第355話歎異抄 本願ぼこりといましめら るるひとびとも

(原文)

本願ぼこりといましめら るるひとびとも、煩悩・不浄具足せられてこそ候うげなれ。

それは 願にほこらるるにあらずや。

いかなる悪を本願ぼこりといふ、いか なる悪かほこらぬにて候ふべきぞや。

かへりて、こころをさなきこ とか。

(意訳)

「本願に甘えている」と、私たちを咎める方々たちは、その方々自身が煩悩や身の穢れに浸りきっているように思います。

そのようなお発言こそが、本願に対して甘えているからではありませんか。

さて、どのような悪業が本願に甘えたものであって、どのような悪業が本願に甘えないものであるのでしょうか。

「本願ぼこり」といって、私たちを攻撃する人こそ、逆に幼稚な考えの方たちというのではないでしょうか。


阿弥陀の名を唱える人を、善・悪・浄・穢にかかわらず救うという阿弥陀の本願に対して、煩悩にあふれ抜け出すことが出来ない人間が、他者の念仏を判断することなど何の意味があるのか。

それは、ただの単なる「イジメ、迫害」行為なのではないか。

それこそ、阿弥陀の本願を理解しない「幼稚さ」を示すものではないか。


確かに、どんな時代でも「驕り高ぶった宗教者、聖者」はいるものだ。

そして、彼らが要求するものは、まず「お布施」。

次に「宗教的儀式への参加し、彼らの説法を聞くこと」

彼らにとっての信仰の実績とは、財物と自らの名誉である。


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