第289話般若心経 受想行識 亦復如是

「受」は、現象である世間を感覚として感知すること。


「想」は、心にイメージ(想)すること。


「行」は意思を働かせること。


「識」は、それらを認識しながら生きていること。


般若心経ではこの「受想行識」という心の働きも実体のない現象となる。

自分自身の身体も心も実体がない。

そうなると、本当の「自分」とは何者か。

実体が有るがごとく、自分に執着する心を自我と言う。


それをなくすことにより、何者にもとらわれない空なる自分に出会えると言う。


少し離れるけれど

自分の利益を中心にして考えれば、他人の苦労など目に入らない。

「他人の不幸は蜜の味」にもなる。


自分以外の全てを滅ぼせば、出来上がった世界は極上の味になるのだろうか。



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