わすれないで。
こんなことがあったら、絶対に後回しにしたらいけないと戒められた。
もう十年は前のことになるけれど、未だに忘れられないし私だけは忘れてはいけないと思ってる。
私には15歳の娘と13歳の息子がおり、どちらもすくすく元気に育って、今じゃ反抗期真っ盛りだから言うことなんて聞きやしない。
「ショウマくんに行ってきますって言いなさい」
そう言っても無視。
まぁ、二人に何も起きないから大丈夫だとは思うんだけれど……
十年前のこと。いや、それよりも三年前のこと。
息子のタクマは双子だった。でも片方は死産で、タクマだけが産声を上げた。私自身も双子を身ごもっていたから体の疲労や負担は大きく、そしてタクマが生まれたことよりも亡くなった子供への思いが強く、元気に産んであげられなかった罪悪に苛まれた。ずっと。それは時が経っても心の奥で残っている。
二歳の娘、アズサにも弟のタクマにも、亡くなった子供の分まで愛してあげよう、と決めた頃。予め決めておいた名前を彼にも授けることにした。
それがショウマくん。
決まってタクマの誕生日にはお墓参りに行き、また「行ってきます」や「ただいま」と必ずショウマくんに挨拶するように決めた。
私もいつまでも落ち込んでいられないから、子どもたちの世話や家事に専念して忙しく動き回る。
そんなてんてこまいな毎日はいつまでも続いて、タクマが三歳を迎えた誕生日。この日、夫の仕事が休みにならず、またアズサが風邪を引いてしまっていて、とても墓参りに行ける状態ではなかった。
だから――その日は行かないことに決めた。
翌日、体の怠さを叱咤しながら布団を這い出ると、アズサの熱が下がるどころか高くなっていた。タクマも咳が出始める。私も風邪を引いたらしく、夫も調子が悪そうだった。
全員が病に倒れてしまい、夫は休めないからと仕事へ行き、私も寝込みたいのを堪えて子どもたちの看病をする。
いつもよりままならない中で、タクマがわんわん泣けばそっちに構いきりでいた。だから、お姉ちゃんのアズサがどこかへと行くのを見逃してしまった。子供部屋で寝ていたはずの娘がいない。
タクマをあやしながら私はアズサを探した。
「アズちゃん? 寝てなきゃダメよー」と力なく声を上げて探していると、アズサはベランダに立っていた。そして、室外機の上に登ろうとする。
「アズサ!」
思わずタクマを床に置き、私は慌ててベランダへ出た。
「何をしてるの!」
五歳の女の子が上り下りするには苦労する高さ。それでも、登ってベランダを見下ろすことが出来るくらい。そして、室外機とベランダの縁は隙間がない。室外機は踏み台になり得る。
熱にうかされた娘を抱いて、私は息を切らしながら部屋の中へ引きずり込んだ。
「アズサ、どうしたの……なんで登ったの」
怒る気力も失せて泣きながら訊くと、アズサはとろんとした目と真っ赤なほっぺで答えた。
「あのね、ショウマくんがね、おいでおいでってしたの」
「ショウマ、くん……?」
私は血の気が引いて、涙を引っ込める。一方、アズサはぼーっと揺らめく目で私を見ていた。
「え、タクマくん、じゃなくて?」
バカなことを訊いているのは分かっていた。けれど、幼い娘の言葉を信用できず、受け入れられずに答えをじっと促す。
娘は首を横に振った。
「タクマくんはそこにいるでしょ。ちがうの。ショウマくんなの」
それからアズサは、泣いている弟の元へ行き、優しく頭を撫でた。
「よしよし。一緒にショウマくんのとこ行こうねぇ」
そんなことを言うものだから、私は思わず飛びつくように二人を抱きかかえた。
「ダメよ。やめて。お願い……お願いだから、ママと一緒に寝よう? ね?」
「いい子で寝てたらママも一緒にショウマくんのとこ行く?」
アズサの言葉に、私は息をつまらせた。でも、答えないわけにいかないから、私は声が震えないよう努めて優しく返した。
「……そうね。元気になったら、みんなでショウマくんのお墓に行こうね」
だから、お願い。お姉ちゃんとお兄ちゃんを連れて行かないで、ショウマくん。ごめんね、行けなくて。それで怒ってるんだよね。ごめんね。
そんな言葉を心で唱えながら、私は子どもたちを寝かせると体を引きずって仏壇に座った。
「ごめんね。お願いだから、許して。ごめんね。ちゃんと、会いに行くから……」
手を合わせてしきりにブツブツと唱える。高熱のせいもあっただろうけど、家族全員の不調とアズサの言葉にすっかり怯えきっていた。お線香を上げて、手を合わせて。
しばらくずっとそこに座って、ショウマの位牌をぼーっと見つめていると、線香の煙がふわりと向きを変えた。ねじれたような煙の流れに驚いていると、
――わすれないでね。
タクマに似た小さな声が耳元をかすった。
一家を襲った風邪は次第に一人ずつ治っていき、全員が快復したら私たちはすぐにショウマのお墓参りに行った。
それきり、家族を襲う怪異は起きないけれど、私だけは欠かさずタクマの誕生日にはお墓参りに来ている。
「お誕生日おめでとう。ショウマくん」
もうひとりの家族に会うために。
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