ言って、死んでいっちゃった」


 何も言わず、一度頷く。


「最後まで、救えない男だったよ。たくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの物を壊して、たくさんのものを犠牲にして。でも彼は、それだけを目的に、あの強さまで上り詰めたんだ」


 ルーツの言葉は止まらない。俺はただ、頷くだけ。


「戦闘中、彼は何度も血を吐いた。僕の攻撃が当たったわけじゃない。少なくとも、あの段階では。……あいつはね、言ったんだ。強さを手に入れる代わりに、悪魔に魂を売ったのだと。それが、何のことかは分からない。でもきっと」


 僕が殺さなくても、彼は近いうち死んでいた――


 徐々に小さくなっていった、ルーツの声。自分がとどめを刺したことを、後悔しているのだろうか。

 いや……そうじゃない。


「父さんがさ、死ぬ前に言ったんだ」


 ルーツの口調が、少し変化を見せる。

 話の内容も、ジョーカーからワストの方へと移ってはいるが、ルーツの中で、それはおそらくつながっている。


「僕が、魔王なんだって。自称でも、父から受け継いだわけでもなく、本当の、本来の魔王。笑えるよね」


 そうだったのか。だがそれは――


「笑える。心の底から笑える。笑えないよね」

「おい? ルーツお前」


 ここにきて、俺は初めて声を上げる。

 ルーツが出すであろう結論。その片鱗を感じ取り、焦燥感のようなものが胸を駆け巡ったのだ。


「僕が、全ての元凶だったんだ。ジョーカーなんて可愛いものさ。だって僕は、人も、魔族も、世界にも、全てに迷惑をかけたのだから」

「待て。待ってくれ。お前は――」

「僕が、いなくなればいい。僕さえいなくなれば、きっと何かかもよくなる。僕なんて、消えてなくなってしまえばいいんだ……!」


 そう言って、一筋の涙を流したルーツは、魔力を高めていく。何をする気だなんて、誰が見ても一目瞭然。

 ルーツは、死ぬ気なのだ。


「ルーツ!」

「最後に、エンジさんに会えてよかった」


 父親の側を離れ、ふらふらと歩き出したルーツの元へと、俺は走る。

 オーバークロックはもちろん、身体強化に回す魔力すらないが、走る。間に合わないと知っていても、走った。


 ルーツが、自分の周囲に何枚も障壁を貼っていく。邪魔をされないためか、迷惑をかけないためか。――こんな時まで、お前ってやつは。それが今の俺にとっては迷惑なんだよ。

 止められない。俺の魔力が残っていたとしても、ルーツの作った壁を突破できただろうか。そう思ってしまうほど、あり得ない規模の魔力量。

 しかし俺は、諦めようとはしなかった。


「……う、げほ。がは!」


 ワストが、突然血を吐いた。

 息を吹き返した? が、虫の息。

 なぜ今? どうでもいい。理由なんて、考えてはいられない。

 俺は思いつくままに、叫んだ。


「ルーツを、お前の息子を助ける! ありったけの魔力を、俺に差し出せー!」


 後から思えば、なんて酷いことを。助かっていたかもしれない命を、俺は奪ったのだ。


「悪いね」


 それは、どういった意図の言葉だったのか。

 ただ、ワストは消え入るような声で呟いた。


「ありがとう」


 ワストの力なく上げた手を掴むと、魔力が流れ込んでくるのが分かった。

 力強い魔力。ワストは躊躇しない。ありったけの魔力を、と確かに言った。だが――

 俺は、ルーツの父親であるワストの手を、ぎゅっと握りしめた。


 ルーツの魔力が極限にまで高まり、弾ける。と同時に、俺も魔法を展開した。


「デジタルワールド! RUN」


 魔力と魔力がぶつかり合う。守る魔法と、変える魔法。

 侵食する。迷惑はかけまいと貼ってくれたルーツの障壁を、一枚一枚突破する。しかし。――届かないか?


「ボケ、コラ! 俺様を、忘れんじゃねえ!」


 最後の壁を破ったのは、フェニクス。ぽてっと床に落ちたあと、不敵な笑みを向けてくる。


「お前ってやつは」


 俺も、ニヤリと笑い返した。


 全ての壁は、破壊した。俺たちの魔法同士がぶつかり、このあと何が起きるかなんて、分からない。最悪は、周囲一帯どかんだ。

 ただ俺は、やれること、やりたいことをするだけ。


「お前の魔法と、俺の魔法。どちらが上か……勝負だ! 魔王!」


 目を見開いたルーツの前に、俺は踏み込んでいた。


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