第334話歎異抄 念仏には無義をもつて義とす。

(原文)

念仏には無義をもつて義とす。

不可称不可説不可思議のゆゑ にと仰せ候ひき。

(意訳)

念仏においては自力というはからいを捨てることが、道理となります。

その理由としては、念仏に対しては、私たち人間が量ることができず、説明することもできず、思い巡らすこともできないからであると、法然上人は語られたのです。


人間の持つ中途半端な、煩悩に満ち溢れた知性や心では、阿弥陀仏の深い智慧や慈悲は理解も出来ず、説明も出来ず、思い巡らすことはできない。

それを出来るというような自力の心は捨て去り、一心に阿弥陀の名を唱えること。

困難辛苦を通じて修行する。

寺に多大な寄進をする。

そういう自力ではなく、阿弥陀の名を唱える心を、仏は求めている。

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