第五部 海洋編 (主人公:女海賊・女占い師・交易商人)

第一話 女海賊、死す

悲壮感が足りない(ので増やす)

「くっ!殺せ!!」

女海賊の首へと振り下ろされたのは、戦斧。

視界がずれ、落ちる。

顔が床にぶつかったのが痛かった。馬鹿な話だ。自分はもう、首を落とされたというのに。

転がる頭。その視界の隅に映ったのは、先ほどまでの己の体。持ち主を失ったそれが力なく崩れ落ちる。

───ああ。嫌だ。

そうして、女海賊は死んだ。


  ◇


月下の大地を、幾つもの影が疾走していた。

前を往くのはふたり。

ひとりは小柄。顔を深く覆い隠しているのは分厚いフード。フードのついている暗い色のローブはゆったりとしており、全身を寒さから守っていた。

隠者か。賢者か。魔法使いかもしれぬ。

されど、だとするならば腰に帯びた長剣は何なのだろうか。明らかに不釣り合いないでたちであった。

そしてもう一人。

こちらは毛皮の防寒具で頭からつま先までを守り、やはり腰に下げているのは手斧である。体格からして男であろう。

彼らが進んでいるのは湿地帯。

ふたりは追われていた。一人の追跡者。いや、で数えるのは不適当であろう。それは、小屋ほどの分厚い巨体に、不釣り合いなほど小ぶりな頭部。三白眼の小さな目。額から角が生え、凶悪な牙をはやしている怪物。巨鬼オーガァであったから。

先を走るふたり。されど男の方は息が上がって来たのか、遅れをとり始める。このままでは巨躯の怪物に追いつかれよう。

と、そこで。フードの人物が、男を担ぎ上げた。人ひとり分の重量を背負っているというのに、速度にはいささかの変化もない。

そんな彼らの後を追う巨鬼オーガァ。この巨大な怪物の手が、フードの人物へと届かんとしたとき。

突如、巨鬼オーガァは地面を踏み抜いた。

否。

フードの人物が平然と歩いていたのは水面であった。それを地面と誤認した怪物は、水にはまったのである。

巨鬼オーガァは泳げぬ。ある種の金属組織を内包した1トンの巨体は水に浮くには重すぎるのだった。

沈んでいく怪物をしり目に、ふたりは走り去った。


  ◇


月光が降り注ぐ、夜の世界。

寒冷なその場所は湿気が多い。湿地帯。森林に覆われておらぬ。環境が許さぬのである。泥炭が支配している泥炭地ピートボグであった。

過酷な環境は、まるで生命の存在を拒絶するかのよう。

されど、その地を自発的にうろつきまわる者どもはいる。

まるで地震かと思わせるような、凄まじい振動を響かせて。

大きい。そいつらは、3メートル、1トンの巨体を誇る巨鬼オーガァどもであったから。

そう。地響きを立ててうろついている巨鬼オーガァは一匹だけではない。何匹ものそいつらが、巨大な棍棒を片手に何かを探しているのだ。

この人食いの怪物どもは残忍で粗暴の極みと言える。断末魔の悲鳴は彼らにとって最高のスパイスなのだ。ただの野の獣ではそうはいかぬ。ここまで熱心に探している以上、それは単なる晩餐では在り得なかった。彼らの愛する食材を捜索しているに違いない。

やがて近辺を捜索し終えた彼らは、先へと進んでいった。

それに目をやりつつ、水面から顔を出す二つの人影。

男が口を開き、それに女が答えた。

「やれやれ。行きましたかな」

「ええ。大丈夫そうです」

「……しかしかないませんなこれは。寒さで凍えてしまう」

「やむを得ません。奴らに喰われたら寒さを感じることもできなくなります」

一人は男。水面から覗いている顔はふくよかで、髭と相まって温厚そうな印象。先ほどの毛皮の男である。

一人は女。驚くほど白い肌。赤みがかった、やはり白髪。瞳は紅。そして、尖った耳を持つ彼女は森妖精エルフの血を引いているに違いない。ローブの人物であった。

男は交易商人。女は占い師だった。彼らは怪物どもに追われ、隠れていたのである。

「まぁ、せっかく美女とお近づきになれたことですし、ここは役得と思う事にしましょう」

「冗談をおっしゃる余裕があるならだいじょうぶですね」

ふたりは、沼に隠れるために服を脱ぎ、畳んだ着衣を帯を使って頭の上に縛り付けていた。それだけではなく、体温が逃げるのを最小限に抑えるために抱き合っていたのだ。

「奴らをやり過ごしたのはよいのですが、これからどうしますかな。ここは陸の孤島。徒歩では逃げられないと来ている。船を取り戻そうにも、ふたりでは動かせませんぞ」

「……やむを得ません。手伝ってくれそうなを探すとしましょう」

「……人ですと?」

「魔法の力を借りてます」

女占い師の言葉に、男は天を仰いだ。

「この状況でなければ、決して同意しなかったでしょうな」

「貴方のそういうところは好きですよ」

「よしてくだされ。私には妻も子もおります」

ふたりは沼から上がると、可能な限り手早く着衣を身に着けた。このままでは巨鬼オーガァに喰われるより先に、寒さと病魔に殺されるのが明らかだったから。


  ◇


「……これは。亡くなったばかりですな」

「いえ。死蝋化しています。永久死体の類でしょう」

ふたりが探り当て、泥炭の底から掘り出したのは、首が切断された女の死体。まるでつい先ほどまで生きていたかのような状態の彼女は、細面の美女だった。

永久死体。その名の通りきわめて保存状態の良い遺体の事である。過酷な自然環境によって、遺体の分解が進まなかった場合に生じる場合があった。

「場合によっては何千年も前の遺体が見つかるときもあると聞きます」

「……何千年」

交易商人は呆然とつぶやいた。何千年と言えば、神話の時代ではないか。

「幸い―――この方にとっては不運な事ですが、魂魄が肉体にまだ絡み取られているようです。彼女を強力な不死の怪物へ転生させます。巨鬼オーガァごとき、束になろうとも勝てぬほどに強力な」

「それは心強い。

……つかぬことをお伺いしますが、どれほどの時間が必要ですかな?」

「四半刻はかからぬでしょう。何か?」

「ああ。些細な問題ですな。巨鬼オーガァどもが戻って来たようで」

「!?」

女占い師が振り返った先。まだ遠いが、巨鬼オーガァどもが何匹もこちらへ歩いてくるではないか!

気付かれるのは時間の問題だった。

かといって遺体を埋め戻している時間も、隠れる暇もない。

「……四半刻ですな?」

「どうされるおつもりですか」

「私が囮になりますので、大急ぎでその方をておあげなさい。さもなくば我々全員ですぞ」

「分かりました。ご武運を」

交易商人は駆けだした。


  ◇


―――寒い。つらい。さむい。つらい。

「聞こえますか」

―――さむい。さむい。くらい。

「私たちを助けて下さるのであれば、あなたをお助けいたしましょう」

―――たすける。だから、たすけて……

「はい。お願いします」


  ◇


巨鬼オーガァどもに追われながら、交易商人は冷や汗をかいていた。

どうしてこうなったのやら。雲行きが怪しくなったから停泊した場所が、たまたま闇の種族の砦のすぐそばだったのも不運であれば、船員たちがたちまち殺されたのも不運。乗客にあの女占い師がいたおかげで自分は助かったのは幸運かもしれないが。

それにしても、自分が運動不足なのは認めるが、これは過酷すぎる。なんとかまからないものだろうか。

等と思っている間に、怪物から伸ばされてくる手。

辛うじてかわす。ひとと巨鬼オーガァの速度はほぼ互角。そうそう捕まりはしない。気を付けているのであれば。

されど、相手は一匹ではない。

どころか何匹もの奴らが襲い掛かってくる。

必死に交易商人が逃げても数の差でいずれ負けるであろう。それでも時間を稼がねば。

そんな時だった。交易商人が足を取られて転んだのは。巨鬼オーガァによってつかみ取られる彼の肉体。

万事休す。

交易商人は、迫る怪物の口に目を閉じる。

いや、閉じようとして、真横からの衝撃を感じた。

致命的な打撃。

巨鬼オーガァの腹部に食い込んだ蹴りの一撃は、腹筋で守られた内臓に回復不可能な致命傷を与えた上で、五メートルも吹き飛ばしたのである。

衝撃で地面に投げ出された交易商人は、見た。

月灯りを背にした、首のない麗人の姿を。

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