第三話とつけるの忘れてた(しくじる先生)

すり鉢状の穴が、震えた。中心に座する巨大蟻地獄ジャイアントアントライオンの身震いに呼応したのである。

それはすり鉢全体に伝わり、必死でしがみついている者たちが無惨に落下していくという結果となった。

「───ひぃぃぃぃ!?」

悲鳴を上げながら滑っていく老人は、幾度となく自分を噛み砕いてきた怪物の大顎に、此度も挟み込まれた。

おぞましい音と共に肉と骨が砕け散り、そして蜃気楼の肉体は消失していく。

隊商たちは皆が記憶を取り戻していた。彼らは既に何度も死んでいたのである。それも無自覚に。最初は一人だったのがふたり。三人。二十人と増えた。後から食われた犠牲者も蜃気楼に取り込まれていくのだ。今後も増え続けるのであろうか。彼ら自身が犠牲者であり、また新たな犠牲者を引きずり込むためのなのだ。それを思い出すのは決まって、死の直前だが。あの怪物が死すまで、この地獄は続くであろう。

老人は、今度こそ真に死することを願いながら消えていった。


  ◇


───まずい。

女賢者は考える。

足場が悪い。いかな首なし騎士デュラハンと言えど斜面から滑り落ちぬので精一杯だ。敵は魔法を扱う怪物。先の巨大蠍ジャイアント・スコーピオンの例から言って、この蜃気楼の中でなら死者を殺せるだろう。ましてや、見える範囲だけで十メートルもある。火球ファイヤーボールを投げつけても通じまい。あの大きさの上に節足動物である。怒らせるだけだろう。酸の雲アシッドクラウドの秘術であればあるいは打倒できるやもしれぬが、このすり鉢状になった穴にいる皆が巻き添えとなる。

そこまで考えて女賢者は苦虫を噛み潰したような表情になった。

―――彼らはもう、死んでいる。

隊商の男たちは死者だ。今悲鳴を上げているのは、とうの昔に死んでしまった人々の影にすぎない。

それでも。

女賢者は覚悟を決めると、斜面を強く蹴り飛ばした。空中で身を捻り、抜剣しながら素早く呪句を唱える。

魔法は怪物の口に女賢者が飲み込まれる寸前、完成した。

閉じようとする凶悪な顎。鋏のように伸びるそれが女賢者の肉体をかみ砕かんとするのを、剣が切り飛ばした。


───GGGYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!?


巨大蟻地獄ジャイアントアントライオンが絶叫する。

万物に宿る諸霊が女賢者へと与えた助力は、剣を包む火炎武器ファイアウェポンの魔力、と言う形で顕現していたのである。

───行けるか。

女賢者の思考。それが甘かったのを知る羽目になったのはこの直後のことであった。


───GGGGUUUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!


怪物は、吠えた。力あるそれに弾き飛ばされた女賢者は、すり鉢の内側に叩き付けられる。

それで終わらない。

体勢を立て直そうとした女賢者の背中から腹部へと衝撃が走る。

自らの腹へと目をやった彼女は、見た。そこから突き出している剣の切っ先を。

───あああああああああああああああああああああああああああ!?

女賢者はパニックに陥った。いかに死にぞこないアンデッドとはいえ死してまだ間もない。無理もなかった。

さらに、第二第三の刃が背中より突き抜ける。

振り返った女賢者が見たのは隊商の男たち。

「あ…こんなつもりじゃ……」

彼ら自身何をしたのか分かっていないのだろう。呆然とした表情だった。

しくじった!

女賢者は自責する。彼らは巨大蟻地獄ジャイアントアントライオンの作り出した蜃気楼に過ぎぬ。操ることなど容易かろう。

最後に駆け下りてきたのは長の男。

彼の刃は、女賢者の首を、刎ねた。

宙を舞う生首。くるくると落下したそれは、空中で口元を覆い隠していたヴェールが剥がれ、麗しい顔立ちを露わにして転がった。

茫然自失する男たち。

だから彼らは理解が出来なかった。転がった生首。怪物の方へと向いたそれの唇が動き出したことも。

剣で貫かれた首なし死体が、巨大蟻地獄ジャイアントアントライオンへと切りかかったことも。

そいつの傷口へと首なし死体が腕を突っ込んだ直後、火球ファイヤーボールの強烈な衝撃が、怪物の体内を破壊したことも。

何も理解出来ぬまま、彼らは巨大蟻地獄ジャイアントアントライオンが滅んだことだけを知った。


  ◇


穴の底。敵をしとめた女賢者は剣を納めると、自らの生首を右手で拾い上げた。左手は炭と化して消し飛んでしまったから仕方ない。さすがに相手の体内へと火球ファイヤーボールを発動させたのだからやむを得まい。傷口へと突っ込んだ掌に火球を出現させたのだ。自らをすれば再生するはず。今はそれよりも。

消滅しつつある隊商たち。彼らへと視線を巡らせた女賢者は、目当ての相手を見つけ出した。

隊商の長。彼へと、女賢者は口を開く。

「……ぁ…」

「…すまなかったなぁ……あんたには迷惑をかけた………それに、感謝してもし足りない…俺たちを解放してくれて……」

「………ぅ」

「ありが…とう……」

言い終えると、長は虚空に消えていった。他の犠牲者達と同様に。

それを見届けてしばらくしてから、女賢者は斜面を登り始める。

地上に出たところで、彼女は地平線に光を、認めた。全てを照らし出す、太陽神の優しき加護を。

それを一瞥し、女賢者は場を去った。後にはなにも残らぬ。ただ、陽光の照らす大地があるのみ。

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