第24話 静かに繋がっていく



 お母さんと一緒に買い物をするなんて、いつ以来だろうか。

 二人で買い物をした最後の日を思い出せないのだから随分と前なんだと思う。何気なく隣を歩いている母親を見ると、すぐに私の視線に気がついたようで目が合ってしまった。


「まだ何か買う物があるの?」

「あっ、ううん、もう大丈夫です」

「そう?」


 お母さんと一緒に買い物をするのが久しぶりだったから嬉しくて、買い忘れた物以外の物もたくさん買ってしまった。私とお母さんの両手にさがっている沢山の袋を見て苦笑してしまう。

 先に帰ってもらった日向さんと瑠美さんには遅くなるとメールを送ったけれど、お客様を待たせるのも失礼なので急いで帰らなきゃ。日向さんから『気にしないでゆっくり買い物してきてね』と返事が来たのでつい甘えてしまいすっかり遅くなってしまった。


 でも、今日は本当に楽しかったな。言葉数は少ないけれど、お母さんは前より私に喋りかけてくれる。そして何より、私を真っ直ぐに見てくれる。今までは逃げるように顔を逸らして、私の目を見てくれなかったから。


「そうだ」


帰り道を歩きながら、ふと思いついた。


「お母さんは洋食で瑠美さんは和食が好きですけど……日向さんはどんな料理が好きなんでしょうか?」


 せっかく夕食に招待したのだから、彼女の好きな料理を作ってあげたい。お菓子が好きなのは知っているけれど、料理の好みは聞いていなかった。一緒に買い物している時に確か、生魚以外の物なら好き嫌いなく食べれると言っていた気がする。けれど肝心の好きな料理が解らないので、材料を揃える事が出来ない。日向さんとはずっと一緒に居るような感覚だったけれど、考えてみれば彼女とはまだ出会ったばかりで、私は彼女のことを何も知らないのだった。


「メールで聞いてみたらどう?」

「あ、そうですね」


 私は携帯を取り出して日向さんと連絡を取ろうと思ったけれど、どうしてか電源が入らない。


「あ、そういえば充電するの忘れてました」


 後で充電しようと思っててすっかり忘れていた。出かけるときに予備のバッテリーと換えとけば良かったと今更ながら後悔してしまう。あの時は日向さんに買い物に誘ってもらって嬉しくて慌てていたから、携帯のことなんて頭になかった。うう、お母さんを見習ってもう少し冷静な人間になりたいな。


「仕方ないわね。私のを使いなさい」

「わ、ありがとうございます」


 見かねたお母さんが携帯を私に渡してくれたので、受け取って通話ボタンを押す。

 次に番号を入れようとしたけれど、指が止まってしまった。


「あっでも私、日向さんの番号を覚えてません」

「彼女のデータならアドレス帳に登録してあるから、探してみなさい」

「……は、はい」


 どうしてお母さんが日向さんのデータを登録しているのか少し気になったけど、言われた通りにアドレス帳を探す。


「あ」

「あった?」

「あの、お母さんの携帯も、充電切れちゃいました……」

「………………………そう」


 気まずそうに、顔を逸らして明後日の方向を見ているお母さん。あれ、もしかして照れてるのかな。いつも冷静なお母さんの、新しい一面が見れたような気がして嬉しかった。なんだか面白かったので気付かれないようにこっそり笑う。


「でも、困っちゃいましたね」


 どちらの携帯も使えないから連絡を取るのは諦めるしかない。

 これでは日向さんの好きな料理が解らないので、どの材料を買って帰ればいいのかわからなかった。

 手元にある材料で作れる料理であることを祈るしかないだろう。

 私は電源の切れた携帯をお母さんに返した。


「あの子の好きな料理はまた今度にすればいいんじゃない? 今日は、椿が作りたい料理をご馳走してあげればいいと思うわ」

「……そうですね。頑張ります」


 そうだ。今日は自分の得意な料理を日向さんに…ううん、皆に食べてもらおう。小さい頃から赤口のおばさんに料理を教えてもらっていたから、自信はある。大好きな人達の為に自分に出来る精一杯の美味しい料理を作ろう。自分の持っている全ての技能を駆使し、たくさんの感謝を込めて。


――今、私とお母さんがこうして穏やかに過ごせてるのは、彼女達のおかげなのだから。


「でも、日向さんは生魚が苦手みたいなので、今日はお魚は無しの方向でいきますね」


得意料理のひとつに煮魚があったけれど、彼女が苦手だったら困る。

他にも得意な料理があるし、わざわざ作らなくてもいいだろう。


「あの子……生魚が苦手なの?」

「はい。日向さんのお母さんも、本人も苦手だって言ってましたけど」

「……そう」

「?」


 急に俯いて何かを考えているお母さんの表情は変わらないように見えて、どこか、悲しいものだった。私は何か、お母さんを悲しませるようなことを言ってしまったのだろうか? 不安になって聞いてみると、すぐに首を振って否定してくれた。


「ただ、ちょっと昔を思い出しただけよ」


 そう言って寂しそうな、けれど暖かい笑みを浮かべるお母さん。今思えば、お母さんが悲しい顔をしているのは『昔』を思い出している時なんじゃないかと思う。きっと私を見る目が悲しいモノだったのは、昔を思い出してしまうからだったんだ。

 お母さんは昔の話を喋ろうとはしない。

 あれからなんとか聞き出せたのは私の父親のことと、お母さんの幼馴染の人の話をほんの少しだけ。きっと色々、あったのだと思う。私に話してくれないのは、きっと私の為を思ってのことだ。

 昔なら『私のことなんてどうでもいいから話してくれない』と思ったかもしれないけど、今なら違うとわかる。お母さんは『私のことを想ってくれているからこそ話せない』ということ。だから、無理に話してくれなくてもいい。けれど、独りで抱え込まないで欲しい。


「お母さん!」

「えっ?」

「日向さんと瑠美さん、きっと待ちくたびれてると思うから早く帰りましょうっ」

「ちょ、ちょっと椿」


 私は母の手を掴んでぐいぐいと引っ張るように早足で歩き出す。私の急な行動にお母さんは驚いていたけれど、されるがままついて来てくれるので、そのまま帰路を急ぐ。家に帰れば、きっと楽しいから。暖かくて、優しい人達が待っていてくれてるから。きっとお母さんの冷えた心も暖まるはず。

 お母さんが過去の暗闇に引っかかってしまったのなら、私が未来へと引っ張ってあげよう。

 何度だって、いつだって。

 たとえお母さんにとって大切だった人の代わりになれなくても。

 私には、私にしか出来ないことがあると思うから。





「ただいまかえりました」


 私たちが部屋に入ると、雑誌を読んでいた瑠美さんが顔をあげてにっこりと笑った。


「おかえり二人とも。携帯に電話したんだけど繋がらなくてちょっぴり心配しちゃった」

「ごめんなさい、遅くなりました。連絡しようと思ったんですけど携帯の充電が切れてしまって」

「あ、そうだったんだ。ふふ、うっかりさんだね」

「貴女には言われたくない台詞ね」

「うわっ、陽織さん厳しい」


 お母さんと瑠美さんが面白いやり取りを遠めに見ていて、ふと彼女の声がしないことに気付く。不思議に思って姿を探すと、彼女は簡単にこの部屋で見つかった。きっと私たちの帰りが遅くて待ちくたびれてしまったのだろう。日向さんはソファで気持ち良さそうに眠っていた。荷物をテーブルに置いてから、起こさないようにそっと彼女に近づいてみる。規則正しい寝息と、あどけない寝顔がとても可愛らしくてずっと見ていたいと思った。


「さっきまで一緒にトランプで遊んでたんだけど、ちょっと休憩してたらいつの間にか寝ちゃってたのよ」

「日向さん、寝ることが好きみたいですから」

「そうなの? ほんと姉さんに似てるわね…」

「…………………」


 いつの間にか全員で日向さんを凝視している。

 彼女は居心地悪そうに顔をしかめ、むにゃむにゃと小さな寝言を言って寝返りをうった。


「ふふ、気持ち良さそうに寝てますね日向さん」

「そうね。わざわざ起こすこともないでしょうから、そのまま寝かせてあげなさい」

「あ、じゃあ私が椿ちゃんのお手伝いするよ」

「ありがとうございます、瑠美さん」


 私は名残惜しく思いながら彼女の傍を離れて、瑠美さんと一緒に台所へと向かう。

 買ってきた材料を運び終えてからエプロンを身につけ料理の準備を整えた。


「ええっと、今日は何を作るの?」

「そうですね……瑠美さんが好きな和風ハンバーグと、ポテトサラダ……それからグラタンを作ろうと思ってます」

「おお~! 楽しみだなぁ」

「それに加えてあと一品何か作ろうと思ってるんですけど…何がいいでしょうか?」


 袋から野菜を取り出して水で洗いながら、瑠美さんに聞いてみる。

 すると彼女は少し悩んでから


「ロールキャベツとか、どう?」

「あ、いいですね」


 ロールキャベツを作るのに必要な材料は全て揃っているから問題はない。


「でもお肉ばっかりになっちゃうね。魚は買わなかったの?」

「日向さん、お魚が苦手みたいで。火を通せば食べれるって言ってましたけど、微妙な顔をしてたのであまり好きじゃないんだと思います」


 すると瑠美さんは驚いたように目を丸くして、クスクスと小さく笑った。


「まるで、姉さんの生まれ変わりね、日向ちゃんは」

「えっ?」

「好きなものも嫌いなものも、吃驚するぐらい同じなのよ。それに、雰囲気と言うか性格もそっくりだし」


 そういえばお母さんも瑠美さんのお姉さんに似てるって言ってたような気がする。そして瑠美さんが言った“生まれ変わり”という言葉を聞いて何故か心臓が跳ねた。


―――じゃあ、輪廻転生って信じる?


 あの時、お母さんから逃げ出して落ち込んでいた私を優しく励ましてくれた日向さんが、突然ポツリと言った言葉。どうして急にそんなことを聞くんだろうとその時は思っていた。


――日向さんは信じてるんですか?その、生まれ変わりを


 私の問いに日向さんは、まるで自分に言い聞かせるように答えた。


――そうだね。生まれ変わって、良かったって思ってる。

今の家族に出会えて、陽織や椿や瑠美にも会えた。

どうして前世の記憶を持ったまま転生したんだろうってずっと悩んでたけど……

この町に来てもう、そんなのどうでもよくなった。

ううん、記憶を持って生まれてきて良かったって、今は心からそう思える


(まさか)


 あの時は意味が解らなくて、元気がない私を励ます為の彼女なりの冗談だと思っていた。

 けれど、もし、冗談なんかじゃなくて、真実ほんとうだったとしたら?

 日向さんは『誰か』の記憶を持った生まれ変わりだとしたら?


――私が、この町で生まれた人間の生まれ変わりなんだって言ったら信じる?


(まさか、そんなこと……)


 そんな夢のような話、あるわけがない。けれど私が“生まれ変わり”を信じたいと言った時、日向さんは嬉しそうな顔をしていた気がする。なにより、日向さんはお母さんのことを前から知っているような風だった。そしてお母さんと瑠美さんの2人が同じようにあの人に似ていると言っている。


 真実は解らない。

 自分でもこんなありえないことを考えていることに驚いている。

 でも、もし。

 もし、日向さんが『あの人』の生まれ変わりだとしたら……


「赤口、椿さん」

「うん? 姉さんがどうしたの? ……って椿ちゃんがどうしたのっ!?」

「あ……」


 いつの間にか涙が頬を伝っていた。

 どうして泣いているのか自分でも解らない。


「すみません、玉葱が、目に沁みちゃって……」

「椿ちゃんが今切ってるのはどう見てもゴボウなんだけど」

「あ、あはは、おかしいですね」

「大丈夫?」

「はい」


 瑠美さんに心配をかけないよう出来る限りの笑顔を向けると、安心したのか彼女も笑ってくれた。目元に残っていた雫を指で拭って、いつもどおりの表情を心掛ける。でも、身体の中にある心臓は密かに早鐘を打っていた。


「目が疲れてたのかもしれません。ちょっと、目薬さしてきますね」

「はーい」


 ニンジンの皮を包丁で恐る恐る剥いている瑠美さんに用を告げて、台所を後にする。

 目薬が置いてある居間に入ると、まだぐっすり眠っている日向さんと、彼女の寝顔をぼんやり見ているお母さんが居た。お母さんは私の気配に気付いて、視線を彼女から私の方へと移す。


「どうしたの?」

「目薬を、取りに来ました」

「そう。それならそこの棚に入ってるわよ」

「はい」


 お母さんが指さした棚を開けて目薬を探すと、すぐに見つかった。目的のものを取り出して音を立てないようにゆっくり棚を閉める。そのまま台所に戻ろうと思ったけれど、静かに眠っている彼女の方に目が行ってしまったので自然と足が止まった。


 すぅすぅと可愛らしい寝息。歳相応のあどけない寝顔。どこからどうみても、普通の少女だ。けど、時に日向さんは自分と同い歳だとは思えないほど大人びた部分を感じさせることがあった。


(気にしすぎている…のかな)


 もしかしたら偶然に偶然が重なってしまっただけかもしれない。

 そう、たまたまあの人と同じ嗜好で、似ていただけ。

 ……でも日向さんの言っていた言葉と、その時の表情が引っ掛かってしまう。


「起こすの?」


 ずっと彼女を見ていた私が気になったのか、お母さんが小声で言った。

 私は小さく首を振る。


「いえ、ただ……幸せそうに眠ってるなぁって」


 彼女の寝顔は、見ている方まで幸せになってしまうような、そんな寝顔だと思った。

 あまりジロジロ見るのも失礼なので、日向さんから目を離して、お母さんのほうを見る。


「そうね…」


 お母さんは感情を読み取りにくい微妙な表情で、相槌をうった。

 と、そこでお母さんの携帯が震える。

 画面をしばらく眺めてから、お母さんは深い息を吐いて、立ち上がり玄関のほうへ身体を向ける。


「お母さん?」

「ごめんなさい、ちょっと出掛けてくるわ。ご飯が出来る頃には戻れると思うから心配しないで」

「あ、で、でも……」


 お母さんの表情を見ていると急に不安になってしまい、ひきとめたくなった。自分でも理由はわからないけど、何となく、嫌な予感がしてしまったのだ。


「大丈夫」


 お母さんは眉を下げて私の頭をそっと撫でる。

 その優しい仕草と言葉が、余計に私の不安を煽った。


「すぐに、帰るから」


 短くそう言うと、お母さんは部屋を出て行く。

 私はただその背中を見つめる事しかできなかった。


「……料理、作らないと……」


 台所を瑠美さんに任せっきりだったので、早く戻らないといけない。

 きっと大丈夫だと自分に言い聞かせて。

 嫌な予感なんて気のせいだと思うことにして。


 私は小さな不安を頭の片隅に追いやり、台所へと急いで戻った。


 

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