第16話 伏線
村の外れにその洞穴はあった。
入り口を苔生した幾つかの石が覆っている。とは言っても人が一人入るには十分な大きさでもある。
その前をリュックを背負った青年が一人立っている。
不思議そうに穴を覗き込むが、中は何処までも暗闇が続いているだけである。
別に立入禁止の立て札があるわけでもない。少し勇気がある者ならば、その中へと入ってみたいと思う気持ちが涌いてきても不思議ではない。
つまりは、その青年も思案のあげく、次の一歩が踏み出せないでいたのである。
そこへ老人が通りかかる。
見たところ、その村に住む者に違いない。
老人はおもむろに青年の前で、その洞穴に向かって手を合わせると、何やら呪文のような言葉を口ごもっている。
それからもう一度穴に向かって一礼すると、青年の方には見向きもしないでそこを通り過ぎようとする。
思わず青年は声を掛けた。
「おじいさん、この洞穴には何か謂われのようなものでもあるのですか?」
老人はゆっくりと振り返る。
「謂われ? ただの洞穴じゃよ。あまり近寄らんほうが良い」
言われた青年は聞き返す。
「近寄らない方が良いって、何故ですか?」
「・・・・・」
一度洞穴から続く山を見上げると、老人は何も言わずに村の方へと歩いて行ってしまった。
(よけい気になるじゃないか・・・)
青年はそう思いつつも、老人の後を追うように村への道を歩き始める。
村はそれほど大きくは無いものの、寂れた農村という感じでもない。むしろメイン通りの街頭からは『いざないの里』という黄色の垂れ幕が誇らしそうに下げられている。
(『いざないの里』? はて、桃源郷へでもいざなってくれるのだろうか? それとも、こんなところにも徳川埋蔵金ならぬロマン溢れる伝説でもあるのだろうか?・・・)
青年は道行く人に尋ねる。
「この辺りにも埋蔵金伝説のようなものがあるのですか?」
そう尋ねられた中年の女性は、一瞬驚きの表情を浮かべ彼を見つめる。
「そ、そんなものは無いわよ。あったとしても、見ず知らずのあなたに教えるわけがないでしょ」
その慌てようが青年の好奇心を余計に煽る。
「本当はあるんでしょ? 村外れにも、なんか変な洞穴もあるみたいだし・・・」
「あなた、何でその事を知っているの?・・・」
女性は青ざめた表情のまま、足早にそこを後にした。
(どうやら『いざないの里』とあの洞穴は何か関係がありそうだな・・・)
青年はそう確信すると、もう一度洞穴の方を振り返った。
通りのほぼ中程まで差し掛かったとき、1軒の旅館が目に入って来た。周りを見回したが、どうやらこの村で泊まれそうなところはここだけのようだ。
(もう少し調べてみる価値がありそうだな・・・)
すでに日もだいぶ西へと傾いている。
山間のこの村では余計それは顕著であり、先程までは長い影をつけていた街灯にも、いつの間にか灯がともっている。
青年は今夜の宿を取るべく、その旅館の扉を開いた。
「こんにちはーっ」
青年の声に、すでに薄暗い廊下の奥から男の返事が返って来た。
「いらっしゃいませ。お泊まりですか?」
それは久々に聞く活気のある声である。
旅館の主人は彼のためにスリッパを揃えると、玄関の照明にも灯を入れた。
「いやあ、遠いところをようこそお出で下さいました」
男は満面の笑みを青年へと投げ掛ける。
「ところで、お客様はどちらからお見えになられたのですか?」
順序が逆であろう。それでもその気さくな問いかけに、青年は思わずフッと苦笑する。
「東京です」
「思った通り、やはり遠いところですな・・・」
二人は声に出して笑う。
とそこへ、一人の少女が扉を開いて入って来た。手には籠いっぱいの山菜が盛られている。
見た目では、その青年と同じ年ぐらいかあるいは少し若いだろうか、目鼻立ちのスッキリした美少女である。
「お父さん、これだけあれば足りる?」
(お父さん? なるほど、つまりはこの少女、この旅館の娘さんということか・・・)
振り返る青年に、少女は首を傾げながらニコリと微笑む。
「こんにちは、いらっしゃいませ」
その仕草が青年の心をいっそう和ませる。
「おう、暗い中をすまなかったな。これだけあれば十分だ」
「懐中電灯はここにおいて置くわね」
そう言うと、少女は肩に掛けたそれを玄関の下駄箱の脇に吊した。
「里美、すまんがお客さんを二階の部屋へと案内してくれんか?」
山菜を受け取った旅館の主人は、台所へと向かいながらそう娘に声を掛ける。
(この娘、里美さんて言うのか・・・)
そう思いつつ、青年は少女の後ろについて階段を上がる。
「どうせ他のお客様は一人もいないんです。お好きな部屋をお使い下さい」
そう言うと、少女は部屋の電気を点けた。青年が案内された部屋以外にも、部屋はいくつかあるようだ。
「使ったタオルや洗濯物はベランダのロープに掛けて下さいね。丈夫なロープですから毛布なんかも干せますよ」
青年はリュックを降ろすと、ベランダへと続く部屋のカーテンを静かに開けてみる。
「あっ!」
思わず青年は声を上げた
薄暗い中不確かではあるものの、何とそこからは山へと続く道の麓に、僅かにあの洞穴の石垣が見える。
振り返る青年。
「あの洞穴、あの洞穴にはどんな謂われがあるのか君は知っていますか?」
急に少女は困った顔をする。どう見ても、それは触れてはいけないことを青年が口にしたことを意味している。
うつむく少女に青年はなお尋ねる。
「それにこの村で見かける『いざないの里』というのにも何か意味が?・・・」
「私には・・・」
そう言うと少女はその部屋を出ていってしまった。
(やっぱり何か秘密があるんだ・・・)
青年は改めてその思いを強くした。
夕食時、青年の希望もありその旅館の主人と娘の里美、そして青年の3人が食道のテーブルを囲んだ。
なるほど少女が言っていたように、今夜この旅館にはこの青年以外誰も宿泊していないようである。
「何もないところなので、大したご馳走もできませんが・・・」
最初に旅館の主人が口を開く。
「そんなことはありませんよ」
青年が相づちをうつ横で、少女は黙ってご飯をよそっている。
「さっきは急に変なことを尋ねたりして、すみませんでした」
「私こそ黙って出てきてしまって・・・」
恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「何だ里美、お客様に何か失礼なことでもあったのか?」
娘を問いただす主人に、青年は笑いながら首を横に振る。これを見て形勢が逆転したのだろうか、少女はみそ汁をよそりながら声をあらげる。
「それよりお父さん、スコップが玄関に出しっぱなしだったわよ。泥も付いていたし、いつもちゃんと片づけないんだから」
「芋をいくつか掘り起こしてきたんでな。明日の朝、ちゃんと片づけておくから」
見ると、テーブルの上にはその芋の煮付けが美味しそうに湯気を立てている。
「ところで・・・」
青年は、それでもやはり気になっている例の洞穴のことについて旅館の主人に尋ねる。
「村の外れにある洞穴には、何か特別な謂われでもあるんでしょうか?」
主人と娘は互いに顔を見合わせる。
「ただの穴ですよ。まあ中も真っ暗だし、あまり近づかん方が良いと思いますよ」
「とか言って、本当はどこかのお殿様が埋めた埋蔵金が眠ってたりなんかして?・・・」
急に主人が箸を止めたのと、少女が青年を振り返ったのはほぼ同時であった。二人が青年を見つめる。
「いやだなあ、冗談ですよ冗談。もし本当にそうなら、とっくの昔にもっと話題になっていますよねえ」
「それも、そうだな・・・」
引きつるように笑う主人とは裏腹に、少女は未だ青年から目を離さない。
「しかし、いつもは芋を入れているこの麻袋いっぱいお宝があったら、いったいいくらぐらいになるのかな?」
そんな主人も台所にある麻袋を見ながら皮算用を始めているようだ。
「欲張ったって、そんな袋にいっぱいに入れたら底が抜けちゃうんじゃない?」
「何言ってんだ、こう見えて麻袋は丈夫なんだぞ」
たわいもない親子の会話に、青年は目を細めた。
「ところで、明日はどちらまで行かれるのですか?」
話題を変えた主人の言葉に、青年は小首を傾げる。
「別に行く当てがあるわけではないので・・・」
「ならば、もう少しゆっくりしていきなされ。なあ里美」
急に相槌を振られた娘は恥ずかしそうにと下を向いた。
夜になり、青年の部屋の戸を叩く音が・・・
旅館の娘の里美である。
「確か里美さん、でしたよね?」
青年の呼び掛けに、少女は大きく頭を下げる。
「ごめんなさい。父はあなたに嘘を付いています」
「嘘?・・・」
少女は黙ってコクリと頷く。
「それってもしかして、村の外れにあるあの洞穴のことですか?」
もう一度頷く。
(やっぱり思ったとおり、何か曰く付きのものだったんだ!)
「で、どんな?・・・」
少女は上目遣いに青年の目を見つめる。
「私も良くは知りませんが、村の人達が言うには何かが埋まっているのだと・・・」
「埋まっている? それは埋蔵金ですか?」
「さあ、それは分かりません。ただ・・・」
「ただ?・・・」
青年は少女の肩を寄せると、部屋の中へと導く。
「ただ、夜になると村の男の人達が交代で穴を堀りに出掛けるのです」
(なるほど、それで玄関においてあったスコップには土が付いていたんだな)
「でも何故夜に?」
「穴の中は昼間でも真っ暗ですもの。それに昼間はこの事を知られないようにと、村人達が交代で洞穴の周りを見張っているでしょ」
青年は、最初にそこで出会った老人のことを思い出した。
(ということは、あの老人も洞穴を見ていた俺を監視しに来たというわけか。ますます持って隠されているのは何かのお宝ということになりそうだ・・・)
青年はもう一度洞穴付近の様子を思い浮かべる。
(しかしその割には、穴の入り口にも『立入禁止』の看板もなければ囲いもなかったけどなあ?・・・)
そんな青年の気の迷いを察知したのか、少女が口を挟む。
「でもそれが本当なら、私もこの村を出ることができるのに・・・」
「村を出る?」
少女は瞳を輝かせる。
「もっと私は色々な所を見て歩き、様々な経験をしてみたいんです。もうこんな村・・・」
青年はゴクリと唾を飲む。
「もしそれが本当なら、私を連れて行ってくれますか?・・・」
まっすぐに彼を見つめる大きな瞳に検討の余地など残っているわけがない。彼は答える代わりに、そっと少女を抱き寄せようとする。
「ごめんなさい・・・」
少女の目に涙が光る。
「ごめんなさい。今お話ししたことは絶対に村の人以外に話してはならないこと。私はその掟を破ってしまいました」
「里美さん・・・」
「あなたにもご迷惑が掛かるかも知れません。明日には必ずこの村を出ていって下さい」
そう言うと、少女は青年の部屋を後にした。
真夜中、青年は村外れの洞穴の入口に一人立っていた。
その手にはスコップが握られ、肩からは懐中電灯が掛けられている。洞穴が下へと伸びているときのためだろうか、リュックの中にはあの丈夫なロープが詰められている。勿論、お宝が見つかったときにはそれらを入れるための麻袋も用意万端である。
(里美さん、きっとお宝を見つけて君をこの村から連れだしてあげるからね・・・)
心の準備も十分ついたようである。
青年は意を決したようにとその洞穴の中へと吸い込まれて行った。
いっぽう、旅館の部屋には主人の他、何人もの村人達が集まっている。
「本当にあの若者は『龍神洞』へと入って行ったかのう?・・・」
老人が何やら呪文のような言葉を口ごもりながら尋ねる。
「おそらくは・・・」
旅館の主人は玄関の入り口にあるはずのスコップと懐中電灯が無いことを確認する。
「それにしても今夜のうちに入るなんて、ずいぶんと今回はすんなりいったものね」
中年の女性は驚きを隠せない。
そこに二階から娘が戻って来た。
「どうだった?」
「やっぱり持っていったみたいよ」
父の言葉に娘はあっけらかんと答える。
「持ってったって、何を?・・・」
「丈夫なロープと麻袋を持たせてあげたの。その方がお宝を見つけにいくみたいじゃない」
老人の問いに、少女は目を細めた。
「それにしても里ちゃん、最後は何と言ってあの若者を洞穴へといざなったのよ?」
中年の女性の言葉に、少女は黙って微笑む。
「しかし、今年もこれで何とかなりそうじゃが、『龍神洞』の主もこう毎年生け贄を一人寄こせとは、ほとほと困ったもんじゃな」
「大丈夫よ、ねえ。この村には里ちゃんがいるもの」
「その通り。私達はただその伏線を準備するだけ。あとはこの里美が、男を洞穴へといざなってくれますよ・・・」
父の言葉に娘はもう一度ニコリと微笑んだ・・・
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