正気の度合いがなくなると大変です(キャラロストはしません)

月神。

光と闇。双方の属性を備え、それ故にどちらの陣営にも属さぬこの女神は、狂気を司る事でも知られている。論理からの自由と解放を司る神性なのだ。

突然の霊感インスピレーションを与えるとも言われ、それ故に芸術家や賢者が加護を受けることもまれにある。

しかし、彼女の寵愛を最も受ける存在はやはり狂人である。その魂が狂えば狂うほど、月神の加護を強く受けることができた。あらゆる狂人は月神の神官であるとも言えただろう。

今、狂気に陥った野伏。彼女もまた、月神の加護を強く受ける存在だった。


  ◇


「駄目……やめなさい!」

妹が叫んだ相手は、狂える草小人だけではない。主人を傷つけられ猛った獣たちにも向けられていた。この猛獣たちは野伏へと襲い掛かろうとしていたのだ。

そこへ、強烈な一撃が降りかかった。

うなり声と共に野伏が発動させた加護の名は、負傷ウーンズ。すなわち治癒の加護とは逆の効果を与える霊力を発揮したのである。

たちどころにズタズタに切り裂かれ、焼けただれたのはボア。3メートルもの巨体が重傷に仰け反ったのだ。

怒りを募らせる獣たち。

神の力を借りて凶悪な魔法を発動させた草小人はしかし、怯えているように見えた。彼女には敵味方の区別がつかないのだ。

だから、妹は、皆を落ち着かせることを優先した。野伏に聞かせるべく、穏やかで静かな歌声を響かせたのである。

魔力が込められた美声は、その場にいた者たちの心へと響いた。

月神の加護を得た草小人が、明らかにひるむ。

それを確認した妹は立ち上がった。更には歌を継続しながら野伏へと歩み寄る。

一歩踏み込まれるたびに後ずさる野伏。

相変わらず狂気に陥ってこそいたが、この草小人が落ち着きつつあるのは明らかだった。

やがて、ふたりの距離は縮み、魔法使い姉妹の妹は、野伏の小柄な肉体を抱きしめる。

野伏は、いつしか安らかな眠りに落ちていた。


  ◇


幽界かくりょの平原にある、姉妹の家。その二階にある書斎。

外は既に夜だが、魔法使い姉妹の姉が机へ向かっていた。

彼女が読んでいるのは野伏が持ち帰って来た奇怪な石板。読んでいるだけで狂気に囚われそうな不可思議な文字が刻み込まれている。知らない文字だが、何故か内容が伝わってくる気がするのだった。魔法文字かもしれない。

そこへ、妹が上がって来た。星明りで照らされた彼女の銀髪は美しい。

「姉さん。あの子は眠ったわ」

「お疲れ様。……大丈夫かしら」

「分からない。少しずつでも心を癒していくしかないと思う」

「そっか……」

野伏を寝かせているのは一階の隅である。この家には寝台がない。絨毯の上で、毛皮を被って眠るのである。

獣たちに見守られながら、狂気に陥った草小人は眠りに就いたばかりだった。

帰還直後。一端は落ち着いた彼女だったが、家の中で寝かされようとするとすぐさま目を覚ました。訳の分からぬことを叫び散らし、恐怖に振るえる彼女には以前の面影がまったくない。

奇妙だったのは、野伏の体の汚れや消耗からすると洞に潜ってからさほど時間が経っていないということ。半月近くも行方知れずとなっていたというのに。

「悪いことをしてしまったわね。あの子が正気に戻るよう、最善を尽くしましょう。さ、あなたは寝なさいな」

「分かった。

姉さんも根を詰め過ぎないでね」

妹は、階下へと降りて行った。

「根を詰め過ぎないで、か……」

姉も石板を書棚に片づけると一階へと向かう。

月光を浴びた石板は、怪しく輝いていた。


  ◇


―――随分と長い間、ぼーっとしていた気がする。

ある朝野伏が身を起こすと、その隣では銀髪の美しい小柄な少女が眠りに就いていた。魔法使い姉妹の妹が。

彼女たち姉妹にはずっと、世話をされていた気がする。どれくらいの期間かは分からないが。昨夜まではそもそも世話をされているという自覚がなかった。野伏は狂気に陥っていたから。それが今朝、まるで焦点が合ったかのように急にすっきりし出したのである。狂気からこの草小人は解放されたのだ。

彼女は知らなかったが、回復できたのは魔法使い姉妹の努力のたまものだった。

親身になってくれた姉妹。

その片割れが目を覚ましたのを見て、草小人は、告げた。

「……おはよう」

挨拶を聞いた妹は、このの努力が実を結んだことを知った。草小人が回復するまでにそれだけの期間が必要だったのだ。

魔法使いの姉妹と、草小人。この三者の間にある種の絆が結ばれた瞬間であった。

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