第347話歎異抄 故聖人(親鸞)の仰せに は
(原文)
故聖人(親鸞)の仰せに は、「兎毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあ らずといふことなしとしるべし」と候ひき。
またあるとき、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」と、仰せ の候ひしあひだ、「さん候ふ」と、申し候ひしかば、「さらば、い はんことたがふまじきか」と、かさねて仰せの候ひしあひだ、つつ しんで領状申して候ひしかば、「たとへば、ひとを千人ころしてん や、しからば往生は一定すべし」と、仰せ候ひしとき、「仰せにて は候へども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼえ ず候ふ」と、申して候ひしかば、「さては、いかに親鸞がいふこと をたがふまじきとはいふぞ」と。
「これにてしるべし。なにごとも こころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはん に、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業 縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあ らず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべ し」と、仰せの候ひしは、われらがこころのよきをばよしとおもひ、 悪しきことをば悪しとおもひて、願の不思議にてたすけたまふとい ふことをしらざることを、仰せの候ひしなり。
(意訳)
親鸞聖人は、常日頃、「兎の毛や羊の毛の先についた塵のような微罪であっても、宿業であることを理解しなくてはならない」とおっしゃられました。
また、いつの時であったか、親鸞聖人が
「唯円(歎異抄筆者)君、あなたは私の言うことを信じるのか」
とお聞きになったので、私は「その通りです」と答えました。
すると親鸞聖人は
「それなら、私が指示することも、間違いなく実効するのか」
と言われたので、私は「謹んで実行します」と答えました。
すると、親鸞聖人は
「例として、これから人間を千人殺して欲しい、それを実行すれば唯円の往生は決定する」とおっしゃりました。
私はその指示に対して
「私は、いかに聖人のご指示ではありますが、私としては一人の人間も殺すような器量を持っておりません」と答えました。
それに対して、親鸞聖人は「それならば何故、私の指示に逆らわないと言ったのですか」と、言われました。
親鸞聖人は言葉を続け
「唯円君、これで理解できるのではないですか、全てのことが自分の意思で決めることができるということになるならば、大切な往生のために千人を殺せと言われれば、さっそく千人殺人の行に取り掛かるでしょう」
「しかし、君はそんなことはできないと言う」
「その意味としては、君は一人の人も殺すような業縁を持ち合わせていないからなのです」
「自分の心が善であるから、人を殺さないのではありません」
「逆に、人に被害をもたらさないようにと決心していても、業縁の働きにより、百人でも千人でも、殺してしまうのです」
とおっしゃいました。
この話は、私達が救済されるということが、阿弥陀仏の本願の力(他力)に原因があることを忘れ、私達が善い心をもてば往生の原因となり、悪い心を持てば往生の阻害要因となると、誤った考えを持つ傾向にあることを指摘されるためだったのです。
戦乱や飢饉が相次ぎ、数多くの人が、心ならずもやむにやまれず悪事を起こし、「悪いことをした人は、決して救われない」と決めつけられたいた当時、どれほど多くの人を救った言葉なのだろうか。
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