日常系(ただしダークファンタジー世界)

「毎度の事とはいえ、かなわんのう」

悪霊探しに行った子供たちがいまだに帰らぬと聞き、白髪に髭の老人は苦笑した。老人と言ってもその肉体にはいささかも衰えはない。着古してはいるが清潔な法衣を身にまとった彼は、村の神殿を守る神官の長であった。

火神の神官は夜に活動する。夕刻に起き出し日が昇ると床に就くのである。主である火神に合わせているのだった。火神は、夜、眠りについているという太陽神の代理として、地上の秩序を守護する役目を担っている。権能たる火によって夜の闇を退け、寒さから人々を守り、病毒を焼き清めるこの神は、時に主神たる太陽神と並ぶほどの崇敬を集めていた。

村の神殿は、道を進んだ上、最も高所の奥まったところ。その右手に進んだ山のふもとにあった。有事には避難所ともなるこの施設は石造りの土台の上に木で造られた複数の社からなっており、幾つものかがり火が焚かれている。この場所からは、谷間に作られた村全体が見渡せた。あらゆる危険を事前に発見するのも神殿の重要な役割である。

「どうします?」

老人に問うたのはまだ若い神官。老人の息子であり、3年間の修行―――火神の正式な神官となるためには闇の者どもと戦う戦士として奉仕する義務がある―――を終えて戻ったばかりだった。ゆくゆくはこの神殿を継ぐことになろう。

「朝になったら男手を集めて探しに行かねばな。それまでの無事を祈ろう」

「はい」

二重遭難の危険を考えれば今すぐ探しに行くのは論外である。神官は頷いた。

「仮眠をとっておけ。明日は忙しくなる」

「分かりました。父上は?」

「わしはあとでいい」

会話を終え、神官がその場を辞そうとした時のこと。

谷間に、血も凍りつくかのような断末魔が響き渡った。

「!?―――皆を集め、武装させよ」

「はっ」

夜はまだ、始まったばかりだ。


  ◇


辺境の夜は早い。太陽が沈むのと同じくして人々は戸を閉め切り、床に就く。にもかかわらず、農夫が家の外へと出てきたのは、鶏小屋のあたりが妙に騒がしかったからである。

村はずれに住む彼の家の鶏は以前にも獣に襲われたことがあり、防備を固めるべく

番犬が繋がれている。他人が来てもじゃれつく駄犬だが、獣に対しては今のところ忠実に役目を果たしていた。

にもかかわらず、吠え声が聞こえない。鶏たちはざわめいているというのに。

不審に思った農夫は、先に火がついた薪を掴むと裏庭へ回った。

照らした先。農夫が見たのは、地面にぐったりと倒れ込んでいる番犬だった。

即座に駆け寄った彼は、犬の様子を検分する。ピクリともしない。死んでいるのか?

手で触れた犬の体は、信じられないほど冷たかった。まるで凍り付いているかのように。

直後。

驚いて引いた手が、食いちぎられた。今の今まで死んだとばかり思っていた犬に噛みつかれたのである。痛い。いや、冷たい。まるで命が吸い取られていくかのような脱力感。単なる負傷を越えるダメージに、農夫は地面をのたうち回る。

農夫の眼前で、番犬が目を見開いた。

あれはなんだ。爛々と輝くあの赤い目は一体なんだ!?

事態は農夫の理解を越えていた。

不浄なる怪物と化した番犬。その向うから、何者かが音もなく現れる。

番犬同様の赤い目を持つそいつは、全身を錆びた甲冑で守った鎧武者であった。

農夫から番犬を奪った鎧武者は、さらなる略奪をすべく視線を向ける。

目が合った。

吸い込まれるような瞳。いや、ような、ではない。実際に吸い取られている。魂が。善良で、ごくありふれた農夫の内包する生命力が、合わさった視線を通じて吸い尽くされた。

それで終わりではない。

農夫は死んだ。いや、死ぬことすら許されなかった。そこからさらにの力を奪われたことで、邪悪なるが宿ったのである。

哲学者たちは言う。もし、無から何かを奪うことができれば、そこには"負の数"とでもいうべきものが生まれるであろうと。

不幸な農夫に起きたことは、まさしくそれと同じであった。自然界にあってはならぬ事象。

農夫だった怪物は、ゆっくりと立ち上がった。

爛々と輝く赤い目をのぞけば一見、変化はない。食いちぎられた片手が痛々しいが、それは生身の人間のようにも見える。

しかし、魔力や魂を見る力を持つ者達からすれば、その変化は一目瞭然であった。

邪なオーラを漂わせた不死なる怪物。生きとし生ける者の生命を貪欲に啜る、屍人ワイトの誕生である。

彼こそ、今宵二人目の犠牲者であった。

鎧武者は屍人ワイトを従え、村の中央へ向けて歩み始めた。

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