第312話善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや(2)
「悪人」=「凡夫」
道徳的観念で言えば、自分自身を「悪人」とはあまり考えない。
多少の欠点はあるけれど、善行をすることもあるから、悪人とまでは考えないのが大半なのではないだろうか。
ただ、人間が失敗や結果的に悪いことをしてしまった場合に
・他人のせいにする。
・あの事件や事情のせいにする。
・たまたま運が悪くて悪事に加担した。
などという、自分は全面的に悪くないなどの、言い訳をする場合がほとんどではないだろうか。
つまり、「自分は悪くなく、本当に悪いのは自分以外」の気持を持つ人が多い。
それは、そのほうが、自分が精神的に楽になるから。
法然は人間全体が凡夫であり、聖者になるのは、ほぼ無理と考えた。
どれほど立派な修行を積み、善行を重ねても煩悩は断ち切れない。
人間そのものが、煩悩の固まりだと言っている。
阿弥陀仏の本願は、煩悩に苦しむ「悪人=凡夫」を、漏らさず救うことにある。
その、阿弥陀仏が示した手段は、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけ。
そして南無阿弥陀仏と唱えた瞬間、阿弥陀仏はそれを感知し、その人を摂取する。
老少善悪男女の区別なく、そのままの姿で南無阿弥陀仏と唱えた人を摂取する。
煩悩に苦しむ我々としては、修行や苦行など、できないこと(やり遂げられないこと)は不要。
南無阿弥陀仏と唱える「簡単な行」さえ、行えばいい。
その後は、全て阿弥陀仏におまかせ。
仏になるための修行は、往生後に阿弥陀仏に教わりながらでいい。
気楽といえば気楽。
浄土で、阿弥陀仏について修行するのだから、何の心配もない。
それを感じた時、心が軽くならない人がいるのだろうか。
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