第37話 少女が彼女を想うということ(2)
「お邪魔します」
玄関で靴を脱いでいると、奥の部屋から陽織が出迎えてくれた。
いつもなら椿が出迎えてくれるんだけど、珍しいこともあるものだ。
「いらっしゃい」
「椿は?」
「あの子ならさっき買い物に出かけたわよ」
「ああ、なるほど」
話しながら2人でリビングに行く。わりと頻繁にお邪魔しているので、この家の間取りや物の位置などすっかり覚えてしまった。この家に出入りするようになってもう1年以上経つのだから、当たり前のことなのかもしれないけれど……なんだか、くすぐったい気持ちになる。
「飲み物を用意してくるから、座ってて」
「うん、ありがとう」
台所に向かった陽織を見送ってから椅子に座ろうと近づくと、テーブルの上に本のようなものが数冊ほど雑に積み上げられていた。それが何なのか妙に気になってしまったので、いけないと思いつつも適当な一冊を手にとって開いてみる。
「日向、何をして……あっ」
私が本から顔を上げて彼女を見ると、陽織はしまったという顔で表情を顰めていた。あの……これって、もしかして。
「お見合い写真?」
「まあ……ね」
「陽織っ、お、おおおうおお見合いするのっ!?」
自分の気持ちにようやく気付けたと思った矢先にとんでもない障害発生ですか!?
しかし陽織は不機嫌そうな表情を隠しもせず溜息を吐いて、首を横に振った。
「しないわよ。それは赤口のおば様が持ってきたものだから、一応目を通しておかないと失礼だと思って流し見てたのよ」
「あ、ああ、なんだ」
陽織が自分からお見合いする気だったのかと思ったけど、そうじゃないみたいでちょっと安心した。よくよく考えると彼女は積極的にお見合いをする性格ではない。うぅ…それにしてもなんてことをしてくれるんだ、お母さん。お母さんのことだから純粋に陽織のことを心配して持ってきたんだろうけど……複雑だ。
相手がどんな男なのか気になったので色々見てみると、イケメンとか企業のお偉いさんとかどれもこれもスペックの高い人物ばかりだった。悔しいけど、私と違って陽織と釣り合いそうなので凄くモヤモヤする。
「どうしたの?」
気持ちが顔に出ていたのか、陽織は心配して私の顔を覗き込んできた……って顔が近い。おやめください。勘弁してください。数日前の私なら何とも思わなかったかもしれないけど、今の私にその顔はある意味凶器です。前から綺麗だと思っていたけど、恋愛フィルターがかかっている今ならさらに何倍も輝いて見えるのだ。好きな人の顔を間近でずっと見ていたら衝動的に抱きしめたくなってしまうのは必然ではないだろうか。困る。ほんと困る。まったく思春期の子供じゃあるまいし……あ、思春期の子供だったよ私。
「な、なんでもないからっ!あ、あはははは!」
「そう?」
持て余した煩悩を振り払うように彼女から離れて、赤くなった顔を隠す為にお見合い写真を見ることにした。あ、この人もイケメンで人の良さそうな笑顔がポイント高いねぇ……ってなんでライバルをいい評価してんだろ。
「…………」
でも。
きっと私よりも、陽織を幸せにできるのかもしれない。
彼女の為を思ったら、真剣にお見合いを勧めたほうがいいのかもしれない。
例え想いが通じたとしても……私は何も持ってなくて、それに女で、ずっと年下で、頼りなくて、きっと苦労ばっかりさせてしまうだろうから。
「こら」
「……あ痛っ」
気持ちがどんどん沈んでいく私の頭を、彼女は優しく叩いた。反射的に痛いと言ってしまったが、全然痛くなかった。むしろ叩かれて沈んでいった気分が浮かび上がっている。おかしい、やっぱり私はマゾッ気があるのだろうか。き、気のせいだよね、多分。
顔を上げるとすぐ近くに陽織の顔があったので、驚いて反射的に後ろに下がってしまった。
「いつも変だけど…今日はいつにも増して変ね、貴女」
「ひ、酷い」
「……何かあったの?」
「ううん、何でもないよ」
落ち着こう。あまりにも挙動不審だから陽織が心配している。いつも通りの自分を心掛けているつもりだけど、芽生えた気持ちが暴走してしまって感情を制御できてないみたいだ。このくすぐったい気持ちに慣れるまで一体どれくらいかかるのだろう。なにしろ初めての恋なんだし、経験がないので何もかもが解らない。自分が恋する乙女状態になってるのも無性に気恥ずかしい。
こほん、とわざとらしく咳払いをして近くの椅子に腰を下ろす。陽織はしばらく怪訝な目で私を見ていたけれど、諦めたのか再びお見合い写真に目を通していた。お見合いはしないって言ってるし、だいたい彼女がお見合いするなんて想像できないから心配しなくていいんだろうけど、やっぱり気になってしまう。大丈夫だと自分に言い聞かせても不安で仕方ない。
淡々と写真を見ている陽織の横顔を、気付かれないようにこっそり盗み見る。……相変わらずの無表情で何を考えているのか解らないけれど、昔に比べれば随分と柔らかくなった。まあ、それでも表情に乏しいのは性格的なものなのだろう。
「陽織ってさ」
「何」
「今好きな人とかいるの?」
ゴトンッ!と手に持っていた写真をテーブルに落として、陽織は驚いた表情で私の方を向いた。え、そんなに驚かなくてもいいのに。
「日向……熱でもあるんじゃないの?」
本気で心配そうな顔をされた。私の口から恋愛の話が出たのが余程意外だったらしい。
「いや、熱はないけど。陽織の方が熱あるんじゃない? 顔が真っ赤だよ」
「そ、それは貴女が変なこと聞くからよ。どうしたのよいきなり、そんなこと、聞いて……」
「んーお見合いするつもりがないってことは心に決めた人がいるのかなぁと思ってさ」
「別に、わたしはただ、お見合いする気になれないだけで……」
「……ふうん」
「…………」
彼女はそれ以上何も言わず、顔を逸らしてテーブルの上に置いてある幾つかのお見合い写真を整理している。まとめ終えた写真を全部紙袋に入れてから部屋の隅に置き、席に戻って紅茶を啜っていた。ずっと沈黙を保っている彼女は、どうやら私の質問に答えるつもりはないようだ。私と同じで恋愛に興味がなさそうな彼女のことだ、この手の話題は恥ずかしいのかもしれない。私だって未だに恋だの愛だのは恥ずかしくて、考えるたびに内心悶えてるんだから。
彼女に好きな人がいるのか知りたかったけど、聞きたくない気持ちもあったので答えてくれなくて実はホッとしている。自分で聞いといてやっぱり聞きたくないって……ほんと、今の私はどうかしてるよね。
「……なによ」
「何でもない」
私の視線に気付いた陽織が、不機嫌そうな顔でこっちを見ている。見られていることが落ち着かないらしく、とても嫌そうだ。しばらく抗議の視線を向けられていたけど諦めたのか溜息を吐いて顔を背けられてしまった。
ちょっとした仕草の一つ一つが可愛く見えて、なんかもう見てるだけで幸せかもしれない。思わずにやけそうになるのを必死で我慢する。
私ってこんなにも陽織のことが好きだったんだなぁ。
「……………」
彼女の横顔を見ながら、ふと考えてしまう。
彼女が…もし好きな人がいると答えたら、私はどうすべきなんだろうか、って。
(陽織に好きな人がいるのなら、そんなの、応援するに決まってる)
考えるまでもなかった。選択肢なんて必要ない。
彼女には誰よりも幸せになって欲しいから。
それに、今こうして陽織の傍に居ることが出来るだけでも幸せだと思う。本当なら私は17年前に死んでいて、彼女を見ることも、話すことも、触れることもできなかったはずだ。なのにこうして、再び昔のように一緒に居る。それだけでも十分に私は幸せなんじゃないだろうか。とんでもない果報者なのではないだろうか。陽織が生きて幸せに過ごしてくれていれば、例え再び出会えなくても、それだけで良かった。けれどこの町に引っ越してきて偶然また彼女に出会えたから、今度は傍らで見守っていられるだけで良いと思った。見ているだけで良かったはずなのに。それなのに今、こんなにも近くに居る。話すことが出来て、触れることだって出来る。
だから、これ以上は望まない。
彼女を好きだって気付かなければ良かった……なんて、思わない。
誰かを好きになるってことが、どんなに素敵で、辛くて、嬉しくて、暖かいものだって、知ることができたから。そして、初めて好きになった人が彼女で良かったと心から思う。色々あったけれど、陽織と出会えて、好きになって、幸せだって思える人生を送れているから。
「陽織」
「もう、なんなのよ。言いたいことがあるならハッキリ、と……っ」
テーブルの上に置かれた彼女の手に、自分の手を重ねる。暖かくて、柔らかな手。そのまま存在を確かめるようにぎゅっと握る。すると陽織はびくりと身体を震わせ、目を丸くして驚いていた。それからじわりじわりと熱が染み込むように顔が薄く紅く染まっていく。急に手を握ったから、怒らせちゃったかな。
「言いたいことたくさんあるよ。でも、こうして触れてるだけで別にいいかなぁって」
「よ、良くはないでしょう。言わなきゃ伝わらない事だってあるんだから」
「そうだね。じゃあ遠慮なく言わせてもらうけど、聞いたことを後悔しないでよ?」
「ええ、わかったわ」
言葉にせずに後悔したことは山ほどある。
だからほんの少し勇気を出して、恥ずかしいけれど、伝えてみようと思った。
それは胸に秘めた想いではなく。祈りのような、願いごと。
「初めて会った時から思ってたけど、陽織って美人だよね」
「…………は?」
「刺々しい言葉は鋭くてよく刺さるけど、凛とした物言いは凄く格好良い」
「……あの」
「頭も良くて博識。私よりも年下だったのに沢山のことを知っていて、色んなことを教えてくれた」
「……ちょっと」
「それから無愛想だけど、ふとした時に見せてくれる笑顔は最高に可愛い」
「……いい加減にっ」
「あとなにより優しいよね。厳しい態度も口調も、相手のことを思ってのことだって知ってる」
「……――――っ」
「私の自慢の幼馴染は凄いんだぞって、ずっと伝えたかったんだ。周りにはもちろん、陽織自身にも」
彼女はもっと愛されるべき人だ。たくさん、褒められるべきで、報われていい。
結婚が必ず幸せに繋がるわけではないけれど、それもひとつの手段。一度真剣に考えてみるのもいいんじゃないだろか。
出会いが増えれば、縁も増える。良いことも悪いことも起こるだろう。選んだ未来に何が待ち受けているかは誰にもわからない。それはとても恐いことだと思う。でも、一歩踏み出してみれば、今以上の幸せに出会える可能性があるんだ。
「陽織には、誰よりも、幸せになって欲しい」
親友として。幼馴染として。願うのはそれだけだ。
一人で歩くのが恐いのなら隣にいる。踏み出す勇気が足りないのなら、この手を貸すから。
「…………――はぁ」
呆れたように重い溜息を吐く陽織さん。あれ、なんか予想してた反応と違うんだけど。
「解ってはいたのよ。ええ、随分前から、知っていたわよ。貴女がとんでもないお人好しで馬鹿で鈍感で愚直なお馬鹿さんだってことは」
「あれ? なんで罵られてるんだろう」
しかも馬鹿って二回言ったよね。
何故か怒っていらっしゃる彼女に反抗する勇気はなく、縮こまって震えていることしか出来ない。
この状態の陽織に向かっても私では敵わないとこれまでの経験で熟知しているので、ここは怒りが収まるまで一時撤退したほうが良さそうだ。
「そ、そうだ忘れてた! 携帯を机の上に置きっぱなしだったから、ちょっと家に戻って取ってくるね! あはは参ったね、うっかりうっかり!」
「あ、こら待ちなさ――」
捕まる前に素早くソファから腰を浮かせて、逃げるように玄関へ向かう。
しかし慌てていたせいかテーブルの足に自分の足が引っ掛かり、体が傾いた。
「え」
視界が、ぐるりと回る。
「日向っ!?」
思考が追いつかなくて、何が起こったのか解らない。
転んでいる最中だと理解する前に頭部に衝撃が加わり、激痛が走った。
「……っ!!」
最後に甲高い陽織の声が耳に届いて、私の意識はそこでプツリと途絶えてしまった。
*
夢を、見ている。
これはそう――小さい頃の、私がまだ赤口 椿であった頃の、昔の夢だ。
幼い頃の自分は絵に描いたような、やんちゃな子供だった。怖いもの知らずで、面白そうな場所を発見すると後先考えず一人で忍び込んでいた。たくさんの資材が置かれた工事現場だったり公園の奥にある不気味な洞窟だったり。興味を惹かれる場所を見つけて遊んで帰っては、そのたびに親にバレてよく叱られていたっけ。それでも冒険することを止めず、こりずに自分の知らない場所を見つけては、忍び込んで遊んでいた。
そしてあの日。
公園に遊びに行こうと家を出てすぐのことだった。
家の近くにある小さな森に猫が入っていくのが見えたので、私はすぐに後を追いかけた。そしていつの間にか猫を見失って、気が付けば森の奥深くまで踏み込んでいた。こんなに奥の方まで来たことがなかったので、ここがどのあたりなのかわからない。木々のざわめきや鳥の鳴き声しか聞こえず、昼間なのに辺りは薄暗くて気味が悪かった。けれどその時の私は、帰り道もわからないのに恐怖とか不安とかを全く感じなくて、ただ、わくわくしていた。この未知の森を冒険したいと思ったけれど、今までの経験上、帰りが遅くなったら親に怒られてしまう。
なのでとりあえず帰る道を探してから遊ぼうと、生い茂った草木を掻き分けて進んだ。こういう荒れた場所を進むのは慣れていたので、問題なく歩くことができる。
早足で適当に突き進んでいると、ようやく開けた場所に辿り着くことができた。
辺りを見渡して目に付いたのは一本の大きな木。
吸い寄せられるように近づいてその場に座り、背中を預けた。ずっと森の中を歩いていて疲れていたのか、暖かい日差しや心地よい木々のざわめきが私を眠りへと誘う。
少しだけ休憩しよう――そう思って私は目を閉じた。
『誰?』
誰かの声が聞こえたので目を開けると、私よりも少し小さい女の子が怖い顔をして立っていた。
目を擦ってよく見てみると、その女の子はとても可愛い…というよりは綺麗と言った方がいいのかもしれない。サラサラと柔らかそうな長い黒髪にぱっちりと開いた力強い目が印象的だった。まるで立派なお家に飾ってあるお人形さんのようで自然と目を奪われてしまう。機嫌が悪いのかその綺麗な顔は仏頂面だったけれど、きっと笑ったらもっと綺麗なんだろうなぁと思った。
私と彼女は、お互いに言葉を発することなく見つめ合う。
これが、私たちのはじまり。
私は彼女と仲良くなりたいと思った。けど、最初は徹底的に拒絶されていた。彼女の元へ遊びに行くたびに帰れと言われて追い返されて、何度も落ち込んだ。それでも諦めずに毎日のように通っていたら、だんだんと彼女の態度が柔らかくなっていって。次第に話も聞いてくれるようになって、一言二言だけど話し掛けてくれるようにもなって、それがとても嬉しかった。
私よりも年下のはずなのに、彼女は何でも知っていた。色々な事を教えてくれて、たくさんの事を知った。単なる知識だけじゃなくて、言葉に表せないような大切なものもいっぱいくれた。そして、いつの間にか彼女の傍に居ることが何よりも楽しくなっていって。冷たいように振舞っているけど、何度も遊んでいるうちに本当はとっても優しい子だってわかった。
彼女が持ってる本来の優しさに触れて、それがとても心地よくて、嬉しくて。2人一緒に過ごす日々を積み重ねていくうちに、ソレがかけがえのないものになっていった。
私の一番大切な、女の子。
今思えば、この頃からもう彼女に惹かれていたのかもしれない。
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