第311話善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや(1)
(原文)
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
しかるを世 のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。 この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむ けり。
そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむここ ろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のここ ろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を とぐるなり。
(意訳)
「善人でさえも往生を果たします、ましてや、悪人が往生を果たすなどということは当たり前なのです」
しかしながら、世間では
「悪人が往生するのだから、善人が往生するのは当たり前ではないか」というのです。
しかし、一応は理屈が通っているこの言葉は、阿弥陀仏の本願とは異なっています。
その理由としては、自ら努力して善行を積み重ねる人は、阿弥陀仏の本願にすがることはなく、阿弥陀仏の本願の対象ではないからです。
しかし、自分の努力では仏になることが不可能と判断し、ひとえに阿弥陀仏の本願を頼むとなれば、往生を果たすことができるのです。
○善人:自分で厳しい修行や功徳を積み、仏になることができる人。
○悪人:自分では功徳が積めず、仏の教えにどうしても背いてしまう人。
この場合の善・悪は道徳上の善・悪ではない。
「悪人」とは、「仏」にどうしてもなることができない人。
もし善人が存在するとならば、それは「仏のみ」というほど、厳しいもの。
※有名な部分であるので、じっくりと考えます。
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