第335話歎異抄 一文不通のともがらの念仏申すにあうて

(原文)

一文不通のともがらの念仏申すにあうて、「なんぢは誓願不 思議を信じて念仏申すか、また名号不思議を信ずるか」と、いひお どろかして、ふたつの不思議を子細をも分明にいひひらかずして、 ひとのこころをまどはすこと、この条、かへすがへすもこころをと どめて、おもひわくべきことなり。

(意訳)

一文字も読み書きが出来ない仲間が念仏を行っていることに対して

「おまえは、誓願不思議を信じて念仏をするのか、そしてさらにまたその上の名号不思議を信じて念仏するのか」

などと、難しいことを言って驚かせて、そもそもこの二つの不思議をしっかりと説明もせずに、念仏をしている人の心を惑わせる人があります。

さて、このような状態に対しては、入念にそして十分に検討をするべき必要があるのです。


※一文普通:一字も知らず、読み書きもできないこと。

※誓願不思議、名号不思議:念仏の根拠である第十八願を誓願と名号に分解すること。


阿弥陀の本願に救われたといっても、阿弥陀の名号に救われたといっても、まったく異なるところはなく、もともと本願と名号は異ならない。

親鸞の時代には、一文普通、つまり教育の機会に恵まれず、読み書きが出来ない人々に対して、宗教的な知識を振りかざして、ほぼイジメのように驚かせ、また不安に陥れようとする人たちがいたのだと思う。

おそらくは、旧来の僧侶たちだろうか。


そもそも、人をいじめたたり、驚かせることが、仏教として、仏僧として認められるか否かを考えていない人たちと思う。


ただ、読み書きもできない念仏者にとっては、手強い相手になる。

よくよく慎重に対処をしなければならない。

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