もふもふもふ(ふも)

女賢者は走る。山城の頂上、月光が照らし出す家々の合間を。

馬を優に上回る速度で彼女が駆け抜けた直後。

轟音。

彼女のすぐ後ろ。家屋が、潰れた。石で作られた堅牢な構造物が、まるで粘土細工であるかのように押し潰されていくのだ。次々と。どころか、追跡者は地上の状況に斟酌していない。逃げ惑う小鬼ゴブリンどもが踏み潰されていく。飛び散る石材と共に迫ってくるのは、見上げるような巨体。

女賢者の疾走はすさまじいが、それ以上に追跡者の一歩は幅広い。体格が違いすぎた。このままでは追いつかれよう。

追いかけてくる岩人形ロック・ゴォレムの威容はめまいがするほどだ。巨鬼オーガァ以上にずんぐりむっくりとした奴のパワーは今の女賢者をもはるかに上回る。何十トンという質量に抗することなどできようはずもない。

だから、女賢者は跳躍した。前方の建物を駆けあがり、そして振り返ったのである。

屋根の上に登ってすら敵の方がまだ背が高い。こちらの目線と敵の腹部がちょうど同じ高さなのだ。

岩人形ロック・ゴォレムは、腕を振り下ろした。

破城槌すら凌駕する一撃が女賢者を襲う。その直前。

女賢者は、拾っておいたを振りかぶると、全力で投じた。驚異的な膂力で、捕まえた小鬼ゴブリンの一匹を岩人形ロック・ゴォレムの顔面へと投げつけたのである。

攻撃は見事命中し、まるで南瓜のように小鬼ゴブリンは砕け散った。その血肉を岩人形ロック・ゴォレムの顔面へとへばりつかせて。

視界を失った怪物は狙いを外した。女賢者をかすめていく致命の一撃。

生じた隙に乗じて、女賢者は詠唱を開始した。呪句を、印を切り始めたのだ。岩人形ロック・ゴォレムには生半可な魔法は効かない。岩でできた巨体は火球ファイヤーボールですら弾き返す。扱える限りで最強の魔法を用いなければ。

秘術が完成する。

とすっ

岩人形ロック・ゴォレムが葬られようとしたまさしくその瞬間。女賢者は、己の胸板に突き立ったものを、見た。魔力を帯びた矢を。それを放ったのは、遥か遠方より弓を構えた闇妖精ダークエルフの女だった。魔力付与エンチャント・ウェポンを付与したのであろうことが推察される。

敵を仕留める好機を失った女賢者はそのまま屋根より転がる。一拍遅れて岩人形ゴォレムの第二撃が、足場を破壊した。


  ◇


―――ちっ。厄介な。

闇妖精ダークエルフの女は毒づいた。

彼女がいるのは屋根の上である。そこから岩人形ロック・ゴォレムを支援すべく矢を放ったのだ。あれを破壊されては敵を滅ぼすのが著しく困難になる。現に魔力を付与した矢を受けても、奴は死んでおらぬ。恐らく肉片になるまで砕かねば、奴は死なぬであろう。

狙撃を恐れたか、敵は建物の合間に入ったようだ。こちらの視線より隠れる魂胆であろう。

大丈夫。問題ない。

闇妖精ダークエルフは、次なる魔法にとりかかった。


  ◇


―――ああ。痛くない。

女賢者は、また一つ絶望を深くしていた。

痛みがないのだ。胸板を矢で貫かれたというのに!!

己が死んだという事実をまた突き付けられた。貫かれているというのに何の差し障りもなく動くこの体。化け物に成り下がってしまった。死ぬことすらできぬ体へと。

だが、悲嘆に暮れている暇はない。背後より岩人形ロック・ゴォレムが追ってくる。家々を崩しながら。

厄介だった。実質的に現状、脅威はふたつ。闇妖精ダークエルフとこの魔法生物である。その意味では集まっていた不浄なる怪物どもを火球ファイヤーボールで一網打尽にできたことは幸いであったろう。奴らまでいればどうにもならなかったはず。

―――いっそ、闇妖精ダークエルフを先に仕留めるか。

家々を遮蔽物として接近すれば可能なはずである。奴からはこちらの正確な位置は見えまい。

狙撃手への攻撃を決意した時だった。肩口に矢が突き立ったのは。

―――え?

弧を描くように曲射された攻撃が真上から襲って来たのだ、と悟った時にはもう。

第二射が足に突き刺さっていた。つんのめり、転倒する女賢者。

背後を彼女は、見た。岩人形ゴォレムの巨躯が顔を出したのを。

逃げ場は、ない。


  ◇


―――うまく行った。

建物越しに敵を注視した闇妖精ダークエルフは安堵した。透視シースルーの魔法で女賢者の位置を確認したのである。

奴は必死になって転がり、攻撃を避けているようだがもはや時間の問題であろう。このまま岩人形ロック・ゴォレムに踏み潰されるはずである。

とはいえ敵は魔法使い。時間を与えれば何をしでかすか分からぬから、彼女は再び弓を引いた。そのまま斜め上方に矢を放つ。闇妖精ダークエルフは武芸に秀でる。この程度大した困難ではない。

はたして。

矢は、首のない褐色の女体。裸身のそれを貫く。

その瞬間を、闇妖精ダークエルフの女ははっきりと視認した。

射貫かれた女が、その場で霞のようにするのも。

「……なっ!?」

―――幻影イリュージョンの魔法!?本体はどこだ!?

回答は、背後より与えられた。

振り返ろうとする闇妖精ダークエルフ。その頸を、褐色の両手が包んだのである。

魔法で作りだした幻影イリュージョンを替え玉とし、姿隠しコンシール・セルフの秘術で身を隠して接近してきた女賢者の手が。

寒気のするような低音とともに、頸が砕けた。

―――馬鹿な……

闇妖精ダークエルフの女は、驚愕の表情を顔に張り付かせたまま絶命した。


  ◇


朝日が昇る。

誰一人として生きる者の無くなった山城。その東の斜面で、女賢者は待っていた。太陽神の慈悲が与えられる瞬間を。死した己の魂が救済されるその時を。

草地に横たわる褐色の女体と、その傍らに置かれた麗しい生首は、最期になるであろう朝日が昇る瞬間を目の当たりとした。

強烈な―――本当に、これまで感じたことのないような凄まじい不快感が、彼女の疲弊しきった魂魄を打ちのめす。

されど。

悪しき者を焼き払うはずの陽光は、女賢者を焼かなかった。

「……ぁ……ぁ……」

―――ああ。神よ。貴方は、私に生きろ、とおっしゃるのですか。

双眸よりあふれ出したのは涙。

いつまでも、女賢者は太陽を見つめていた。

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