第45話 評論家
「ああ、ダメだ。どうしても浮かばない。締め切りは明日だというのに・・・」
どこの世界にも、悩める男の一人や二人くらいはいるもので、彼もまた、そういった類の一分子である。
彼の名は、早乙女文也。かの有名な小説家、早乙女文彦の一人息子だ。と同時に、彼もまた、小説家の卵としてこれから世に出ようとしているところであった。
なんと、冗談半分に投稿した彼の作品が、若手小説家の登竜門『さきがけ』の読者投稿作品に掲載されたのだ。
冗談半分といっても、凡人のそれとは違う。
幼い頃から、教科書の代わりに父の小説に触れてきたのだ。間借りなりにも、小説のいろはは心得ている。
しかしこういう場合、小説家としての偉大な父を持つことは、必ずしも幸せであるとは限らない。なにせ、どこへ行っても「あの早乙女文彦氏のご子息の・・・」とついて回るからだ。
だからこの時も、文也はあえてペンネームを『浜島五郎』としていた。
浜島は母の旧姓で、五郎は雑種の愛犬からちょいと拝借したのである。
ところが、野球や政治家の世界でも、偉大な父を親に持つ二世がなかなかパッとしないのと同じように、文也の小説家としての才能も、第二作目を書く段階で早くも鍍金がはがれかけていた。
無論、父文彦も息子である文也に自分の才能の継承を望んでいたことは、その名前に『文』の一字を入れたことでもうなずける。だが同時に、我が子にその才能がないことも、いち早く見抜いていた。
「うーん、どうしてもダメだ。こうなったら仕方がない、最後の手段を使うか」
そう自分につぶやくと、文也は父の書斎を訪れる。
もう、何年振りであろうか。
文也は迷わず、原稿の入っている書棚に向かった。小さい頃から遊び場として慣れ親しんできた父の書斎なのだ、当然原稿の置き場所ぐらいわかっている。
それに、父文彦は、月に四~五本の連載を持っている売れっ子作家でもあるのだ。その作品のいくつかはそこに置いてあるだろうと思ったのだ。
つまりは、作品に行き詰まった文也は、父文彦の作品を、自分の第二作として代用しようと考えたのだ。父文彦としても、自分の小説が、書斎から盗まれましたなどと、言うはずがない。
かくして、この大胆にも画期的な計画は実行されることになった。
「それにしても随分あるなあ。書きかけのものも合わせると、七つか」
文也は透明なファイルで分けられた原稿の一つ一つにざっと目を通した。
「うん、これにしよう。最後の部分が欠けているけど、このくらいだったら何とかなるだろう」
さすがに文也も、仕上がっている作品を持ち出すことには、ためらいを感じたのであろう。結末のオチが抜けている作品を、拝借することにした。
部屋に戻ると、彼なりの結末を書き加え、浜島五郎の作品として出版社に送ることとした。
数日すると、出版社から返信の封筒が来た。内容は、こうである。
『このたびは、月刊小説『さきがけ』の新人賞にご応募いただき、まことにありがとうございました。つきましては選考会をかね、寸表をお話しいたしたいと思います。下記の日程で・・・』
文也には一抹の不安はあったものの、一新人賞候補浜島五郎として、指定された日に会場へと向かうことにした。
「浜島様、浜島様?」
「えっ、はい。そうです、私が浜島です」
「浜島五郎様ですね、こちらへご署名願いますか」
会場へ付くと、受付では文也こと浜島五郎に『ハマシマ』と書かれた大きなネームプレートが渡された。見る限りでは、今日、この会場に来ているのは文也を含め十数人ほどのようである。
まもなく寸評ならぬ批評会が始まった。
「次の方どうぞ。荷物は置いたままでけっこうです」
またひとり、緊張した趣で席を立った。代わりに、先程呼ばれたものが戻って来る。がっくり肩を落とし、目は視点が定まらないといった感じだ。
このように、新人賞にノミネートされた作家の卵たちは、小さな控室に入れられ、順番が来ると廊下へと出て行くのだ。その先には、重厚な扉で仕切られた応接室があり、そこで寸評を頂戴するという手筈である。
寸評をする評論家たちは、みんな、それぞれの分野でのエキスパートであるということだ。
「次の方どうぞ。荷物は・・・」
文也こと、浜島五郎の番が回ってきた。文也はもう一度、(いいか、俺は浜島五郎なんだ)と、自分に言い聞かせると、その重い扉を押し開けた。
そこには、六人の評論家と一人の進行係が座っていた。
「浜島さんの作品は、前回読者投稿の時も読ませてもらいましたが、今回は少し手を抜いたのかな。これでは一流の作家の仲間入りは難しいわよ」
最初にこう切り出したのは、アートフラワーデザイナーのプロフェッショナルとかいう三十代後半の女性であった。斬新なデザインの活花で、今もっとも注目を浴びているのだという。
文也は、心の中でつぶやいた。
(何言ってやがる。斬新なデザインだかなんだか知らないが、あんたは小説の素人だろうが・・・)
ところが、これが皮切りとなった。
「まあ、ストーリーもありふれているし、何かこう、輝くものが感じられないんだよねえ」
「導入の部分なんかも、くど過ぎるんだよ。これじゃあ、読んでる人が、自分自身のイメージを作れなくなっちゃうんだよ。一流を目指すんなら、読む人の気持ちにもなれないとダメなんだ」
続けざまに、作曲家と舞台演出家のそれぞれプロという人が、こう批評した。
(おいおい、ちょっと待ってくれよ。これは俺の作品じゃないんだぜ。泣く子も黙る早乙女文彦の未発表小説なんだぜ)
文也は咽元まで出かかった言葉を、ぐっと飲み込んだ。
批評は続く。
「途中の展開は最悪だね。浜島君、小学生の作文じゃないんだよ。一流のプロはこれで飯を食っていかなくちゃならないんだ。そのへんのこと、ちゃんとわかっている」
今までになく厳しい批評をしたのは、父と同じ文壇の小説家であった。常日頃、自分の時代の次は、早乙女文彦の時代が来るといってはばからない一人でもある。
「まあ、救いは最後のオチだけかな。これだけはシンプルだけど、新しいものを感じるわ」
とどめの一撃を加えたのは、出版社のやり手女性編集局長である。
五人の評論家は、みんな口々にもっともらしい寸評を並べ立てた。
思わず文也は、こう聞き返した。
「あ、あの。一つお聞きしたいんですが。みなさんが言う一流の小説家とは、いったいどのような方のことを言うんでしょうか?」
評論家は、みんな声をそろえて言った。
「もちろん、早乙女文彦先生のような方ですよ」
まさに、開いた口がふさがらないとはこのことだ。文也は、勤めて冷静さを装いながら、残る最後の評論家に目を移す。
評論家は一つ咳払いをすると、静かに重い口を開いた。
「他の評論家のみなさんのおっしゃる通り、小説としてはまだまだ未熟ですね。もう一度原点に返り、一からやり直しなさい」
(えっ、そんなあ。それはないでしょ、お父さん・・・)
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